共産主義と社会主義は同じものといってもいいし、社会主義のなかの一つの思想が共産主義ともいえる。社会主義がさらに進んで共産主義になるということも基本的そうである。しかし一般的に使用する時は、どっちでも差し支えはないだろう。学校の試験でそれを問うのは不適当な問題だろう。この差異をいうと、めんどうで難解なことをいろいろ言わねばならないから。
根本的に、社会主義とはどういう思想だろうか。この社会主義という思想はユートピア思想から生まれた。
ユートピアとは、16世紀のはじめにイギリスのトーマス・モアという人が書いた『ユートピア』という本がもとである。
16世紀だから、まだ資本主義でなく農業が主で手工業があるくらいの時代である。しかし貧富の差はあったし、戦争がたえずあり、都市は生まれてそこには退廃的文化が生まれた。モアはこの貧富の差、戦争、都市的頽廃を批判し、それらがない理想郷(ユートピア島)を想像で描いた。ちなみにユートピアとはギリシャ語起源で「どこにもないところ」という意味である。
モアは、「私有財産権が追放されない限り、平等かつ公平な分配は行われないし、完全な幸福も得られない」と、すでに後の社会主義者のようなことばを残している。まだ資本主義も生まれてないのにだ。
以後、特にフランス革命を機に、多くの空想的社会主義が生まれた。18世紀である。フランスのバブーフは、富裕層を打倒し私有財産制を廃止し、人民独裁の共同体をつくりそれが社会を運営すべしとした、この共同体をコミューンといい、コミューン主義それを翻訳して共産主義というわけだ。かれの言うところは、後のレーニンの言葉といっても誰も疑わないだろう。バブーフの考えの基礎にはルソーの考えがあった。
あと、サン・シモンは、貨幣を廃止し労働を尺度として価値をはかり、共同で農耕などを行うアソシエーションをつくるべきとした。これへの参加は強制でなく各人の自由意思で参加するものとするという考えである。これなど後の社会民主主義や協同主義の元祖のようだ。あと、カペー、ルイ・ブランなど様々な空想社会主義者がいた。
マルクスは1848年に『共産党宣言』を書き上げた。また『資本論』で資本主義の経済面を分析した。また文字通り『空想から科学へ』という本も書き、社会主義の科学的定義をなした。ただ彼の大部分の業績は資本主義の科学的分析とその矛盾の批判であり、きたるべき社会主義(共産主義)社会の具体的内容を描けたわけではなく、それへの移行の道筋を描けたわけではない。それら将来の未知のことを科学的に書くことは、科学的でないからだ。
科学的社会主義の時代になってから、元祖マルクス共産(社会)主義から、第一次大戦の前にヨーロッパで生まれた議会を通じて社会主義を実現する、そして戦争を積極的に支持しようとする動き(これを批判者側からは修正主義といわれた)が生まれた。一方ロシアでは、戦争は帝国主義者同士の戦争であり労働者のためにならない、ナショナリズムに惑わされるな社会主義者は国際主義(万国の労働者よ団結せよ)でなければならず、この戦争には反対せよ、むしろこの危機を利用して内乱を起こし革命を実現せよとレーニンが唱えた。このへんからヨーロッパの各種の社会主義と、ロシアのレーニンのそれとの激しい対立が生まれ、これらを区別して、前者を社会主義、後者をとくに共産主義(レーニン主義)と区別するようなことになった。
日本でも前者が各種無産主義政党から日本社会党へ、後者が日本共産党になったわけである。
なお、マルクス主義と同じ頃、無政府主義(アナキズム)という思想も反体制思想として生まれマルクス主義と競った。むしろフランスなどではアナキズムのほうが労働者の支持者は多かった。
参考文献
和田春樹著、『歴史としての社会主義』(岩波新書)