後藤新平の台湾統治政策の中で、後藤自身が最も頭を痛めたのが、内地人の台湾に対する誤解、すなわち、正しく台湾の現状を認識していない内地人の見解を改めるにはどうするべきかと言う点であった。そこに政府より誘致のあった第五回内国勧業博覧会への台湾館としての参加であった。しかし、政府から誘致があったにも関わらず、与えられた予算はわずか2万円であった。 後藤は自分の意図を組み、第五回内国勧業博覧会への参加実現を果たすための方法として、台湾協会との連携であった。さらに、賀田金三郎が中心となって立ち上げた台湾協賛会の協力であった。 賀田は集まった賀田組若手従業員達を前に話を続けた。「ここで、台湾協会について少…