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文學界新人賞・市川沙央さん 「なにか職業が欲しかった」ままならぬ体と応募生活20年の果てに 「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」#1

市川沙央さん=撮影・武藤奈緒美

療養生活という名の引きこもり

 取材は市川さんが両親と暮らす自宅で行われた。お母さんに案内された部屋で、市川さんと目が合った瞬間、その射貫くような眼差しに気圧された。市川さんは筋疾患先天性ミオパチーという難病により、人工呼吸器を使用しているため、発話に大変な体力を使い、リスクもある。そのため取材も、あらかじめメールで回答をもらい、補足のみ、最小限お話いただく形をとった。

 目力の強さはそれが市川さんのコミュニケーションツールだからだろう。そして、もう一つの切実なツールが「書くこと」だった。

「病気は幼い時から判明していたのですが、14歳のとき、疲れやすくなるなど症状が進み、念のため入院。さなかに意識を失い、目覚めた時には気管切開され、人工呼吸器をつけていました。そこから療養生活という名の引きこもり状態に。20歳を過ぎて、世間では就職という年齢だなあ……と。家から出られない、話せない自分にできることは……と考えたとき、小説家になろうと思い立ちました」

 島田雅彦さんのファンだったことから、当時島田さんが選考委員を務めていた「文學界」に応募しようと『優しいサヨクのための嬉遊曲』の右翼版を書くも、400字詰め原稿用紙5枚も書けず、純文学は断念。小学5年生の頃から夢中で読んできた集英社コバルト文庫のコバルト・ノベル大賞(現・ノベル大賞)に方向転換。(清も昨年初応募。一次選考は通過したものの、「設定がありきたり」とばっさり落選……)

「コバルト・ノベル大賞の応募は20年以上皆勤賞。もはやライフワークですね。文學界の結果が出る前に締め切りだったので、今年も出しているんです。最初の応募作が一次選考を通過し、その後も最高で三次まででした。ほかにも、女性向けライトノベルやSF、ファンタジーの賞に応募。多いときには350枚程度の応募作を年3本書いていました」

執筆はベッドに仰向けに寝た姿勢で、iPad miniをゲーム機のように持って入力する。家族の邪魔が入らない深夜に書くことが多い=撮影・武藤奈緒美

書くことしかなかった

 20年以上落ち続けても書くことを諦めなかった。

「10年ほど前に、コバルト編集部から電話がかかってきたんです。『類い稀な才能がほとばしっている』って絶賛されて。連絡はそれきりでしたが、自信を持ちました。それにほかにやれることがあれば、そっちに向かえたんでしょうけど、私には書くことしかない。自分にとって身体的に一番ラクなのが小説だったんです」

 昨年もノベル大賞に応募した最大の自信作があえなく落選した。

「『ゲーム・オブ・スローンズ』をロマンス寄りにした感じの物語で、側弯症で片目も奇形の王様が活躍する話でした。物凄いものが書けた、もうこれで絶対に獲るんだ、と思っていたので、三次通過止まりという結果に心がぼっきり折れて………。当時、早稲田大学の通信課程の卒論で『障害者表象』という重いテーマと向き合っていたこともあり、どんどん心が荒み、この暗いどろどろをぶつけるのは純文学しかなかろう、と。そう思い立ったのが昨年の夏頃でした」

 執筆期間は1カ月。なんと卒論とエンタメ系文学賞・魔法のiらんど大賞(下限10万字)の締め切りとかぶり、並行して進めていたそう。なぜそんな無茶を…。

「貧乏性なんでしょうね。目の前に応募できる賞があるのにスルーなんてできない。女性向けのラノベは、読みやすく、きらきらとした美麗な文章が求められるので文体にかなりカロリーを使うのですが、『ハンチバック』は文章の硬いところをあえて残しているし、少ない文字数なので1カ月でも間に合うと踏んでいました。結果、ラノベのように改行を多用しないので進みが遅くて締め切りギリギリに……」

 この時書いた卒論もまた、学内賞である小野梓記念学術賞を受賞。市川さん、やっぱりただの天才じゃないですか!

