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ライター・作家のブレイディみかこさんは、1996年から英国ブライトン在住。最新作は初の自伝的小説『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』(KADOKAWA)
Photo: Hiroshi Nagai

ライター・作家のブレイディみかこさんは、1996年から英国ブライトン在住。最新作は初の自伝的小説『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』(KADOKAWA)
Photo: Hiroshi Nagai

クーリエ・ジャポン

クーリエ・ジャポン

Text by Chihiro Masuho

コロナ禍で医療や福祉、小売業に従事するエッセンシャルワーカーの存在が脚光を浴びた一方、他者をケアし、社会インフラを支えるために働く彼らの賃金は低く、待遇も改善されないままだ。

新著『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』で、ケアする仕事に就く人々が抱える貧困や差別の問題を取り上げたブレイディみかこさんは、状況は依然として厳しいままだが、日英両国で変化の兆しが見えはじめていると話す。

報われない「聖なる仕事」


──『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』(KADOKAWA)では看護師や保育士など、いわゆるケア労働に従事する人たちが職場でのハラスメントや貧困に苦しむ姿が描かれています。

英国ではコロナ禍で、医療従事者などのエッセンシャルワーカーがすごく感謝されたんです。ところが彼らの賃金はその後もまったく上がらず、物価高が始まると生活苦に陥りました。看護師さんがお金がないので食事を抜いて働くとか、彼らが貧困で苦しむ様子がメディアでも積極的に取り上げられました。

デヴィッド・グレーバーは『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)のなかで、看護師や保育士、教師など、他人をケアするような仕事をしている人は、社会に貢献する意味のある仕事をしているのだから、高い給料をもらわなくてもいいという倒錯した認識が社会に浸透していると書いています。

日本でも教師を「聖職者」、看護師を「白衣の天使」と呼んだりしますが、子どもの世話をしたり、病人の看護をしたりする人たちは「聖なる仕事」をしているんだから、お金のような汚い話をするなというか、低賃金で清く正しく働いてほしいと思われている部分があるのではないでしょうか。彼ら自身もそれに縛られているところがあって、賃金を上げろと闘えなくなっているのかもしれない。

『ブルシット・ジョブ』が話題になったとき、「こんなクソみたいな仕事に毎日忙殺されているなんて!」と、当事者であるホワイトワーカーたちはすごく盛り上がっていたけれど、「シット・ジョブ側の議論が忘れられているのでは? 自分の仕事だけがクソだって盛り上がって終わるべきじゃないんじゃない?」とは思いましたね。

私の周囲にも看護師とか介護士とか、ケア仕事に就いている人がたくさんいますが、業務内容は過酷なのに報われないことが多いと感じます。患者さんからきついことを言われたり、暴力を振るわれたり。英国民保険サービス(NHS)で働く医療従事者の女性たちが、ひどいセクハラを受けていることも問題になりました。


「縦の多様性」がないと無知になる


──ケア仕事を担うのは、たいてい労働者階級の人たちです。『私労働小説』は階級差別の問題も取り上げています。上流階級のある家族は豪邸に住んでいるけれど、そこでシッターのように下働きをする人は薄暗い地下の家事部屋で生活しています。英国では現代においても「階上」と「階下」の生活がくっきりと分かれていて、幼い子どもたちの間にも階級意識が明確に根づいていることに衝撃を受けました。

少女が、使役動詞(let)を使って、自分よりずっと年上の大人であるシッターを指して「ここで食べさせちゃいけない」と言う場面ですね。親がそういう言葉を使うから、子どもも真似するんでしょうね。上流階級の子どもには「私たちは階下の人たちとは違う階級の人間なんだ」という考えがいまでも染みついているのかと驚きました。ビクトリア朝時代かよ、と。

『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』(KADOKAWA)
ブレイディみかこ著



さらに、近年は新自由主義の影響で「ジェンダーや人種による差別とは違って、貧しい人は努力していないだけだ。自己責任で頑張れよ」という考え方が広がり、階級差別があまり問題視されてこなかった面もあると思います。

でも英国は少しずつ変わってきていて、特に(英政治コラムニスト)オーウェン・ジョーンズが『チャヴ 弱者を敵視する世界』(海と月社)で階級差別について書きましたよね。人種差別と同じように人権問題ではないのかと問題提起したら、ベストセラーになりました。以来、人々の考え方も少しずつ変化している気がします。

むしろ階級差別に関しては、日本のほうが遅れていると感じます。たとえば日本では「育ちの良い人だけがわかっている」みたいなことをテーマにした書籍や記事をよく目にしますが、英国だったら差別的という理由で叩かれるでしょう。

育ちの良さには裕福なだけでなく、「ちゃんとした家庭で育てられた」という意味があるのかもしれないけれど、いろんな理由でそれがままならない家庭もあるでしょう。

たとえば病気や障がいなど、まったく自己責任ではない理由で貧困状態にある人もいます。貧困で明日どうなるかもわからない生活を送っていると、メンタルを病み、希望とかやる気とか、人を信じる力を奪われることもあるでしょう。

