2021年は国際コンクールで日本人音楽家が相次いで優勝・受賞し、日本の音楽界にとって大変実りの多い年となった。特に注目を集めたのが、ショパン国際ピアノコンクールで内田光子さん以来、51年ぶりに2位受賞を果たした反田恭平さんと、4位を受賞した小林愛実さん、ヒンデミット国際ヴィオラコンクールで優勝した湯浅江美子さん、ジュネーヴ国際コンクールのチェロ部門で日本人初の優勝者となった上野通明さんの4人だろう。
この4人に共通することがあるとすれば、それは全員が桐朋学園(以下「桐朋」)の子供のための音楽教室(以下「音教」)で学び、その後、桐朋女子高等学校音楽科(男女共学、以下「高校音楽科」)に進み、さらにその後は4人とも海外に留学していることだろう。
かくいう筆者も仙川教室の音教に6年間在籍し、その後、上の4人と同じように高校音楽科で学んだ。彼らの内の何人かとは机を並べて学んだことも、校内で開催される演奏会等で、ともに奏者として名を連ねさせてもらったこともある。
実際に彼ら彼女らと一緒に学び、演奏の研鑽を積んできた視点から、世界に通じる音楽家を輩出してきた桐朋学園ではどのような教育が行われるかについて、少し紹介してみたい。ただし、筆者の経験は音教の場合は12年以上、高校音楽科は8年以上前のものであり、現在は変わっているかもしれない。
楽器演奏以外の教育でも世界クラス
まず「音教」と呼ばれる、幼稚園の年少から中学3年生までを対象とした週一回の授業について説明したい。
そこは何よりも音楽家として生きていくための重要な基礎教養を養う場であった。
音教では各楽器の演奏以外に、ソルフェージュと呼ばれる音楽の基礎を徹底的に訓練する。ソルフェージュとは耳やリズムの訓練、楽譜の読み方・書き方といった、楽器を弾く「技術」以外の音楽家としての基礎能力である。
ソルフェージュで養われるスキルである耳の良さは、プロの音楽家にとって必須である。幼少期に徹底してソルフェージュを鍛え上げられていない演奏家も存在する。ただ、彼らは譜読みが遅い上に、リズムを読み間違えることが多い。例えばピアニストであれば、初めて目にした楽譜ですぐに演奏する初見が苦手な人は、室内楽や伴奏などの際に重宝してもらえない。ソロだけでは仕事にならない場合が殆どのピアニストとして、これは致命的である。このように、ソルフェージュは音楽家がスタートラインに立つためには絶対に必要な素養を養ってくれる。
桐朋のソルフェージュのレベルは世界的に見ても高い。「桐朋とパリ高等音楽院(入学が難しい難関校、漫画『のだめカンタービレ』主人公・野田恵の留学先)は世界一のソルフェージュのレベル」と鼻にかけている桐朋生もいたほどだ。
実際、筆者も留学先の音楽大学での入試では、ソルフェージュはほぼ満点を取ることができた。驚いた試験官に問題をその場でアレンジされたが、それも難なくこなせた。大学1年目のソルフェージュ授業は免除されて、2年生と一緒にソルフェージュを受けたが、そのクラスでもトップであった。
その入試のレベルは音教の中学校時代の課題と同水準。入学後の授業のレベルも高校音楽科よりも低水準であった。
このような話は桐朋の卒業生の間では大して驚くべきことではなく、他の国に留学した友人たちからも似たような話をよく聞く。耳も頭も柔軟な子供時代に、世界に通じる高い水準のソルフェージュを教えられるのだから、桐朋の教育から上記4人のように世界が認める音楽家が生まれるのも、ある意味では必然と言えるだろう。
子供相手でも容赦ない実力主義
音教でのソルフェージュの授業は、成績別にAからDのクラスに分けられる。
年度の初め、学年毎に生徒全員を大きな部屋に集め、そこで「誰がどのクラスなのか」が発表される。クラス替えは年1回。だから自分のクラスは降格するのか、はたまた上に行けるのかを誰もが気にかける。あるいは、仲の良い友人たちと同じクラスになれるのかも決まる。
