「胡軫」(コ・シン ? ~ ?)とは、後漢末期の人物であり、董卓の配下の中でも同僚や部下に「死ねばいいのに」と嫌われる事に定評のある武将である。
字(あざな)は「文才」。
正史では華雄の上司だが、三国志演義では華雄の部下に降格になっている。
袁紹を盟主とした反董卓連合軍が結成されると、陽人城に攻めてきた連合軍の孫堅を呂布や華雄と共に迎撃する事になった。
武勇に優れていた胡軫は、呂布を部下とするだけの信用を董卓から受けていたものの、傲慢で短気だった為に部下からは信頼されておらず、孫堅と戦う事になった際も
この戦いは、太守を一人殺せば終わりだ。
と、その為に何人死ななきゃらならないと思ってんだこのバカな事を言ってしまった為、呂布らからも信用を失っており、こんなクソ上司死んでしまえと思われて、孫堅に勝つ事よりも胡軫が負ける事を味方から望まれる様な状況だった。
陽人城の攻略に成功した孫堅と対峙した時、日が暮れていたうえに兵も馬も疲労の極致だった為、董卓の命令通り野営して休息をとらせたれば良かったのだが、前述の通り味方から敗戦を希望されていた為、呂布から城内の敵は逃げたみたいだから追撃しないと戦功にならないぞ的な偽情報を掴まされた胡軫は、疲労している兵馬を率いて真夜中に陽人城を攻めたが、準備万端の孫堅に跳ね返され、兵も疲労していた為に塹壕も堡塁もつくらずに休息しはじめてしまった。
さらに呂布から、城から孫堅軍が夜襲をしかけてきたという偽情報を撒き散らされた胡軫の兵は混乱し、休息の為に脱いでいた鎧をそのままにして逃げ出し、十里程逃げ出してからようやく孫堅軍が夜襲していないことに気づき、丁度夜が明けていた為、胡軫は城攻めに戻ったが、孫堅の防御は硬く、兵は疲労困憊していた上に配下の華雄を討ち取られて、皆の希望通り胡軫は退却して戦功をあげる事は出来なかった。
董卓軍の残党の李傕(李カク)と郭汜が軍を率いて長安に攻めて来た際に、王允の命令で徐栄と共に迎撃することになったが、実は胡軫は王允と仲が悪かった上に、李傕(李カク)を説得しようとした王允がつい「さっさとつれて来い」的な事を言ってしまった為、機嫌を損ねた胡軫は李傕(李カク)に降伏した。ちなみに徐栄はと言うととばっちりを受けて戦死してしまった。
その後については、司隷校尉となり、仲の悪かった游殷を無実の罪で死刑にしてから一ヶ月程した後に、
悪かった!悪かった!游殷が鬼を連れてきた!
と言いながら病死した人物として史書にその名が残っている。
董卓軍の華雄の部下扱いで登場する。正史とは立場が逆転しているのは人望の無さからか。
反董卓連合軍の先鋒を務めた孫堅軍と戦ったが、程普と戦って敗れて戦死した。
立場も逆転した上に、戦死する役まで押し付けられるとは、人望の無さゆえにの事か・・・
※その他「胡軫」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照
コーエーの三國志シリーズにおける胡軫の能力一覧。出演自粛の間にビルドアップし過ぎw
能力一覧 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 陸指 | 水指 | 身体 | 運勢 |
三國志 | 48 | 24 | 39 | 82 | 87 | ||||
三國志II | 40 | 24 | 38 | ||||||
三國志III | 58 | 30 | 24 | 20 | 37 | 10 | |||
三國志IV | - | - | - | - | - | ||||
三國志V | - | - | - | - | |||||
三國志VI | - | - | - | - | - | ||||
三國志VII | - | - | - | - | |||||
三國志VIII | - | - | - | - | |||||
三國志IX | 62 | 77 | 17 | 18 | |||||
三國志X | 65 | 77 | 13 | 14 | 9 | ||||
三國志11 | 65 | 74 | 12 | 15 | 21 |
関連人物 |
|||
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2025/01/27(月) 05:00
最終更新:2025/01/27(月) 05:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。