ラー (RaまたはRe) とは、以下の事柄を表す。
ラーは本来創造者を意味すると思われるが、天空の絶対的な支配者として太陽の名とされた。神ラーの聖所はヘリオポス(ギリシア人が太陽の町の意味でかく名づけた)であり、その発祥の地はメンフィストのやや下流のサドゥク(Sadkhu)と推測されるが、ヘリオポスではその市神アトゥム(Atum)と習合してアトッムラーとして崇拝され、第5王朝がラーの子によって創められたという説話が成立したときには、ファラオを示すホルス(鷹で表現される)と結合され、王は必ずラーの子としてその名称をもつに至った。
さらに第11王朝がテーベ(Thebes)に首都をおくとラーはテーベの市神アモン(Amon)と習合してアモン・ラーとして新しい壮大な神殿に奉祀されるようになった。また古代エドフーの市ではラー・ハラクテ(Ra-Harakhute)としてホルスと習合されており、ラーの名前は75以上にのぼるといわれる。
神ラーはヘリオポスに荘厳な神殿をもち、周りの壁には四季の労働や神への貢献が描かれている。カルナックの神殿のオベリスクは最大のものとして知られ、ラーは蓮上の王子や毒蛇ウラエス(Uraes)にとりまかれた円盤を頂く男など、いろいろな形で表現されている。
エジプトでは太陽にいろいろな名前を与えており、真昼の丸い太陽をアトン、昇りはじめる頃の太陽をケプリ、沈むとアトゥム、地平線に近づくものとしてハラクテ、また空と同音のホルスまたはホルスの目などにも見たてている。ラーは特に天頂に達したときの太陽の意味したのであるが、アモン・ラーとして全エジプトの神々に光臨した。
第18代王朝のアメン・ホテプ4世は、テーベの神官団の勢威を抑えるためか、ラーの一変身であるアトン信仰にかたまり、アトンを市神とする新都の造営を行い、その名称をアケタトン(アトンの地平)とし、自らも称号もアクナトン(アトンに仕えるもの)と改めるなど、アトン崇拝の一神教的宗教を国教とする方針をとったが、この宗教改革も僅か数年で失敗し、その晩年は不幸だった。
次に王位についたツタンカメンは3年間はツタンカトンと名のっていたが、その後テーべに帰り、アモン信仰に復帰したのであった。
それ以後アモン・ラー信仰はエジプトの滅亡まで維持され、その神殿はカルナックをはじめ各地に奉祀された。
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最終更新:2025/02/21(金) 04:00
最終更新:2025/02/21(金) 03:00
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