今日はこれから出張することになっていて2時間早起きした。時間がないので走り書き。 前回の記事を書いたときに、ちょっと議論に弱いところがあるとは思っていたのだが、案の定、そこを突かれた。 これは、物理的に記述できていることを検証することが出来るか、という議論であって、物理的に記述することができるか、という議論ではないように思われる。確かに、ある事柄を行うということと、ある事柄を行っているということを検証するということは別のことだ。そして、前回の記事は、心を物理的に記述したことをいかにして検証するのか、という検証可能性の問題を提起しているのであって、物理的記述そのものの可能性を論じたものではない……というふうに読める。その読みは間違っていない。でも、それだけではない。 前回の記事で言おうとしたことは、唯物論は心の物理的記述の検証可能性を保証しないということと、もう一つ、「心を物理的に記述する」