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軍事に関するziglarのブックマーク (44)

  • 米軍の装甲車1万3000台、無料で払い下げ―防衛関連企業には打撃

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    米軍の装甲車1万3000台、無料で払い下げ―防衛関連企業には打撃
    ziglar
    ziglar 2014/01/26
    装甲板を増設したせいで、足回りが傷んでるのとかありそう。
  • 南スーダンで進展している虐殺の危機(dragoner) - 個人 - Yahoo!ニュース

    国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)に派遣されている自衛隊が、同じく派遣されている韓国軍の要請により、小銃弾1万発を韓国軍部隊に提供することになりました。 南スーダンのPKO活動に関連し、政府は、陸上自衛隊の銃弾1万発を、PKO協力法に基づき、国連を通じて韓国軍に提供する方針を決めました。 PKO協力法に基づき国連に武器が提供されるのは初めてで、政府は、緊急性が高いことから、いわゆる武器輸出三原則の例外措置として実施したとする官房長官談話を発表することにしています。 出典:銃弾提供を決定 政府「例外措置」と説明 今回の措置は緊急性が強く、武器輸出三原則の対象外となるようです。韓国軍が弾薬提供を求めるまでに至った南スーダンで、どのような事態が進行しているのか、南スーダンの事情から現在の状況、韓国軍が提供を求めた背景について解説したいと思います。 南スーダン共和国の概要と内紛南スーダ

    南スーダンで進展している虐殺の危機(dragoner) - 個人 - Yahoo!ニュース
    ziglar
    ziglar 2013/12/24
    想像以上に危なそうな事態。仮に今から装備を送るとしても、南スーダンはあまりに遠い。
  • いろいろクドい話 » 正月特番 付録 (1949年の先制核攻撃)

    1949年9月、高高度偵察機が収集した大気サンプルの分析で ごく近い過去にアジア大陸で核爆発があったことが確認されます。 これがソ連の核兵器開発成功をアメリカが察知した瞬間です。 ここのあたりは市販のにもちゃんと書いてありますからどうでもいいんですが、 ソ連が原爆を持ったことが判明した瞬間に アメリカは対ソ開戦を検討しています。 ソ連軍の核武装が完結しないうちに全てを破壊してしまう予防戦争の検討です。 この戦争は開戦初日の先制攻撃でソ連空軍基地にある戦略爆撃機部隊を壊滅させ 核兵器の運搬手段を完全に失わせることが最大の課題と考えられます。 核戦力を無力化した後はどうにでもなる、と考えているのは その研究を急いでまとめているのが空軍大学だからですね。 せっかく思い立ったのですから 男らしく即座に実行すれば良かったのかもしれません。 けれどもアメリカは結局諦めてしまいます。 その理由 ・ソ連

  • いろいろクドい話 » 正月特番 「原爆機の邀撃はこんなに大変」 1

    夏休み特番からサボりにサボって再開したとたんに大晦日になってしまいました。けれども、編で続いている核戦略下の地上戦についてよりイメージを深められるかも、と思い、アメリカ空軍の邀撃機とその戦術についてご紹介したく思います。1950年代のアメリカがまだまだ実力が伴わず、ミサイルさえろくに無い揺籃期にあったソ連の核軍備によって、どうして対ソ先制核攻撃を「抑止」されてしまったのか、現場の様子がわからないと腑に落ちないと思うからです。 人間が肉眼で空を見上げて敵機の侵入を発見通報する防空監視哨といえば我が国の専売特許のような気持になりますが、民間の力を借りた肉眼に頼る旧式な哨戒システムを太平洋戦争が終わってからも大規模に存続させた国があります。それはアメリカです。 広大な国土を持つアメリカは全土をカバーするどころか要地を守る防空レーダーシステムさえ、なかなか完成しません。導入案はあっても膨大な数の

  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 37 (「嵐」演習は何を無視していたか?)

    「嵐」演習にはいくつかの約束事があります。あえて考えずに済ましている問題があるということです。その筆頭は西ヨーロッパの同盟国が崩壊するのをアメリカが単純に受け容れるという前提です。全面核戦争ではあるものの、ヨーロッパ戦域限定戦争に留まり、米ソがお互いの土を叩き合う想定がありません。電撃的な侵攻作戦で西ヨーロッパを一気に占領するところまでが「嵐」のシナリオでした。 次に無視されているのがアメリカ戦略空軍による核攻撃への対処です。一応想定されているものの、これも曖昧な形で済まされています。ソ連軍の現状では有効な対抗手段が無いからです。そしてもう一つの約束事は電撃戦を実現する原動力となるワルシャワ条約機構統一軍が装備する戦術核兵器が未整備である点です。ソ連軍の核兵器配備は1949年の原爆実験成功、1953年の水爆実験成功に続いて1954年から空軍への核爆弾配備が開始されていますが、地上軍や海軍

    ziglar
    ziglar 2012/06/03
    「限定的な条件下で、大損害を覚悟するなら、相打ちには持ち込める」計画。しかし、これを本当に、防衛目的の計画と呼んでいいものやら。
  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 36 (ワルシャワ条約機構統一軍の「電撃戦」)

