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「考え抜く」ことを考える――信仰、社会、そして人間 紀伊國屋書店員さんおすすめの本

記事:じんぶん堂企画室

イエスは戦争について何を教えたか

 私はキリスト教信者ではなく、他に熱心な信仰もありません。敬虔な信者の方が少なからずおられることは知っています。失礼がないように気を付けたいのですが、宗教と戦争、特に「汝の敵を愛せ」がその信仰を表す代名詞といってもいいであろうキリスト教と戦争の問題は、信仰を有する人もそうでない人にも非常な難問であることはおそらく衆目の一致するところでしょう。

 サイダー『イエスは戦争について何を教えたか』(あおぞら書房)は、新刊案内で書名を見た時から気になっていた一冊でした。サブタイトルは「暴力の時代に敵を愛するということ」。著者はこの難問に果敢に挑みます、徹底的に聖書を読み抜くことによって。何等かの保留や仮定を導入することなく、とにかく徹底して聖書の、イエスの事績に寄り添うことで、一切の暴力を拒否するイエスの姿を浮かび上がらせます。聖書を手元において読むのもおすすめです(特に三章・四章で取り上げる事績は多くの人にとってなじみ深いものだと思います)。

 キリスト教信者にとって、この一冊がどのような意味を持つのか、私にはわかりません。が、すぐれた批評としても、キリスト教理解の一助としても、信仰の有無にかかわらず読みうると思います。サイダーの、聖書に向き合い考え抜く姿勢に心打たれます。

社会の捉え方を根本的に考える

 吉田敬『社会科学の哲学入門』(勁草書房)は、実際の講義の様子を想像しながら読みました。たいへん俗な言い方ですが、「社会をどうとらえるか」を根本から考えるためのテキストです。

 第一章で例示されたサッチャーの発言を題材とした方法論的個人主義と方法論的集団主義の対比、第四章で取り上げられた女性器切除問題と文化相対主義など、興味深い論点は多々あり、おのずと著者とともに考えこんでいる自分に気づきます。これまた俗な言い方ですが、脳を鍛えているな、と感じながら頁をめくっていました。

 自説には抑制的な著者は、終章では自身の考えを(やはり抑制的に)述べます。一か所だけ引きましょう。

社会科学の理論を常により良いものに改善していくために、私たちは自分のお気に入りの理論を絶対視せずに、客観的真理を探究するための仮説と捉えるべきである『社会科学の哲学入門』(p.211)

 だからこそ自己批判・相互批判が重要だ、と著者は説きます。自分自身、また昨今の言論をめぐる諸事情がそこはかとなく思い起こされ、身につまされる一文でした。

連帯することのかけがえなさと難しさ

 自己批判も難しいですが、他者からの批判を受け入れることも、必要ではあっても困難なことです。他人と関わる以上、お互いの違いには必ずぶち当たります。その違いを違いのままとして、それでも共通する何ものかを探し求めてともに生きることはできないものか。

 こう書くといささか「もののけ姫」めいた問いになりますが、それを意識してもしなくても、馬渕浩二『連帯論 分かち合いの論理と倫理』(筑摩書房)はべらぼうに面白い一冊でした。社会的/政治的/市民的連帯を理論、歴史から追いつつ、連帯することの困難と展望にまで触れています。
 連帯のかけがえのなさと同じくらい、その困難さも語られるのが世の常。「通じあえてよかった」と感激することと「結局独りぼっちなんだ……」と思うこととは同居します。それが人生だといってもいいくらいではないでしょうか。

 白眉は第8章「人間的連帯と倫理」。連帯を人間の身体から捉えなおすこの章は非常に説得的だと感じましたが、他の読者はどうでしょうか。自分ひとりで読むだけでなく、じっくりと読書会をしてみたい、と思います。

 なお、人と人との関係では避けて通ることのできない「感情」の問題には、必ずしも大きな紙幅を割いているわけではありませんが、その困難についてはしっかりと記述されています。おこがましいですが、信頼に値するものでしょう。

 3冊を振り返ってみて、テーマは異なるところあれど、いずれも独りよがりの考え方ではなく、先人の事績や社会、人間に向き合い考え抜くという点で共通するものがあることに気づきました。そう初めから思って選んだわけではなかったのですが……、興味深いことです。

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