「選挙民への5通目の手紙」のなかで、私は選挙民に次の問題について考えるよう呼びかけた。
人民代表は私たちが普段いう「役人」だろうか?
人民代表選挙参加の権利は国の法律で保護されているだろうか?
あなたの個人的利益から出発して、あなたは誰に投票するか?
あなたが入れた人が当選し、彼が市長、裁判所長、検察庁検察長を選ぶ時、あなたの意思と一致するだろうか?
潜江の発展と政府、裁判所、検察庁の官吏の人品と才能は関係があるだろうか?
潜江の発展と我々みんなの神聖な一票の投票とは関係があるだろうか?
6番目のビラの表題は「潜江市選挙弁公室[1998]4号通知を学習しての4つの疑問」で、潜江の選挙に関する通知の多くの箇所が国の法律と矛盾があることを指摘した。
潜江市選挙弁公室4号通知第二部の中に「また、選挙民グループ長、選挙民代表が協議した意見をよく聞き、多数意見に沿って正式候補者を決める」という記述と選挙法31条の「選挙民グループでの討論を通じて、選挙民の比較多数の意見に基づき、正式候補者名簿を確定する」と言う規定との間の矛盾である。「多数意見」と「選挙民の比較多数」の意見は全く違う。なぜなら前者は文中に選挙民グループ長と選挙民代表の中の多数だけを指しているので、選挙区の選挙民の比較多数とは全く別物である。もしも、「多数意見」が選挙区の全選挙民の多数であれば、過半数か、あるいはそれより多くなくてはならない。しかし、4号通知はどこにも「候補者は賛成意見の多寡の順序により」とは書かれていない。では、この「多数意見」とはどこから生まれるのか? 協議と確定の差も非常に大きい。正式候補者は協議によって確定してはならず、「選挙民の比較多数の意見」によって決めなければならない。協議は正式候補者選びの3つの段階、つまり推薦、協議、確定のうちの2つ目の段階にすぎない。しかし実際は、「正式候補者を協議する」が内定や指名になっている。
「選挙民の皆さんへの7通目の手紙」の中で、私は教育選挙区の中の問題点を指摘した。
この間選挙民グループの掲げた「××選挙弁公室」および教育選挙区作業チームの「指導グループ長」はどの法律によって選ばれているのか?
教育選挙区作業チームは各選挙民グループに会議を通じて1~3名の一次候補者を選ばせているが、これは不法であり、法に基づけば選挙民10名以上の推薦で選ばれるべきである。
このビラの末尾では選挙民に選挙に信念を持ち、共に努力するよう呼びかけた。
そのころ、私に関心を寄せ、支持し、理解してくれる選挙民はみな手に汗握って心配していた。しかし、そんな必要はない!
もっと私を激励すべきだ!