    「嵐」演習で検証された西ヨーロッパ侵攻作戦とはひと言で言えば核攻撃の成果を最大限に利用した電撃戦でした。パリまで10日で到達するという破天荒なシナリオに現実味を与える従来にはない要素とは核兵器のみが達成できる一瞬の大規模破壊が生み出すショック効果そのものでした。通常爆弾を用いた戦略爆撃が何ヶ月もかけて達成する仕事を一日で仕上げ、野戦重砲兵が何日かを費やして成し遂げる破壊を一瞬で実現することで生み出された衝撃を利用して無人の野を行くように進撃すること、またはそのような戦いが可能か否かを確かめることが「嵐」演習の目的でした。 最初の核攻撃はアメリカ軍から行われます。ただアメリカ軍の攻撃は既に警戒態勢にあった在東ドイツソ連空軍の偵察機によって即時に察知され、戦闘態勢にあったソ連軍はアメリカ軍の攻撃とほぼ同時に核攻撃を実施します。ただ「嵐」演習の「全面核戦争」とはあくまでもヨーロッパ戦域での全面核

    ziglar
    ziglar 2012/05/27
    ここまでして進撃しても、放射能汚染がひどくて、分捕れる資源などほとんど残っていないのでは。
  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 34 (平和共存路線はなぜ生まれたか?)

    スターリン時代のソ連が防衛戦略を強いられた最大の理由はいうまでもなくアメリカの核戦力です。ソ連は1949年に原爆実験に成功し、重ねて1953年には水爆実験まで行い、直ちに核戦力を手に入れたような印象がありますが、ソ連側の宣伝とは異なり、その実態は1960年代を迎えるまで核戦力としてはほぼ丸腰に近い状況でした。「スプートニクショック」や「ミサイルギャップ」と呼ばれる騒動を迎えた時期でさえ、アメリカを相手に全面核戦争を戦う力はまったくありません。 1960年になってもソ連にはアメリカ土を狙える強力な核戦力(射程距離7000kmを誇るも誘導装置を目標から500km以内に設置しなければならず、実質的に米土を狙うことができないSS-6とアメリカ土向けの前進基地を欠いた少数の長距離爆撃機部隊のみ)がないどころか、戦場で使用する小型核兵器の部隊配備はアメリカに大きく遅れ、203mm核砲弾の開発は行

    ziglar
    ziglar 2012/05/21
    ソ連とアメリカの戦力差が縮まったことが、かえってソ連側の軍拡を誘発する。スターリン、フルシチョフなどの指導者の性格もさることながら、国力などの構造的要因が、取り得る政策を決めた?
  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 30 (孤立無援の連邦軍)

    西側諸国の負担軽減への期待とドイツの軍事力復活への疑念に取り囲まれながらの再軍備は国内的にも国民の反発を押し切って進める困難な作業でした。敗戦後の非ナチ化政策と非武装化政策に後押しされた再軍備への反感は日とは比べ物にならない程に強力で、新生ドイツ連邦軍を歓迎する雰囲気はまったくありません。そんな空気の中で一旦は完全に解体した軍隊をごく短期間で再建するのは大変な仕事でした。 新しい軍隊の基幹となる士官クラスの募集は最初に着手されましたが、候補者はそれなりにあっても全てを採用する訳には行きません。ナチスとの関係が薄いもの、戦争犯罪と縁の無い者、思想的に民主主義を受け容れる者といった数々のフィルターが設けられ、人材選抜委員会が一人ずつ審査していったのです。選抜委員会は国内の主要政党から代表者が数名ずつ選ばれ、一部に旧国防軍の将軍達が参加しています。この審査を通過すれば再軍備に批判的な社会民主党

    ziglar
    ziglar 2012/02/17
    軍人への風当たりの強さは、日本とそう変わらなかったことがうかがえる。
  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 29 (編制改革の本質は?)

    ziglar
    ziglar 2012/02/03
    戦争には負けたが、装備は以前よりも良くなった。それが可能だったのは、技術面の進歩(より良い装備を、より低コストで得られるようになった?)もあるんだろうか。
  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 28 (連邦軍の命名と編成開始)

