「プリゴジンの乱」とは何だったのか マフィアと道化とプーチン氏
四半世紀近いプーチン治世下で最大の危機――。6月下旬にあったロシアの民間軍事会社ワグネル創設者エフゲニー・プリゴジン氏による反乱は当初、西側メディアでそんな風に受け止める声が目立ちました。一方、ロシアの近現代史に詳しい東京大学の池田嘉郎教授の見方は異なるようです。
――プリゴジン氏の行動をどう受け止めましたか。
いまだ不明瞭な部分もありますが、私は反乱やクーデター、蜂起という言葉で表現するのが適切だとは思いません。プリゴジン氏は権力の奪取を目的としていたわけではない。むしろ、プーチン氏が一番偉いという秩序を前提とした上で、ショイグ国防相とゲラシモフ参謀総長の罷免(ひめん)を求めた。これは日本史的用語では「強訴」、西洋史的には「プロテスト(異議申し立て)」という表現がふさわしいと思います。
「将軍や代官が一番偉いのはわかっているが、最近飢饉(ききん)が続いている割に、年貢の取り立てが厳しすぎるじゃないか」。これが強訴の例です。プリゴジン氏も同じように「自分たちはこれだけ(ウクライナ東部バフムートなどの)戦場で犠牲を出しているのに、プーチン氏はショイグとゲラシモフを優遇している。もう少し我々のことを考えてくれ」と訴え出たのです。
プリゴジン氏はモスクワへの進軍を「公正の行進」と自称しました。「公正」を掲げるのは「我々にこそ道理がある」と主張することで、まさに強訴やプロテストの特徴です。
――プリゴジン氏は強盗などの罪で20代を獄中で過ごした後に飲食事業に参入し、プーチン氏の庇護(ひご)を得て財産を築いたとされ、2014年にワグネルを創設しました。一方でチェチェン共和国のカドイロフ首長なども自前の民兵組織を有しています。ほかにもロシアには様々な勢力がプーチン氏の周辺にいます。
例えるならマフィアの権力関係
ロシアでは1991年のソ連崩壊後、中央権力が弱体化し、各地で共産党やKGB(国家保安委員会)の残党、新興財閥らが利権を牛耳るようになりました。2000年に大統領に就任したプーチン氏はそうした利権の構造を温存したまま、中央集権化を進めました。難しく言えば、各地の地方権力が王権の下で形だけ統合されていた16~17世紀のヨーロッパのような初期近代国家に似ていますが、マフィアの権力関係に例えるとわかりやすいでしょう。
具体的には、プーチン政権下…
- 【視点】
プリゴジンが殺害された(とみなされる状況)後に池田先生の文章を読んだが、「ロシアでは結局、裁くのはプーチン氏なのです」という一言が重く響く。結局、誰を生かし、誰を殺すかを決めることができる唯一の存在であるプーチンが、プリゴジンをしばらく生か
…続きを読む
ウクライナ情勢 最新ニュース
ロシアのウクライナ侵攻に関する最新のニュース、国際社会の動向、経済への影響などを、わかりやすくお伝えします。[もっと見る]