法律は守り、法執行は厳格にし、違法は必ず追及するという社会の雰囲気は、私たちみんなの努力で始めて実現できるのだ(有法必依,執法必厳,違法必究的社会雰囲,是靠我們大家的努力才能実現的)。
「選挙民の皆さんへの9通目の手紙」の中で、私は教育選挙区の3名の正式候補者選出プロセスは不法であることを指摘した。
11月14日午前、教育局3回会議室で46名の投票によって3名の「正式候補者」が確定していた。このやり方は、選挙法31条に違反し、また実施細則28条にも違反する。
「選挙民の皆さんへの10通目の手紙」の中で、私は代表が備えるべき能力について書いた。
代表の能力いかんは、我が市の国家権力機関が本当に人民を代表して国の事務を管理するかどうか、効率的に法律の与えた職権を行使するかどうか、などに関係する大問題である。よって、決して代表を名誉職として考えてはならない。人民代表は、人民大衆との密接な関係を維持し、人民の利益と意思を代表し、代表大会の決議を速やかに人民大衆に伝えなければならない。また、政治参加、政策議論および社会活動の高い能力を持ち、法律が与えた職権を効果的に行使しなければならない。
これらのビラは、原稿書き、公正、印刷、配布、すべてを私一人でやった。私の所属する教育選挙区は、潜江師範学校、潜江ラジオテレビ大学、市教育局機関、潜江中学など16の部門が含まれる。私はいつも夕食を食べてから、各家庭、各宿舎のドアにビラを差し込んで回る。全部配り終わるころには、夜が白んで、朝食の時間になっていることが良くあった。そのころ、私は重い足を引きずって家に帰るのであった。
教育機器工場の受付は私の立入を認めず、「おまえを入れてはならないと上から通知があった」と言われた。文昌中学の一人の副校長は私を校門の外で遮って、怒って言った「俺たちはおまえには投票しない、ビラを配るな! ここには優秀な教師がいくらでもいるから、彼らが人民代表をやればいいんで、おまえみたいなガスボンベ担ぎの出る幕はない!」。
これに対して、私が取った方法は、こっそりと塀を乗り越えることである。
11月25日、投票日まで残すは僅か3日の日に、私はすべての教育選挙区の選挙民に正式立候補公約を配った。
宣誓書
教員、職員、学生、友人および教育選挙区のすべての選挙民の皆さん。もしもみなさんが神聖な一票を私に入れてくれたら、私はすぐに次の2つのことに着手します。
第一、国の関係する法律と国務院、財政部、国家教育委員会の通知通達をしっかりと学習・研究し、省政府の関係する通知通達をしっかりと学習・研究する。自費で周囲の県・市を訪問し、学校教職員の待遇を調査し、根拠のしっかりした説得力ある報告書を作成し、市政府に対し全教職員の焦眉の課題と後顧の憂いである賃金と医療費の問題を速やかに解決するよう促す。
第二、汚職に反対し清潔な政治を実現するために、矛先を直接幹部集団の中の無学無能で、人品卑しく、接待されるのが好きで、鼻にかけたりへつらったり、賄賂を贈ったり貰ったり、部下をしいたげ上司をあざむく少数の蛆虫に向け、もっぱら彼らを告発し、彼らを監督し、彼らを鞭撻し、もって彼らの更生を促す。
宣誓者:皆さんの友人姚立法
1998年11月25日
私を支持してくれた選挙民は、主に教育選挙区の教師、師範学校学生、高校三年浪人生(大学受験に失敗して再度高校三年のクラスで学ぶ学生)であった。11月27日、投票日の前日、潜江中学(中国の中学には日本の中学同等の初級中学と日本の高校同等の高級中学があり、一貫校もある)の1名の高校三年の学生が潜江の時事問題について、教室の廊下に詩のような雑感のような文章を張り出した。
とりの羽根に金をつけたら高く飛べない。
多すぎる栄誉はしばしば行く人の足に絡みつく!
人民代表選挙に
我々が選ぶべきはいわゆる先進者ではない、彼らは結局先進ではない。
むしろ票を向ける先は、
時流に乗らず主張することのできる人である。
潜江の空気は余りに重苦しいから、
この得がたい主張者がぜひとも必要だ!
