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「非モテ」が晒される性的視線

 前回の記事に対して幾つかの反応がありましたが、その中で最も的を射ていると思われたのが大野氏の記事でした。今回はこの大野氏の記事を参照しつつ、非モテの女性がWeb上で置かれている環境について考えてみたいと思います。

オタクも腐女子も、セクシャリティがその嗜好に強く反映される。そして、非モテ男と非モテ女は、しばしば「恋愛弱者」と表現される。つまりどちらの話も「性」を巡っている。男は昔から集まっては猥談などしたりして、性的な言語活動が活発だった。いかにモテるかとかセックスが強いかという自慢話。女はそこに参加することはほとんどない。そんなのは「はしたない」とされたこともあるが、それだけではないと思う。女は不特定多数の男の性的な視線(直接見なくて脳内でも)に晒されたくないのである。
この視線の中には、
『こいつ喪女だよ( ',_ゝ`)プッ;』
というのもありますが、
『喪女…処女だ(;´Д`)ハァハァ』
というのもあると思います。
極端に分けるとしたら、前者が『モテ』男性の反応、後者が
非モテ』男性の反応ですかね。
嘲笑されることにも懸想されることにも晒される、というのはキツいと思います。
(髑髏蟲氏のコメントより)

 これらの指摘は非常に重要です。というのも、こうした「嘲笑」と「懸想」の視線は、「非モテ」を論ずる際にはしばしば完全に切り離されて(時には対立概念として)語られてしまうからです。しかし、両者は「性的弱者への一方的な性的視線」という意味では同質であり、ただ「性的視線を向ける側にとっての好悪」で区別されるに過ぎません。

 多くの場合、男性の非モテ論においては「懸想」されることへの嫌悪や恐怖はほとんど語られません。「非モテ」が「懸想される」ことなど有り得ない、という暗黙の前提がそこにあります。しかしながら、実は「非モテ」の問題を切実に抱えていればいるほど、この「欲望される恐怖」は問題になってくるんです。それが最も端的な形で顕れたのが、「電車男」と2ch独身男性板の対立でした。

 「電車男」について詳しく説明する必要はないでしょう。独身男性板における相談スレッドから始まったラブストーリーで、書籍化でマスメディアに大きく取り上げられ、映画化もされたお話です。ところが、このお話は当の独身男性板の多くの住人に倦厭されており、非モテ男性の一部はこのお話を目の敵にしています。
 その根本的な理由は、お話の主人公である「電車男」が、「エルメス」という女性に「欲望される」ことによってこれまでの生き方を変え、エルメスの言いなりになってしまった、と見なされたからでした。「電車男」が個人的なお話に留まっているうちは良かったものの、ヒット作として普及することで、オタク男性への性的視線が正当化・可視化されてしまったんですね。本田透氏が「電車男」を否定し「護身」を唱えたことには、このような背景があります。
 性的視線は相手によって「嘲笑」にも「懸想」にもなります。「電車男」を倦厭した非モテ男性達は、このお話を「恋愛至上主義に迎合すれば(女性からの)欲望の対象になるが、そうでないなら嘲笑される」という恋愛至上主義のドグマのようなものとして受け取りました。(私自身は「電車男」について異なる読み方をしていますが、今回は触れません。)

 「非モテ」を「性的欲望の対象にならないことの問題」と捉える議論をよく見かけますが、これは誤りです。非モテ」は性的視線に晒されることの問題なんです。その視線が欲望的か否かなどというのは、些細な問題に過ぎません。



 以上を踏まえれば、非モテ女性の問題として指摘されているものが「非モテ女性特有の問題」ではないことが分かるでしょう。むしろ「非モテ男性の抱える問題」は、「非モテ女性」においてはもっと直截的な形で顕れているとも言えます。
 にも関わらず、非モテ男性は非モテ女性の「欲望されることへの恐怖」に対し、驚くほど冷淡です。私はこの理由を、非モテ男性達自身が「性的視線を恐怖している」ことに無自覚なためだと考えています。

 男性がWeb上で安心して「非モテ」を名乗れるのは、世間からの抑圧や規範の内面化の度合いではなく、Web上に非モテ男性の「居場所がある」という点が非常に大きいと思います。Web上の匿名のコミュニケーションmixiなどは別)では、普通の意味での「世間」からの影響はほぼ皆無ですから、Masao氏のように「世間」の影響力と内面化の度合いを考えるのはピントが外れています。このことは、同性愛者のコミュニティにとって、Webがかなり重要な位置を占めていることでも分かります。
 非モテ男性は「非モテ」を名乗ることでWeb上で仲間を得、「性的視線」に対して一人で対抗する必要がなくなります。(よく恋愛至上主義的なサイトが、はてなブックマークでバッシングされているのは象徴的です。)性的視線を恐怖する男性が「非モテ」のコミュニティに加わりたがるのは自然でしょう。ところが、彼らの多くが「性的視線を恐怖している」ことに無自覚であるために、女性が同様に「性的視線」に苦しんでいることを理解できません。その結果、「非モテ女性」を「性的視線に苦しんでいること」ではなく「どのくらいモテないのか」で判断してしまうんですね。

 こうして「非モテ」は女性にとって居心地の悪い場所となり、ますますホモソーシャル性を強めていくことになります。抱えている問題はそれほど離れていないにも関わらず、自身の問題への無自覚と他者への視点の欠如が、このような断絶を生み出すわけです。それが続く限り、「非モテ女性」の問題は性差の問題と混同され続けるでしょう。

 前回、非モテの女性が集う場としてもてない女板を紹介しましたが、ここでは時折、非モテ男性が現れて板住人に「説教」するという光景が見られます。例えば「女に生まれたくなかった」という発言に対し「今の社会で女は優遇されている、俺達こそ男に生まれたくなかった」といったレスをするわけです。(当然、住人からは迷惑がられるんですが。)はてなの「非モテ」から女性が排除されていく構図と、どこか似ていないでしょうか?