空耳(そらみみ)とは、実際には聞こえてないが、聞こえたような気がすること。転じて台詞や歌詞が実際とは異なる言葉に聞こえること。具体例は「空耳の一覧」を参照。
概要
空耳の本来の意味は「猫の声が聞こえたが空耳だった」「空耳だと思ったら実際に名前を呼ばれていた」のように使い存在しない音や声が聞こえる事である。この現象は幻聴とも呼ばれる。
誰もいないはずの場所で声が聞こえた時は空耳である。もしかしたら幽霊の仕業かも知れない。
昨今では、上記の意味が転じ「本物の歌詞ではなく、偽の歌詞をつけて、それがあたかも本当に聞こえること」を意味する事が増えた。その使い方を広めたのが、テレビ番組タモリ倶楽部の「空耳アワー」である。
そのような、「本来の歌詞とは違う歌詞を付ける」という意味で、ニコニコ動画では、普通の動画にデタラメな歌詞をつけた空耳作品が多く出回っている。
以下、この記事では「本来とは違う歌詞・言葉に聞こえる」という意味で空耳を解説する。
歌詞が別の言葉に聞こえる空耳に付いて
歌詞・言葉が別の言葉に聞こえるという空耳は、心理言語学や神経言語学によって次のように科学的に説明される。
人間は、聴覚によって外部からの音を脳内に取り込む。そして、その聴覚情報を言語野に伝達する。言語野に蓄積されている単語(音韻)には、個人ごとに「重要な概念」もしくは「頻繁に使う単語」において、優先順位が決められている。そして膨大な単語(音韻)には当然「非常に似た」単語(音韻)が存在する。
したがって、「空耳が聴こえる状態」とは、その「個人が聴いた音韻」が、言語野に蓄積されている言語(音韻)の「優先順位にしたがって」選択され認識されることである。そして、この現象は1単語に限らず、フレーズにも発生する。
例えば、「俺、かったよ!」という、音韻のみを聴いたとする(物理的・論理的な意味の繋がりが無いと仮定する)と、個人によって、「かったよ!」の部分が、「買ったよ!」や「勝ったよ!」と言語野で認識される。つまり、その個人の言語野にとって「優先順位が高い」単語(音韻)として選択され、認識される。
特別な例として、言語野に「ある単語(音韻)情報が無い」場合は、言語野の単語の優先順位によって、認識される言語が補完される。実例を挙げると、漂流してアメリカ人に救助され、その後幕末から明治維新に活躍したジョン万次郎は、アメリカで生活していた頃、自力で英語を覚えなければいけなかった。彼は「What time is it now?(今何時?)」というフレーズを聴いた時、その個人の言語野に音韻情報が存在しないので、「掘った芋いじるな」と言い換え、このような手段で英語を習得したという。
人気の空耳動画
空耳厨について
よく洗練された空耳は見ている人も面白く感じるものであり、ガチムチパンツレスリングの空耳のように非常に定着しているものも多い。
その一方で思いつきで安直に空耳コメントを付与することはその動画の質を下げることにつながることがある。
動画の本来の目的が「空耳を楽しむ」趣旨の動画では無い場合、たとえその動画から面白い空耳が聴こえたとしても、その動画の趣旨とは違うので、空耳のコメントは控えるべきである。これは、マナーといえる。
空耳歌詞はウケを狙って下ネタに走りやすい傾向があり、素直に本来の歌詞などを楽しみたい者にとっては、作品そのものを汚されたように受け止めてしまうおそれもある。
このように動画の本来の趣旨とは違うものに、無闇に空耳コメントを付与すると、動画の質の低下になりかねず、このように意図的に動画の質を下げる人間のことを空耳厨と呼び、一般ユーザーからは疎まれる存在である。
特にあらかじめ歌詞などの字幕を用意している動画に、shitaコマンド等で位置を指定した空耳コメントを被せる(結果として本来の字幕を隠す)ことは、その空耳が面白いかどうかに関係なく強い非難を浴びたり、第三者同士による空耳の是非に対する不毛な議論を呼ぶ等して、いっそう、動画の質を落とすこともありうるので留意されるべきである。これは、倫理の問題と言えよう。