いくら子供とはいえ、こうも顕著に実力を分けられるとかなりナーバスになる。クラス発表の当日には、泣き出す子や文句を言いに行く親など、様々なドラマがあった。音教の生徒は、このように小学生の頃からまざまざと「あの子はデキる組、あの子はデキない組」と現実を見せられながら育つのである。
さらに年次試験の成績優秀者(学年のトップ数名)には浜離宮朝日ホールや紀尾井ホールなどの音楽ホールで演奏会のような形式で公開試験が行われる。これには生徒だけでなく、親たちも観客として参加できる。
公開試験に出られるか否かも、生徒たちの間で確実に「弾ける子弾けない子」の溝を深めていく。この容赦ない実力主義が生徒たちの向上心を刺激し、日々の努力へ繋がることも確かだろう。
音教での競争は過酷で容赦がない。強い精神力と音楽を本気でやりたいという意志が無い生徒は、ほとんど高校入学までにドロップアウトする。厳しい競争環境を作ることで、将来音楽界で生き残っていけるメンタルの強さを鍛えているのかもしれない。また、高い演奏技術を持つ生徒が自ら進んで「その道」を選択するように促しているのではないか。
今回ショパンコンクール2位の反田さんと4位の小林さんは音教時代、さらに成績優秀者向けの「特別クラス」なるものを、普通のソルフェージュの授業の後に受けていた。
特別クラスでは、普段中学生が1人でピアノを練習しているとしないようなこと(バッハのマタイ受難曲を授業で全部聴いて話し合う、ベートーヴェンの弦楽四重奏をピアノで連弾する等)に取り組むことができる。この特別クラスの経験は貴重である。
多くの経験者はここでピアノ以外の音楽にも興味を持ち始める。さらに同じく選抜された先輩後輩たちとの繋がりがとても良い刺激となる。しかしこのクラスは実力で選抜される文字通り「特別」である。学年のピアノ科の生徒のうち受けられるのは僅か1学年4~5名程度。音教は、才能のある生徒をとことん優遇する。生徒たちは10代にして格差社会を味わうのだ。
スクールカーストも実力で決まる高校生活
音教生の多くが高校音楽科へ進学する。そこでの生徒間「スクールカースト」は独特だ。
音教から上がってきた生徒たちは、ここでは少数派となる。音教上がり以外の生徒から「小さい頃からビシバシ教育されてきて桐朋の仕組みもよく知っているエリート」と認識される。
外部生には地方出身者も多い。「県でいちばん上手」などと言われていたような子もいる。そんな子たちは入学当初、威勢がいい。ただ1年目が終わる頃には、試験の成績や選抜演奏会への参加の有無などにより、自分の学年内での実力を目の当たりにする。
どの学校にもあるスクールカーストだが、“1軍”は普通校なら「美人・イケメン」など容姿端麗な人々だ。しかし高校音楽科の場合は、いかに楽器が上手に弾けるかが一番の基準である。容姿その他は、その次。極言すれば、楽器が上手い人はスムーズな高校生活を送れる。
音教と同じく、高校音楽科でもスチューデントコンサートという名の成績優秀者による校外演奏会が行われる。そこに自分が選ばれるかどうかは一大イベントであった。
同じ友達グループの中でも、出られる子と出られない子がいる。演奏会のメンバー発表を友達と一緒に見にいくと大変である。その場で泣き崩れる子、歓喜のあまり騒ぐので他の子から嫉妬の目を向けられる子……発表の後のランチタイムは地獄だった。
この他にも、高校音楽科には海外からの著名な演奏家がレッスンをしてくれるイベントもある。これには、真面目に勉強していて、かつ成績もある程度の生徒が選ばれることが多かった。
高校生活の最後は卒業演奏会で締めくくられる。卒業が迫ってくると、もうハッキリと「あの子は演奏家になれそうな子、あの子はなれなさそうな子」という線引き生徒たちの間でされている。バリバリ楽器を続けていきたい子たちは、放課後になると膝を付き合わせて留学先について語り合う。
そうでない人たちは「こんなに音楽ばかりやってきた人生では潰しがきかない。仕方がないから桐朋の大学で教職を取って教師になるか、それとも一般企業就職も視野に入れながら生きるか……」と演奏家への道を半ば諦めながら進学するのである(進路は何もこの2つだけではない。これは一例である)。