教師が見つけて、学校の秩序に影響することを心配しこっそりはがしたが、非常に感動して、写しを私にくれた。私はこれを貴重な贈り物として丁寧にしまいこんだ。
この日の夜、私は潜江予備校の事務室で、何人かの教師と選挙の問題を話していた。夜10時半になって、教師たちが私に教室に行って学生に最後の選挙演説として少し話をするよう勧めた。私は、学生たちが自習が終わったばかりで疲れているのではないかと心配したが、教師たちは笑って言った「早く行けよ、学生たちが待ってるぞ!」。
私が一つ一つの教室に入るたびに、嵐のような拍手が起こり、出るときもやはり嵐のような拍手が起こった。つぎの日、この学校のほとんどすべての学生が私に投票してくれた。
11月28日、関係部門は教育局選挙区に6つの投票所を設置して投票した。選挙民は今回の選挙に異常な関心を寄せた。千人以上の人が選挙区の本部会場の潜江実験小学校に集まり開票台の前で最後の結果を待っていた。非正式候補者姚立法の得票が1706票で、得票数が二人の正式候補者を上回ったと発表されたとき、会場は拍手が鳴り止まなかった。
その日の昼、潜江ラジオテレビ大学の選挙民の王天星先生たちは一枚の紙を私の家のドアの隙間に差し込んだ。そこには次のように書かれていた。
今日は人民の記念日だ
今日は君の忘れがたい日だ
1998年11月28日午前11時23分
私は人民代表に当選して以降の4年間、ずっと代価を惜しまず、リスクをいとわずに職責に答えてきた。私のあらゆる行為は法律の授権の範囲内であり、私の一言一言が選挙民の擁護と支持を得た。まさに選挙民の擁護と支持、激励と支援、信任と委託があったからこそ、私は勇気を持って実行することができた……。
2002年12月末に潜江市は第四期人民代表大会第五回会議で新しい省人民代表を選ぶという情報が伝わってき。多くの選挙民と市人民代表たちが続々と私に立候補するように勧めたので、私も試してみようと決めた。
市人民代表の推薦人集めには自信があった。しかし、心配なのは関係組織が推薦人に撤回を働きかけることだった。そこで、私は潜江市第三期人民代表大会第五回会議において省人民代表を選ぶ時に議決した「大会選挙規則」の原文(この規則のなかには「正式候補者名簿確定前に、推薦人が推薦を撤回したい場合、あるいは被推薦人が推薦を受けたくない場合には、書面により申し出ることができる。その場合、議長団は推薦人あるいは被推薦人の要望を尊重し、同意しなければならない」という規定はない)と全国人民代表大会常務委員会書記グループ副グループ長蔡定剣教授編集の出版されたばかりの『中国選挙状況報告』の次の一節のコピーを市人民代表大会の関係する指導者に送り、今回の「大会選挙規則(草案)」制定の参考にするよう申入れ、また、私が省人民代表に立候補する意向であることを伝えた。中国選挙状況報告』には次のように書かれている。「わが国の法律に人民代表が推薦を撤回できるという規定はない。このような方法は主に上級共産党委員会組織部門の意見と地方人民代表大会選挙規則の規定……しかし注意しなければならないのは、推薦の撤回は、共産党組織が人民代表が連名で候補者を推薦するのを規制することに便宜を与えることになる……現在の選挙実務によれば、連名による推薦はまだ余り一般的でも充分でもなく、複数候補制選挙に対する認識と対応は非常に不十分であり、選挙の競争性は非常に薄い。したがって、我々は法律上であれ実務上であれ、推薦撤回を認めるべきではなく、むしろ禁止すべきである。」。
続いて、12月16日、全市の300名余りに市人民代表に私の選挙資料――「我が市の人民代表大会常務委員会への第23番目の手紙および市人民代表への第1番目の手紙」および『南風窓』、『農民日報』、『民主と法制時報』、『南方週末』の私に関する記事――を郵送したり持っていったりした。その後数日間、ある郷鎮の関係者は人民代表に声をかけて回った。「連名で省人民代表候補を推薦するな。特に姚立法なんかを推薦するな。」。
