現代は誰が優勝するか予想が立たない時代である。三月場所の尊富士、五月場所の大の里の優勝はまったくの予想外であった。それは絶対的強者が不在であるからだ。逆にいうと、誰が絶対的強者として君臨して混迷の時代
五月場所、翔大夢という四股名の力士が登場した。テレビでは大谷対翔大夢戦が実現するかもととの見方があった。しかし、対戦は永遠に不可能となった。七月場所、嘉陽・生天目の新十両発表の陰で旧宮城野部屋力士の引
五月場所の記録で目立ったのが貴景勝の3場所連続休場である。自身初のケースである。三月場所は8勝したとたん休場した。情報通から8勝したら休場すると聞いていたので驚きはなかった。今回の初日出場後いきなり休
★優勝争いについて 千秋楽を迎え3敗は大の里一人となった。横綱休場のなか大関は存在価値を示せなかった。協会から特別待遇を受けながら責任を果たせない。こんな大関ならいらない。不要である。 <大の里との対
これは予想番付ではなく私製番付である。私製番付は横綱・大関と対戦した力士を考慮している。幕内は横綱・大関と対戦する力士・部分対戦する力士・まったく対戦しない力士に分かれる。 <優勝した大の里> 例えば
2024年五月場所は一人の男に託されることになった。それは新小結大の里である。3敗は彼一人しかいない。4敗は超低レベル過ぎて優勝に値しないことはこれまで何度も触れてきた。100メートル競走でいえば11
混戦模様から3敗は琴櫻と大の里の2人となって14日目を迎えた。それにしても予想以上の混戦で12勝優勝が達成できるか否か微妙な情勢である。絶対的強者不在がもたらした展開である。 最初に大の里対湘南乃海が
各段の成績優秀者がぶつかる13日目。序二段優勝朝東、幕下優勝藤星雲が決定した。序ノ口、三段目は優勝決定戦になる。十両は1敗若隆景、阿武剋、2敗遠藤の争いとなる。 さて幕内はどう動いたか。3敗大の里は6
2敗湘南乃海は阿炎戦と対戦だが、阿炎は優勝圏内ではなかった。だが、阿炎も勝ち越しがかかっている。そういう意味では負けられない者同士である。それは同時に関脇を守ることにつながる。 相撲は、阿炎が突きたて
終盤戦に突入した大相撲。11日目のメインエベントは間違いなく豊昇龍対2敗大の里である。豊昇龍は優勝圏外である。だが、先場所優勝者尊富士の初日からの連勝を11でストップした実績がある。 不安があるとすれ
再出場の高安は連日の大関戦となった。前日は豊昇龍を倒して3勝。3勝しかしていない。上位に休場者続出で高安戦を組まざるを得なかった事情が考えられる。 10日目の対戦相手は2敗大関琴櫻である。相撲は四つの
優勝戦線は混戦模様となってきた。ここまで横綱照ノ富士、大関琴櫻を倒し、さらに1敗対決を勝ち抜いてきた大の里。それが3勝5敗の平戸海に不覚を取るのだから相撲はわからない。もっとも平戸海の出足は素晴らしか
連日満員御礼続くなか伯桜鵬が休場した。9日目からは高安が再出場する。なお、大の里の1敗は高安による敗戦である。 上位1敗同士の対戦が実現した。大の里対大栄翔戦である。大栄翔の1敗は豊昇龍戦によるもので
7日目から霧島と若元春が休場した。幕内はこれで7人が休場中である。1横綱4大関でスタートしたが、たちまち2大関に減少した。関脇小結は半数になった。これでは看板倒れも甚だしい。大相撲は底の浅いものになっ
6日目は大阪から2人、始発の新幹線でいらした。大阪場所で再会して以来だが、東京で一緒の観戦は初めてである。それに相撲Tの会のときの知人が加わり、酒を酌み交わした。大阪からの来客に敬意を表したのか、優勝
1勝3敗と星があがらない霧島。懸命な土俵をみせてはいるが、成績につながらない。角番だけに今は相撲内容より白星優先だろう。 対戦相手は入幕3場所目で小結に駆け上がった大の里である。ホープ中のホープである
照ノ富士、貴景勝が休場し、横綱はいなく、大関は3人となった。いかにも手薄の感は否めない。残った3大関も星のあがらない大関もいる。かろうじて1敗の大関が昔の名前で出ている琴櫻である。 その琴櫻は豪ノ山と
