「コンピュータのきもち」発刊記念 ABC講演会 レジュメ
2002/10/26
山形浩生
コンピュータの「きもち」というとらえかた
- 山形は本当に、コンピュータに「気持ち」があると思っているのか?
→ これはある意味では例えのようなもの。半分は冗談。でも半分はまじめだ。
そもそも「気持ち」って何?
- → 具体的に「気持ち」の正体をシステム的に考察すると泥沼だ。でもふつうだれかに「相手の気持ちを考えなさい」と言われるとき、それは何を意味しているのか?
「気持ち」という捉え方の有効性はどこにあるのか
「気持ち」的電脳観の発生と発達
昔話:コンピュータとのおつきあい
- プラスチックの変な3ビットおもちゃ
- 8ビット時代:TK80 ビットイン SC/MP II にCosmac 自作時代(Z80や6809に背を向けた非メジャー指向)
- PC8001ショック
- 一太郎+1-2-3プロテクト解除とBasic からFortran, Pascal
- 大型計算機の時代 + Unix
- マッキントッシュの衝撃
歴史的なおさらいとしては……
- いろんな意味で過渡期であったこと
- パンチカードのバッチ処理から端末利用TSS、さらには対話型へ
- 大型計算機からミニコン、パソコンへ(その一方でマイコンからパソコンへの進化期)
- GUIの登場
- コンピュータ覇権の移行
- スパゲッティ型プログラミングから構造化プログラミング
- (関係ないが烏口からCADへの移行)
……そして学生から会社づとめへの移行。
マニュアル型のアプローチがなかなかうまく行かない理由
会社で出会った変な(というか普通の)人々
- 無駄なことで騒ぐ人々と、自然にできる「パソコンお世話係」
- コンピュータを「癒す」には:おたくジョークと静電気
- 「とりあえずいくつかパターンだけ覚えてそれ以上のことは考えない」という人々―― 必ずバージョンアップとかでおたつく
型について
- 何かをつきつめると、いくつかのパターン(型)に落ち着く、というのは事実。が、その型だけ教えればいいことになるのか?
- F = maを1000回繰り返したところでニュートン物理学を極められるか?
- マニュアル本はある意味で「型」の集まりなのだが……
- 応用力とは?
- 型の背景(または型に至るまでのプロセス)
- 現実世界との対応(高野『rootから/へのメッセージ』)
- 原理からの構築力(ダニエル・ヒリス)
- なんかそのごった煮
コンピュータおたくたちの問題
- 特殊な能力の持ち主問題
- 何がわからないかわからない人たちと、その人たちが何がわからないかわからない人たちの齟齬
- Linuxの一つの特徴:「タコは財産」
Unixの共有文化
- 実はそんな立派な思想に基づくものではない、かもしれない
- (だったらそれを考えれば、もっとフリーソフトをのばす方法はある、かも。ESRは指摘している)
- Linuxやフリーソフトもまた「型」の問題に入り込んではいる(がまだ間口は広い)
- 下々のわれわれにできることと、各種の自由
コンピュータの「きもち」再訪
ところで結局コンピュータのきもちはあるのか?
- 「刻んでもきもちは見つからない」という立場
- ある程度以上複雑になれば……という立場
- 複雑系的な立場 単体のアリではなくアリの巣
でも気持ちがあるとして、それはどんなものなのか?
- 瀬名秀明「あしたのロボット」/AI (人間と同じ)
- レム「虚数」のゴーレム (人間とは根本的にちがう)
そこに至る道とは?
その他余談(時間があれば)
- IT信仰:コンピュータはなぜ人を駆り立てるのか
- 自由の持つ不自由:日本の不況と小野善康理論とウィリアム・バロウズ
(付記)なにやら2ちゃんにもだれかが書き込んだうえ、それをもとにもっとカコいいのができたりしてる…… 感謝感謝。でも一言言っていただければファイルを送るなりすぐうぷするなりしましたのに。
その他雑文インデックス 山形浩生トップ
YAMAGATA Hiroo<hiyori13@alum.mit.edu>