さらに、ここで決定したコンセプトの全従業員への伝達の仕方にも星野氏は工夫をしていた。後日、スタッフ全員を集め、「いづみ荘クイズ」というクイズ形式のミーティングの機会をもつ。このクイズを通して、リピーター層や特に満足している顧客が年配の女性客であることを全員で共有したのである。このようなプロセスを経て、「熟年女性のマルチオケージョン温泉旅館」という旅館の最終的なコンセプトを全従業員に発表した。

 その後、従業員は年配の女性客を圧倒的に満足させるサービス(料理や接客等)を各現場で考え、実践に移していった。翌年には客室稼働率が前年比で1割アップし、再生の道筋がついたのである(注4)。

モチベーション・マネジメントの鍵

 上記のケースには、効果的なモチベーション・マネジメントのポイントが凝縮されている。特にこのケースで鍵となったのは、①方向性と納得感の共有と②従業員参加であると私は考えている。

①方向性と納得感の共有

 従業員のモチベーションを考える際、自身の行動を自ら方向づけられるかどうかが非常に重要な鍵となる。先述のモチベーションの構成要素を思い出してみよう。モチベーションは、欲求→動因(行動選択)→行動という3つのフェーズを経験することによって、初めてモチベーションの高い状態になる。再生前の旧いづみ荘における従業員の心理状態は、「お客様に喜んでもらいたい」という欲求は総じて高い状態にあったようだが、「どのようにして満足させられるか」という具体的な方略を導きだせない状態が続いていた。つまり、「欲求」から「動因(行動選択)」への移行でつまずいていたと言えるだろう。星野氏は、まさにこの部分を「コンセプト作り」という形で支援したのである。圧倒的に満足させるターゲット(熟年女性)を明確化し、そこに従業員からの「共感」を生じさせるという方向性と納得感の共有化を試みたのである。

 モチベーションの理論に「目標設定理論」(goal-setting theory)と呼ばれるものがある(注5)。 この理論は、人のモチベーションを設定する目標の性質に着目し説明している。これによると、人のモチベーションが高まるのは、(1)目標が具体的で明確であること、(2)目標が一定以上の困難度を伴うことの2つの条件が整った時であるという。(1)について、先述のケースでは、具体的なコンセプト(目標)の設定によるターゲット(顧客)の明確化により、従業員各人がどこに向かって自ら進んでいったらよいのかという行動の方向づけを共有できた点を指摘できる。