「ちゃんと育てることができる」とか「育ちがいい」というのは、とても幸運なことです。だけど幸運に恵まれなかった人が、幸運な人に劣っているわけではない。だからこそ、「育ちが悪い人だけがわかっていることを伝えてやる」と思ったことも『私労働小説』を書いた理由のひとつです。

──日本は英国ほど階級差について意識的に考える機会が少ないので、逆に無神経なところがあるのでしょうか。

それもあると思います。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)を出版した後、「これを読んで、子どもをインターナショナルスクールに入れようと思いました」という感想をもらったことがあります。

でも私はあの本で、(外国の教育を受けさせる意義ではなく)貧困層とか中産階級とか、いろんな階層の子がいる「縦の多様性」のある環境に身を置くことの大切さを書いたつもりでした。同じような境遇で育った似た考えを持つ人たちだけでなく、異なる家庭環境の人と触れ合わないと、他人が何を考えているわからなくなって人間は無知になると思うんです。

あの作品に登場する「元・底辺中学校」では、中産階級の子も制服を買えないような子も、お互いに学び合っていたんですよね。

日本では階級差別はずっとないことにされてきて、最近ようやくあると言われるようになってきたけど、実際には昔からあったんです。そこを隠蔽しないようにしないと、それこそ他者の靴を履いたことにはなりません(註)。人種とかLGBTQとか「横の差別」だけでなく、「縦の差別」についても意識的になる必要があると思います。

(註)『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』のなかで、ブレイディさんの息子さんがエンパシー(意見の異なる相手の立場を想像する知的能力)を「自分で誰かの靴を履いてみること」と説明した。

──確かに、異なる階層やコミュニティの人たちと触れ合う機会が増えれば、シット・ジョブに就く人たちの状況に対する理解も深まりそうです。

先進国で少子高齢化が進むいま、ケア仕事に就く人は大事な人材です。「そういう人たちは聖なる仕事をしている」と言いながら、社会の下働きみたいに扱って、社会的にも金銭的にも報酬を与えていないこの「大いなる歪み」の構造を正していかないと、これから大変なことになると思います。

価値ある仕事をしているなら、それに見合った報酬と地位を認めるべきです。

英国では、2022年から医療関係者が賃上げを求めるストライキが頻繁に起こっています。看護師や救急隊員のストが長引いたら怒る人も出てきそうなものですが、「コロナ禍であれだけ頑張ってくれた人たちが生活苦に陥るのはおかしい」と、6割以上の人が支持しています。

価値観が変わる兆しが見えはじめていると感じています。

「ジャニーズ問題」で感じた変化


──日本でも8月に大手百貨店そごう・西武の労働組合が、米国の投資ファンドへの売却などに反発して61年ぶりにストライキを決行して話題になりました。特に関心が集まったのは、「日本ではなぜストがこんなに少ないのか」ということでした。

日本では、「ストは迷惑」と言われますよね。これはメディアの報道にも原因があると思います。私もその頃、日本に滞在していてニュースを見ていたのですが、「迷惑です」という街の声ばかりを取り上げている。なかには支持している人も絶対にいるはずです。

日本の労働や貧困の問題を取り上げた『THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本』(新潮社)を書いたとき、取材をした人たちはみなさん「日本はストライキも起こらない国ですから」と言っていました。

賃上げにしても、労働者が立ち上がって勝ちとるんじゃなくて、政府が経団連にお願いして上げてもらっているって。ところが今年はストが起こりました。欧米でストが多いことに影響を受けている面もあるんでしょうけど、私は日本が少しずつ変わっている気がしています。

3月にBBCが報じたジャニーズの性加害の問題でもそれを感じました。BBCの番組を見た後、「こんなにすごい問題を報道されて、日本はどうなるんだろう」と息子に訊かれ、「どうにもならないよ。きっと全部いままで通りだと思う」と答えたんです。ずっと外から日本を見てきて、異様なほど変わらない国と思っていましたから。

ところが時間はかかりましたが、いまはジャニーズの問題が大きく報じられるようになり、何かが変わりはじめています。実際に日本に暮らす人たちからしたら、変化の速度が遅くてイライラするのかもしれないけれど、いまが大事なんじゃないですかね。

なかったことにして忘れてしまったら、また元に戻ってしまいます。ストにしても、ジャニーズの問題にしても、日本が変わるきっかけになればいいですよね。


「自分を愛することは、闘い」


──『私労働小説』には、ハラスメントをされる不本意な仕事を続けるかどうか悩んでいる日本人女性に、下宿先の黒人女性が「自分を愛するってことは、絶えざる闘いなんだよ」と鼓舞する場面があります。これはどんな思いが込められた言葉なのでしょうか?