    アメリカが大量報復戦略を採用するのと平行して、ようやく再軍備が決定した西ドイツ軍の編成が始まります。国民感情に逆らっての兵員募集も大変でしたが、新しい国軍の名前もひと揉めしています。すでに「Bundeswehr(連邦軍)」はマントイフェルが名付け親だと紹介していますが、この名称も素直に決まった訳ではありません。 まず、新しい軍の名称について「Reiciswehr(ワイマール体制下と1934年までのドイツ国軍)」と「Wehrmacht(いわゆるドイツ国防軍)」を避けるという方針で検討が始まりますが、元将軍達だけではなくキリスト教民主同盟の中からも「Wehrmacht」支持や、12個の新設師団に「失われたドイツ都市の名を冠する」(ダンチヒ師団、ケニーヒスベルク師団、ブレスラウ師団など)といった西ドイツ音が垣間見える過激な提案まで出て来る始末で、再軍備を進めるブランク事務局のテオドール ブラ

  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 27 (アデナウアーの「恫喝」)

    1955年6月、NATO軍最大の航空戦演習「カルト ブランシュ(Carte Blanche)」が実施されています。この演習は1週間にわたってデンマークからイタリアに至る広範囲な作戦空域で行われ、3000機以上のNATO軍機が参加し、出撃は約12000ソーティに及ぶ大規模なものでした。イギリス軍を主体とする第2戦術空軍が「北軍」(ソ連空軍)、アメリカ軍を主体とする第4戦術空軍が「南軍」(NATO軍)を演じ、ソ連軍侵攻に伴う空襲の第一波からNATO空軍が立ち直り、反撃に移行するシナリオで、飛行部隊だけでなく警戒、管制、防空火器などの支援部隊も含めて総合的に行われた第三次世界大戦のシミュレーションでした。 演習の成績は満足できるものとされ、現有戦力に加えて再建途上にある西ドイツ空軍がNATO陣営に加われば、寒々しいばかりの地上兵力に比べて航空戦力では相当な充実が見込めると判定されていますが、この

    ziglar
    ziglar 2012/01/15
    実際に核攻撃を想定した演習を行っていたとは知らなかった。西ドイツ国内の想定死者数が170万とか、西ドイツが受け入れなかったのももっともな話だわ。
  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 26 (核戦略下の論戦)

    ヨーロッパで核兵器を戦術的に大量使用することを掲げたアメリカの新しい核戦略は地上部隊の編制改革にまで及ぶ大きな変化でしたが、アメリカの軍事専門家たちが新戦略に向けて足並みを揃えていたという訳でもありません。アイゼンハワーの下には、大量報復戦略についての推進派と懐疑派との明確な対立があります。 推進派の筆頭は1953年から1957年まで統合参謀部議長を務めたアーサー ラドフォード海軍大将でした。大戦中は空母部隊を指揮していたアメリカ海軍の航空派という経歴から想像される通りにラドフォードの姿勢は大量の人員と維持費の掛る地上兵力に対して極めて冷たく、その対ソ戦争観も革新的なものがあり、「オフタックル」のような第二次世界大戦を思い起こさせる長期戦争計画を過去の遺物として強く否定し、核兵器による大量報復戦略の有効性とその抑止力に絶対の自信を持っていました。 ラドフォードの提唱した将来戦の姿はソ連軍

    ziglar
    ziglar 2012/01/08
    第一次大戦後を彷彿とさせる議論。
  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 22 (下士官たちとシュタールヘルム)

    フランスの反対やソ連の中立提案などに翻弄されつつも西ドイツの再軍備は1954年3月に開始されます。その規模はプレバン計画による上限50万人、地上軍はヒンメロート意見書で将軍達が提示した12個師団です。1950年10月のヒンメロート会議で練り上げた要求が100%通った訳ですが、問題が全て解決した訳ではありません。 元将軍グループの提示した地上軍の所要兵力は12個師団34万人として実現しました。残りは空軍と海軍に振り向けられます。ただ、12個師団の内訳はヒンメロート意見書では「すべて戦車師団」です。もともと12個師団の兵力は戦時に18個師団にまで兵力拡大する基礎として考えられていましたから、将軍達にとって12個師団全部が重装備の戦車師団であって欲しいのです。 将軍達の要求に対して、スポンサーであり、装備の唯一の供給元であるアメリカは否定的な見解を寄せます。「戦術的にバランスが悪い」「兵站が困難

  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 20 (スターリン最後の反撃)

    朝鮮戦争が西欧諸国に与えた衝撃は翌1951年後半頃にはすっかり醒めてしまいます。極東の戦争がヨーロッパには飛び火してこないとほぼ確信されたからですが、ドイツ国内の再軍備気運も同時に落ち着いてしまいます。こうした隙を突くようにして提示されたのがソ連からのドイツ中立化提案でした。 西ドイツの再軍備はNATOの傘下に入る前提がある限り西欧諸国にとっては非常に有望な計画でしたが、東側、すなわちソ連にとっては今まで通常兵力で話にならない程に弱体だったNATO軍に西ドイツ軍が加わることは無視できない問題でした。核戦力での劣勢を通常戦力での優勢で補っていたソ連にとって新しい西ドイツ軍の誕生は絶対値として12個師団以上の地上兵力増強と新たな海空軍部隊の出現を意味していますから冷戦の行く末を変える一大事です。 そこで病床にあった晩年のスターリンは最後の取引を持ち掛けます。その切り札は「ドイツの再統一」でした