「私の中で『ハンチバック』は裏卒論なんです。二つは同じことをテーマにしていて、卒論が小説を、小説が卒論を引き立ててくれたのだと思います。障害者と同性愛者の表象史の近接性についてゼミの先生と話していた際に、勧められたのが千葉雅也さんの小説『デッドライン』と『オーバーヒート』。今振り返ると、性風俗と学問を行き来する感じも含め、純文学の書き方のアプローチとして頭にインプットされたように思います」

卒論の資料がそのまま「ハンチバック」の資料ともなった。とくに感銘を受けたのは『凛として灯る』(荒井裕樹)。モナ・リザに赤いスプレーをかけようとして逮捕されたウーマン・リブ活動家であり、障害者でもあった米津知子の評伝で、この事件は作中にも登場する=撮影・武藤奈緒美

 最終選考に残ったという連絡を受けてから、今に至るまで「感情が消えたまま」という市川さん。

「『文藝春秋の……』というお声を聞いた瞬間にどうも感情のブレーカーが落ちたみたいで。それ以降ただただ現実がさーーーーーっと流れていく感じです。なので、受賞の連絡をいただいたときも、ちゃんと喜ばないと失礼になると思って頑張って『わー』とか言ったんですが、棒読みだったと思います。年末くらいまでには戻ってくるんですかね、感情……」

 主人公の釈華は市川さんと同じ難病で年齢も同じ。これは私小説なのでしょうか?

「自分としてはせいぜいオートフィクション。重なるのは30%という感覚です。ただ私小説的に読まれるだろうと予想できたので、家族には読まないでと言ってあったのですが、父が読んじゃって…。かなりショックを受けたようで、喧嘩になっていまだ冷戦中です」(とはいえ、取材後の急な雨にスタッフ一同を車で駅まで送ってくださったお父さん。車中の会話から娘を誇りに思う様子が伝わってきました)

行き詰まったときは散歩の代わりにピアノを。「ハンチバック」の執筆中はショパンの「雨だれ」をよく弾いた=撮影・武藤奈緒美

正業がある人への劣等感

『ハンチバック』を書き上げ、受賞したことで、“どろどろ”は解消されたのでしょうか。

「通じたな、と思いました。ただ、受賞してもまだ書き手としての劣等感が消えません。私は書くしかないから書いているのであって、正業があってそれでも小説が好きで書いている人々には絶対に勝てないと思っているんですよ。とはいえ、環境のせいにしながら20年以上しつこく描き続けるということもふつう出来ることではないのだろうし、どこか反語なんでしょうね」

 振り返ってみて、なぜ『ハンチバック』は受賞できたと思いますか。

「時勢にマッチしたのはわかります。しかしこれまでも、小説の中身はもちろん外側の戦略―社会の流れの中で作品がどう受け取られ、どうアピールするか――も私はちゃんと考えて各賞に応募していたんですよ。エンタメではそれが一切通じなくって、どうして今回はむちゃくちゃ通じたのかわからないです。Why⁉ ただ一つ思うのは、純文学には型がなくて自由ということ。エンタメは流行の型にいかに合わせるのかが勝負で、私にはその才能がなかった。このまま純文学を書き続けようと思っています」

 市川さんにとって「小説家になる」とは。

「う~ん、今はプロアマの境目って限りなく薄れていますよね。私も小説投稿サイトの端に棲息していたので、読んでくれる人がいれば小説家だし、小説家になる/ならないというより、やる/やらない程度のことだと思うようになりました。そのほうが公募で一喜一憂するより精神衛生上良いですし。ただ、自分にとっては公称することができる職業名を得たというのは大きいです。この先やっていけるのかな、という不安はありますが」

 最後に、小説家になりたい人へアドバイスをお願いします。

「『相転移』という言葉が好きなんです。水を温めるとやがて沸騰して水蒸気になるように、すぐに成果に現れなくてもエネルギーを注ぎ続ければいつかは劇的な変化が訪れる。そう励ましてくれる『タイムトラベル少女~マリ・ワカと8人の科学者たち~』というアニメの第7話は、挫けそうになった時におすすめです。20年もしつこく書き続けていれば、相転移できるみたいです。できなかった場合は特級呪物が生成されるのでおすすめは絶対にしません!」

 これらの生き生きとした回答のほとんどが、市川さんから送られてきたテキストだということに改めて驚く。話す代わりに20年以上書き続けてきた人が、書くよりほかなかった人が、「異世界ではなく日常を舞台にし、“ほんとう”の地味なことを書く」と決めた時、エネルギーが爆発し、相転移が起きた。

 悔しさを抱く隙もないほど、この人が小説家になったのは必然だったと感じた。

市川沙央さん=撮影・武藤奈緒美