12月25日午前、市人民代表が集合した。午後2時、まず代表全員の参加する予備会議が開催され、続けて大会が開幕し、第一回全体会議を行った。大会議長がアナウンサーが読み上げた「大会選挙規則草案」について何か意見はないかと代表にうながした時、私は真っ先に立ち上がって反対した。「大会選挙規則にある『正式候補者名簿確定前に、推薦人が推薦を撤回したい場合、あるいは被推薦人が推薦を受けたくない場合には、書面により申し出ることができる。その場合、議長団は推薦人あるいは被推薦人の要望を尊重し、同意しなければならない』という規定は法的根拠がなく、削除すべきだ」。議長は「我々は省人民代表大会が国の代表を選ぶ選挙規則を参考にこの規定を入れている。我々の選挙規則は省のよりも民主的だ。我々の規則では何人も推薦人に推薦の撤回や被推薦人に推薦を受けないことを薦めてはならないと規定している」と釈明した。私はまた立ち上がって聞き返した「もしも関係組織や個人が代表に推薦の撤回を要求したらどうするのか?」。「我々には対策があるから、君が心配しなくてもいい」。議長の回答は千人近くの大会に出席している人民代表、列席している政治協商会議委員およびその他の列席者の満場の笑いと議論を呼んだ。「大会選挙規則草案」の挙手による裁決では、私1人が反対した。
当日の午後3時過ぎに、大会は第一回会議を終了し、続けて大会議長団会議を開いた。4時半、各代表団に分かれて会議を開き、省人民代表候補者について話し合った。各代表団の団長は代表に中共潜江市委員会が大会議長団にあてた推薦書を読み上げた。「共産党市委員会は検討の結果、共産党省委員会の同意を得て、下記の17名の同志を湖北省第10期人民代表大会代表候補者に推薦する。何根法……」。この17名の中身は、共産党省委員会の推薦3名、共産党・政府・人民代表大会の官僚6名、企業の社長5名、以前省直轄だった国有農場の責任者1名、教師1名、村党支部書記1名であった。
26日11時半は「大会選挙規則」に定めた連名推薦候補者の締切時間である。それまでに人民代表大会書記処組織グループに届けた連盟推薦の候補者はたったの3名だった。そのうちの一人は連名推薦者が10名に満たないため無効。もう一人(市裁判所所長)は推薦を断ったため、議長団が正式候補者としなかった。私は、大会主席団に提出した16名の推薦人の内、選挙規則が議決されてからの署名が10名に満たないという理由で、推薦を無効とされた。
今回の選挙は、多くの問題をさらけ出した。例えば中共潜江市委員会は大会議長団に17名(枠は13名)を推薦したが、これは同数推薦の原則に違反している。被推薦人が辞退した場合、議長団がそれに同意して推薦を無効としたのは、全国人民代表大会の規定に反する。人民代表の連名推薦の時間が「大会選挙規則」議決前の場合、大会議長団が推薦を無効としたのは、法的根拠がない。一部の組織や個人が人民代表に連名推薦をしないように働きかけ共産党市委員会が推薦した17名の中から当選者を確保しようとしたのは、選挙妨害の疑いがある。
私は第10期省人民代表選挙では落選したが、潜江市の省人民代表選挙の正式候補者以外では、得票数は1位だった。
1987年から2002年までの16年間、私は5回省と市の人民代表選挙に立候補した。その間には、数え切れない喜びと人にいえない苦労があった。
また、体得したものもあった。
1、実直であること。是非をはっきりさせ、思い切ってことを行い、潔く責任を取ることが、選挙民の信頼を得る。
2、活発に宣伝し、多くの選挙民に自分を理解してもらう。独りよがりや、遠慮して譲ることは、人民代表にとって決して美徳とはならない。
3、法律を熟知すること。とりわけ憲法と選挙法、代表法などの関係深い法律。自己の権利と義務について明確かつ確固とした認識を持つこと。そうして始めて、ものごとの是非の弁別ができ、通俗的見解や「権威」の圧力に流されることがなくなる。
4、落選を恐れることはない。あなたを知る人がどんどん多くなるから、落選は失敗ではない。本当の失敗は社会の弊害を指摘する勇気を失うことであり、選挙が公正であるべきだという信念を放棄することである。
5、立候補する人が多くなればなるほど、我々の社会は活力と希望を増していく。
2003年3月16日
(了)