上手な人の多くは高校卒業後に世界各地へ留学する。小林さんは在学中にいち早く留学していた。その他の人たちは高校を出てすぐ留学する人もいれば、語学の準備や海外の音大とのコネクション作りに勤しむ。そして大学3年目くらいまでには、日本の音大を中退して留学する。
個性を潰さない、柔軟だけど生徒思いの先生たち
桐朋から世界に通用する若手音楽家が輩出される要因はまず、向上心と精神力が鍛え上げられる環境だろう。
他にも、優れた教師陣の存在が大きい。桐朋の先生方は個性を大切にすることはもちろんだが、自らの経験と高い専門性をベースにした言葉で、様々に生徒たちを励まし、助言を与えてくれる。
例えば反田さんは、中学生の頃からリストのメフィストワルツをサラッと弾いてしまう程の、悪魔的な音楽性と技術力があった。
彼の高校時代の指導教師は名の知られた教育家でもあった。彼は反田さんについて「高校生の時には基礎をしっかりと固めるべきだ」と判断したのか、ハイドンやベートーヴェンなどたくさん古典派の曲の宿題を出されていた。高校3年間でできるだけ西洋音楽の要となる部分を勉強させ、後で自由に羽ばたく時の糧にして欲しいという先生の愛のある教育であったと思われる。
その先生に限らず、桐朋はどの先生たちも優秀な生徒を多く抱えている。そして、生徒が留学したいと言うとためらわずに「行ってきなさい」と、背を押すタイプが多かった。「若いうちに世界を見て来なさい」と柔軟に考える先生たちの影響か、小林さんの同学年も留学を当たり前だと考えている人ばかりだった。
こんなこともあった。音教時代、筆者はショパンを弾くのが苦手だった。しかし、ピアニストは“ショパンが弾けないとダメ”という風潮がある。するとある先生が「ショパン弾きなんて世の中たくさんいるわ、あなたはそんなこと気にしなくて、自分がこれ!と思ったことを突き詰めてそれが上手なピアニストになればいいのよ」とアドバイスしてくれた。
幼い頃から競争社会にいると自分を見失いがちだ。しかし、桐朋の先生たちはマルチになんでもできる演奏家を求めることよりも、その人の個性を活かし評価しようとしているようにも思えた。
日本を代表する音楽のエリート校である東京芸術大学音楽学部附属高等学校(以下「芸高」)を引き合いに出し「芸高生はみんなノーミスでバリバリ弾けるけど、桐朋生はミスタッチをしても音楽的だったら受け入れてくれる」という、都市伝説が校内で囁かれていた。これも桐朋という学校が、個性を重視し伸び伸びと音楽をさせてくれる場であった所以ではないだろうか。
自由な校風といえば学園祭で大学と高校の境目が無くなることや、制服が無かったり廊下で練習できたり、練習室も大学生と高校生の使える部屋が同じなので、学年を超えて多くの人と友達になれたり…等といったことも挙げられる。
反田さんのショパンコンクールでの活躍も“納得”の理由
音楽家として成長するには、周りに上手な人が多いほうが良い刺激が受けられる。その点で桐朋は徹底した実力主義、切磋琢磨し合える環境、そして生徒思いの先生たちが、今も昔も数多くの素晴らしい音楽家の卵たちを惹きつけている。
昨年、次々に結果を出した彼ら彼女らの活躍を見た時に「凄い!」という感情よりも、「やっぱりね」という納得感のほうが勝っていた。彼らはもともと才能に恵まれていた。加えて子供の頃から将来有望な音楽家の卵たちに囲まれお互いに刺激し合いながら自らの演奏技術を磨いてきた。世界に羽ばたいても引けを取らない音楽教養を養われ、なおかつ精神面でも鍛え上げられてきたのだ。そんな彼らが海外でより音楽への理解を深め、やがて成功するのはいわば当然なのである。
桐朋学園からは過去にもたくさんの素晴らしい音楽家が輩出されてきた。今後も日本の稀有な才能を発掘し輩出していくことだろう。
(文=千原賢美/ピアニスト)