あれは、私が英国で実際にかけられた言葉なんですけど、ジェイムズ・コーンという黒人神学を切り拓いた神学者が同じようなことを言っているんです。


『それで君の声はどこにあるんだ? 黒人神学から学んだこと』(岩波書店)の著書である榎本空さんは、米国の神学校で彼から直接、神学を学んだ人です。コーンさんは、「この愛は闘いだぞ、わかるか」と仰ったそうです。

コーンさんは、(1950~60年代に)米国で公民権運動が盛り上がるなか、西洋の白人神学者たちによるキリスト教神学は、ストリートで繰り広げられている黒人解放運動に応える言葉を持っていないのではないかという問題意識を持ち、黒人の神学を打ち出しました。

露骨な差別で虐げられてきた人たちは、いろんな場面で「劣っている」と思い込まされてしまう。だけどコーンさんは、どうして自分は黒人に生まれたんだろうと悲観し、この運命を受け入れていくしかないと考えてはいけない。黒人としての自分の存在を肯定し、愛せと言ったのです。その愛こそが闘いなのだと。

私に同じようなことを言ってくれたのも黒人の年輩の女性で、「シット・ジョブをしていると他人から軽んじられがちだし、自分を卑下してしまいそうになる。簡単なことではないけど、自分を愛しなさい。それは絶えざる闘いなんだ」と言ったんです。いま思えば黒人の彼女は、80年代の英国で階級と人種という二重の差別と闘っていたんだと思います。

この言葉は、(明治から大正にかけての婦人解放運動家)伊藤野枝の思想にも通じています。アナキズム研究者の栗原康さんが「伊藤のすごいところは、失業者にもストライキをしろと言ったことだ」と。

仕事をしてないのに何でストライキをするんだろうと思いますけど、失業者は社会の役に立ってないと自分を卑下しがちですよね。でも誇りを持てと伊藤は言う。これは「自分を愛せ」と通じると思います。「政府や企業に何とかしてくださいととりすがるな。労働者たちも自分で勉強して闘え」と、伊藤はお尻を叩くわけです。


栗原さんは、(無政府主義の思想家)大杉栄みたいに恵まれた家庭で教育を受けて育った知識人は、どうしても上から目線で言っているように見えてしまうんじゃないかとひるんでしまって、伊藤みたいにお尻は叩けないと言っていました。

「黙っていたら搾取されるから、誇りを持って自分たちで立ち上がって頑張れ。助けられることがあれば、するから」というメッセージを発した伊藤野枝のほうが、厳しいようでいて、実は本当に労働者のことを考えていると言えます。

逃げることも闘いの手段


──実際に闘うより、体制に従って思考停止したほうが楽な場合もあります。『私労働小説』にも、組織や仕事の大きなシステムに飲み込まれ、自分の意志や希望を失っていく女性が登場します。

たしかに言われるがままにやっているほうが楽かもしれないですけど、そうやって流されていると、命を危険にさらすこともあります。ブラック企業なんかで働いていると、そうですよね。

みんなで連帯して闘うのが無理な環境なら、ひとりで逃げてもいいと思います。私も、いろいろな仕事から逃げてきたけれど、振り返ってみるとあれはひとりでストをやっていたんだなと。石の上にも3年なんて言う人もいますが、それで体を壊しても誰も責任をとってくれません。自分を愛するなら、逃げるのも一つの闘いの手段です。

──英国の女性たちは、自分の状況を改善するために闘っているのでしょうか?

闘います。納得がいかないことがあれば意見を言うし、そもそも賃金は交渉するものだとみんな思っていますから。

ロンドンの日系企業に勤めていた頃、英国人女性の同僚が、「私はもっと貢献しているから、給料を上げてほしい」と日本人の上司に直談判したのに驚きました。そんなことに慣れていないので、上司もあたふたしていましたが。

日本のように給与明細を見て、「今年もこれだけしか昇給しなかった」で終わることはないんだなと思いました。あらゆる局面で、自分で立ち上がらないとどうにもならないとみんな知っているし、闘うことが普通なんです。というか、たぶん、それが普通になり過ぎていて、本人たちは「闘っている」なんて意識はないと思います。

日本の若い女性にとって、職場は社会のシステムのおかしさや生きづらさを最も実感する場所だと思います。ところがその怒りや不満を我慢してシステムの一部になって黙っていると、自分を肯定してあげられなくなるのではないでしょうか。

闘うことを面倒くさがっているのかなと思うんですけど、このまま何もしないとさらに搾取されて自分を嫌いになり、あまりよい方向には行かないケースもあります。

世の中のリアルな歪みに気づいたときに、それをごまかして生きないほうがいいです。仕事で感じた疑問を直視して考える人がもっと増えれば、日本の労働が変わり、国も大きく変わるんだろうと思います。


PROFILE

ブレイディみかこ ライター・作家。1965年、福岡県福岡市生まれ。96年から英国ブライトン在住。2017年、『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)で第16回新潮ドキュメント賞を受賞。19年、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)で第73回毎日出版文化賞特別賞、第2回Yahoo!ニュース本屋大賞ノンフィクション本大賞などを受賞。他書に『ヨーロッパ・コーリング・リターンズ 社会・政治時評クロニクル 2014 2021 』(岩波現代文庫)、『両手にトカレフ』(ポプラ社)、『リスペクト R ・E ・S ・P ・E ・C ・T 』(筑摩書房)など多数。最新作は初の自伝的小説『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』(KADOKAWA)。

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