3日目から高安が休場した。初日の取組が発表されたときは朝乃山と尊富士の2人だった。これだけでも小結と先場所優勝者でかなり痛手である。それから3日経って関取休場者は7人に拡大した。あまりにも短期間での増
2日目から横綱照ノ富士と大関貴景勝が突然休場した。ともに出場は1日限りだった。 照ノ富士は、本当は初日から休場予定ではなかったのか。ところが、一月場所優勝者として優勝額贈呈式、優勝額掲揚の行事をこなさ
チケットは超スピードで完売した五月場所。そんななかで初日が始まった。館内では顔なじみと3、4人出合った。これからの場所中に一緒に観戦する仲間である。それにしても場所の感覚が離れていただけに不慣れな部分
すでに朝乃山、尊富士の休場が発表されている。尊富士は先場所の優勝者である。初日前日の優勝額贈呈式には師匠伊勢ヶ濱親方が代理出席した。当然ながら盛り上がらない優勝額贈呈式になった。もっとも5月1日の地元
照ノ富士 8回貴景勝 2回霧島 1回2琴櫻 1回豊昇龍 0回 これは何の数字かおわかりだろうか。実は幕内における13勝以上の成績である。照ノ富士はさすがに多いが、大関は数少ない。貴景勝は20
先場所優勝した尊富士。新入幕で優勝したことが大きく取り上げられた。それは当然といえば当然である。場所は予想しない方向で盛り上がった。 <尊富士優勝> だが、尊富士はそれだけではなかった。序ノ口から9場
きたる五月場所、照ノ富士が出場するか否かは不明である。三月場所はやすやすともろ差しをゆるし、もろい相撲が目立った。巡業ではそれなりに稽古をしたが、万全とまではいかない。稽古総見では土俵にあがらなかった
時疾風は小学生から相撲を取る相撲少年であった。ほかのスポーツもやっいぇいたが、中学・高校は相撲に専念していた。大学は東農大に進学した。卒業後は時津風部屋に入門した。 前相撲からのスタートだった。四股名
現代は元大関が花盛りである。高安・朝乃山・御嶽海・正代と顔をそろえている。その中で大関復帰を思わせる力士はいない。大関復帰は簡単な話ではない。 <朝乃山> 大関から落ちた直後10勝以上で大関に復帰した
誰が優勝するか場所前から予想が立たない。時には思いがけない力士が優勝を争う。まさに混迷の時代である。 しかし、これが思いがけない事態をもたらした。大相撲人気を高めているのである。昨年の九月場所、今年の
琴櫻が登場したとき将来相撲一家になるとは想像できなかった。弟子の琴ノ若が娘婿となり、その子が現在大関の琴ノ若改め2代目琴櫻である。祖父・父は関取であった。王鵬も父貴闘力、祖父大鵬である。ただ、父は指導
メモリアルホールは占領軍に接収された。それだけではない。日本人立ち入り禁止の立て札が立った。 大相撲は開催場を求めてジプシーの状態がしばらく続いた。東京場所は明治神宮外苑、浜町仮説国技館で興行した。大
公開稽古総見にいってきた。季節的にはいまが一番いいかもしれない。6時半ごろ両国に着いた。2列に並んでいて南門より少し前に並んだ。 7時半ごろ入場し始めた。いつも通り東西の出入り口から入った。相撲仲間の
欧勝馬はモンゴル及び学生出身である。日本体育大学出身で4年のときに学生横綱になっている。その前に高校に元朝青竜のすすめで留学している。日本の生活は学生時代で7年に及ぶ。 プロでは元琴欧洲の鳴戸部屋に入
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一月場所の新入幕大の里は大活躍であった。横綱照ノ富士、大関豊昇龍、優勝同点の関脇琴ノ若と対戦した。力及ばず敗れたものの11勝4敗の好成績をあげた。人によっては横綱戦はやりすぎという見方があった。 これ
昨年12月元寺尾の錣山が死去した。60歳という若さだった。近年定年前に亡くなる親は少ない。一月場所、所属力士は錣山部屋で土俵にあがった。場所後元豊真将の立田川が正式に錣山となった。 <霧島> 今年の4
三月場所、琴ノ若は新大関として登場する。新大関はどこまでやるか。先輩大関貴景勝は途中休場、霧島は6勝、豊昇龍は8勝で終わっている。けして期待に応えたとはいいがたい実績である。勢いがある時は誰でもよく見