  • Yevdokiya Zavaliy: the Heroine of WWII - English Russia

  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 7 (「対ソ戦のプロフェッショナル」)

    ドイツの将軍達が戦史を書くのは歴史を重視するプロシア陸軍以来の伝統とも言われます。けれども敗戦後に書かれた回想録は必ずしも事実に根ざしたものとは限りません。ハルダーの下で戦史編纂作業の統括をつとめたホイジンガーなどはどう考えても立ち会っていないだろう場所や部署での会話や状況をまるで自身がその場にいたかの如く書き上げたことで批判されていますが、トップに立つ人物の回想がこの有り様ですから他の将軍達の叙述にもルールに従って大幅に脚色された部分が含まれることになります。 そして1948年頃になるとヒトラーだけでなく、国防軍総司令部のカイテル、ヨードルといったOKWの将軍達も批判の的になり、「諸悪の根源はヒトラーと国防軍総司令部であって陸軍参謀部は純粋に軍事的な組織である」と明確に主張されるようになってきます。「武装親衛隊は戦闘部隊であって一般のヒトラー親衛隊とは区別しなければならない」という武装

    ziglar
    ziglar 2011/05/29
    タイトルの意味がやっと飲み込めてきた。実際よりも強大な敵と、有能だが味方のせいで力を発揮できなかった自分たち。だからこその「幻」なのか。
  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 6 (ドイツ軍戦記執筆のルール)

    敗戦後、捕虜となったドイツの将官には連合軍からの尋問と戦犯としての裁判が待っていました。ニュールンベルク国際軍事法廷です。この裁判の結果は紹介するまでもありませんが、開廷までの間に被告となった将軍達の弁護資料として大規模な供述書が作られています。 これが「将軍供述書」と呼ばれる文書ですが、この文書は連合軍側からの一方的な尋問によるものではなく、ドイツの将軍達の自主的な主張が将軍達の手でまとめられているところに特徴があります。 序言 ブラウヒッチュ(元陸軍総司令官) 1920年~1933年までのドイツ軍 マンシュタイン及びヴェストファル(元西部軍参謀長) 1933年~1938年3月31日まで ( 同上 ) 1938年春~1942年秋まで  ブラウヒッチュ及びハルダー(元陸軍参謀総長) 1942年秋~1944年春まで  マンシュタイン及びヴェストファル 戦争最終年         ( 同上 )

    ziglar
    ziglar 2011/05/26
    ドイツには、戦後自らをソ連との戦いに役立つと売り込む必要があったというのは、気がつかなかった。国防軍賛美にも、単なるナチスとの差別化以上の意味があったということか。
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  • 北朝鮮による砲撃、または「若将軍」のバクチ - リアリズムと防衛を学ぶ

    北朝鮮による砲撃事件についてです。 この事件については「離島の民間人への砲撃」という行動から、2つの意味が汲み取れます。「去年のお返しだ」ということと「わが国を邪魔するとソウルも、こうしてやる」ということです。そういったメッセージを北朝鮮が発信するのは、金正恩の権力継承期という背景のもと、来年2011〜12年が重要な年になるので、早々に軍事的成果をあげる必要があるためではないかと考えられます。 「離島の民間人への砲撃」は何を意味するか? 今回の砲撃は民間人が居住する島をめがけて行われました。民間人そのものを標的とした攻撃は国際人道法で禁じられています。たとえ軍事施設を目標とする攻撃であっても、明らかに多数の民間人を巻き添えにすると明白な場合も同様です。しかし自国民の人権も平然と踏みにじる社会主義国が、まして北朝鮮は、もとより他国民の人権だの国際法だのはあまり気にしないのでした。 ここからは

    北朝鮮による砲撃、または「若将軍」のバクチ - リアリズムと防衛を学ぶ
    ziglar
    ziglar 2010/11/25
    他所様のお家の事情に勝手に巻き込まれねばならんとは、薄々わかっていたことではあるが、言葉にしてみると、なんとろくでもない状況であることよ。
  • 極東ロシアの軍事輸送能力

    だよもん◆V2ypPq9SqYによる隅田金属ぼるじひ社「瀛報」22号、25号へのツッコミ解説。「文谷氏の情報源を引用すると、その場で彼が述べている意見をそのまま否定できてしまうんです。」

    極東ロシアの軍事輸送能力