元栃錦は任期がまだあるなか、理事長をライバルの元若乃花の二子山に禅譲した。それだけに子山理事長の任期は約3年2カ月と短期になった。立ち合いの待ったに罰金を導入したが、悪いのは待ったしたほうとは限らない
三月場所初日まで1週間に迫った。すでにチケットは完売である。多くの相撲ファンはテレビで観戦になる。しかし、その大相撲中継が通常とは異なることになりそうである。 <大阪場所の相撲風景> 大相撲中継の天敵
昭和36年1月年寄の定年制が始まった。元元双葉山の時津風から対象になった。その時津風理事長は思いもよらず昭和43年12月に逝去した。巨星堕ちる。56歳だった。 <時津風(元双葉山> 翌年元羽黒山の立浪
さる一月場所、休場続きだった照ノ富士が復活優勝を遂げた。それも琴ノ若を追いかける展開となって自力で並んだ。さらに優勝決定戦でも琴ノ若を一蹴し、9回目の優勝となった。ここまできたら10回目を目指すのは当
武蔵川理事長の後を受けて理事長に就任したのは元栃錦の春日野であった。出羽一門による継続である。それだけにすんなりとはいかなかった。立浪・伊勢ヶ濱連合が元照國の伊勢ヶ濱を担ぎ出したのである。これに元佐賀
昭和戦前に引退した横綱の年寄率を見ていこう。宮城山 年寄白玉→芝田山部屋 48歳死去3代目西ノ海 年寄浅香山部屋 42歳死去ともに病死で年寄としては短期間で終わっている。 <宮城山のブロマイド> 常ノ
尊富士は幼少のころから相撲を取っていた根っからの相撲少年であった。中学のときには白鵬杯に参加している。進学は相撲の名門鳥取城北高校であった。さらに大学は日大へ進んだ。相撲部では輝鵬と同期であった。 2
三月場所の番付が発表された。新大関の琴ノ若は途中休場の貴景勝の風下に立った。これは当然のことではない。北の富士・玉の海が新横綱になったときは全休の大鵬より上位に位置した。栃東以前はこれが当然だった。ど
元双葉山の時津風理事長急逝後、理事長となったのは元出羽ノ花の武蔵川であった。出羽ノ花は現役時代前頭筆頭が最高位であった。そんな武蔵川がどうして理事長になれたのか。それは簿記を学び経理を担当し、協会の財
暴力事件の処分はくだされた。北青鵬の引退勧告、師匠の元白鵬の宮城野2階級降格及び減給。さらに師匠代行が置かれることになった。師匠宮城野と北青鵬が部屋の前で反省とお詫びをして幕を閉じた。北青鵬はその場で
日本相撲協会は臨時理事会を開き、北青鵬と師匠元白鵬の宮城野の処分を決定した。北青鵬は部屋での暴力が続いただけでなく、金銭トラブルもかかえていたという。引退勧告処分となり、北青鵬は引退届を提出した。解雇
Q 御前掛かりとは何ですか 天覧相撲における土俵入りで、正面を見て4人5列くらいに並びます。四股を右2回左1回踏んでそんきょします。場内アナウンスで紹介されて立ち上がり礼をしてさがります。昭和天皇の天
現役の横綱年寄は横綱の代でいうと北勝海以降である。北勝海から稀勢の里まで12人の横綱がいる。亡くなられた方はいない。現在年寄でいる元横綱は7人である。貴乃花が離職しなければ13人であった。現在の横綱年
元常ノ花の出羽海理事長の自殺未遂を受けて理事長に就任した者が元双葉山の時津風であった。時津風理事長がまず手をつけたのは、月給制であった。これまで力士の待遇改善を求めて数々の事件がおこった。生活の安定を
外国人力士といえば高見山しかいなかった時期があった。その後ハワイが一代勢力になっていった。さらにモンゴが次から次へと続いた。ヨーロッパからも来た。高見山は関脇だったが、大関、横綱になるにつれ、優勝がつ
現在の理事長は元北勝海の八角である。理事長の座を脅かす者は見当たらない。昨年は還暦の土俵入りを披露したが、定年まで務めると12年半の任期になる。もっとも定年前に身を引くこともあり得る。 <八角還暦の土
大鵬時代はいつ終わったのか。柏鵬時代という言い方はあったが、実態はともなわなかった。柏戸は大鵬に差をつけられ、本当は大鵬時代であった。筆者の見方は、大鵬時代は昭和44年五月場所までである。大鵬が30回