『ミステリマガジン』2024年11月号No.767【世界のジョン・ディクスン・カー】
不可能犯罪特集。「世界の」の名に偽りなく、本家カーをはじめ、スウェーデン、フランス、中国の作品が掲載されていました。しかし編集者(I)による解説がむりやり褒めている感じで興醒めです。今までこんな感じではなかったと思うのですが。
「運命の銃弾」ジョン・ディクスン・カー/加賀山卓朗(The Marked Bullet,John Dickson Carr,1923)☆☆☆☆☆
――ブランドン館に滞在中のハンドレスが眠れずにいると、足音と銃声が聞こえた。館の主人の姪ジュリア・マンスフィールドが真ざめた顔で、「書斎で……伯父さまが……たぶん」と告げる。執事のランドリッジも蠟燭を手にして姿を見せた。ハンドレスは書斎の扉を破って部屋に飛び込んだ。胸を撃ち抜かれたカーティス・ブランドンが倒れていた。「出入口はすべて鍵が掛かっていたのだから自殺だ」駆けつけたマーデン刑事は言う。だが凶器がない。ランドリッジは殺人だと主張した。姪か甥が主人と言い争っているのを盗み聞きしていたからだ。
あまりにも小説が下手すぎるので若いころの作品なんだろうな、と思いながら読んでいましたが、解説によればやはり著者17歳の作品でした。登場人物や状況がとつぜん生えてきたりするところが微笑ましいと言えなくもありませんが、さすがに巨匠のデビュー前の未訳作という歴史的位置づけ以外の価値はないと思います。
「事件番号94.028.72」ヤーン・エクストレム/中村冬美訳(Dnr 94.028.72 - Mord,Jan Ekström,1968)★★☆☆☆
――マイナス六十度の実験室でボール博士が冷凍槽に突っ伏している姿で見つかった。実験中に誤って落ちてしまいそのまま死亡したように見えたが、博士は背中を刺されていた。出入口は入退室を管理されているうえ、天窓は部屋の遙か上にあり、人の出入りは不可能に思えた。ドゥレル主任警部が捜査を開始する。
『ウナギの罠』の著者による短篇初紹介。唯一の英訳短篇でもあるということですが、訳しているのがスウェーデン語訳者なので重訳ではないようです。不可能状況にオリジナリティを出そうとしたためか状況がわかりづらいうえに、どうしたって痕跡が残るだろうとか、被害者が都合よく行動するのを科学者とはそういうものであるで済ませるとか、決してスマートとは言えないのですが、この新本格風の大トリックがやりたかったんだろうなというのはわかります。そういう意味では新本格の血の繫がっていない父みたいな作品でした。密室にしたのは無意味ですがそこはそれ。タイトルの番号には特に意味はないのでしょうか。【※恋のライバルである別の博士が天窓から入れてくれと頼む(科学者は実験中に邪魔されると、それほどの重大事だと思い込んで入れてくれるものなのだ)。梯子を伝って侵入後、刺殺。部屋に水を張って自分は梯子を伝って天窓から出る。死体にバルブを引っかけ水を抜くと、すべて冷凍槽の排水孔に引き寄せられ、密室のできあがり。】
「妖怪ウェンディゴの呪い」ポール・アルテ/平岡敦訳(Les Sortilèges du Wendigo,Paul Halter,2022)★★★☆☆
――ツイスト博士はフランスの元警視ルコントから話を聞いた。北米に伝わるウェンディゴという怪物は、直接触れなくても有毒な息で相手を怪物にしてしまうという。これはカナダに住む老婆から聞いた話だ。若いきこり夫婦がウェンディゴに襲われ、死を覚悟したが、からくも一晩を耐えきり、その後も変調はなかった。だが話が前後してしまった。二年前の話に移ろう。ブリジットは二十六、七歳のころに大恋愛をし、四十代の建築家マルクと結婚した。マルクには十八歳になる連れ子のマクシムがいた。ブリジット夫妻は当初は兄のジュリアンと屋敷で暮らしていたが、ほどなく引っ越していき、マクシムもパリの美術学校に通っていた。ある夜、マルクから憲兵隊に、妻を殺してしまったと電話があった。駆けつけてみると、ベッドは血塗れで、ブリジットは頭を剥ぎ取られていた。本人にも動機は説明できないが、状況は明らかだった。動機のあるマクシムとジュリアンにアリバイはない。話はこれで終わらない。カナダでも同じような事件が起こっていたことが発覚する。こちらは妻の不貞に激高したという動機もあり、偶然の一致だと思われた。だが事件が起こったのは同日同時刻、しかも加害者のユベールはマルクと双子だったと判明する。そう、ウェンディゴに襲われたきこりの妻の胎内にいた双子が、呪われたのではないか……。
著者には基本的に伏線の張り方や回収の仕方が下手くそな印象があるのですが、この作品は有り得ないほどの怪奇に振り切ったためか、そういう点は気になりませんでした。胎児のときにウェンディゴの呪いにかけられた双子が同時刻に別の場所で猟奇犯罪に及ぶという状況には、これは怪奇が怪奇のまま終わる番外編なのでは――と思ったほどなので、解決編に期待していなかったのもあるでしょう。偶然の一致を敢えて残しておくのも小粋でした。【※妻をしてしまったユベールがマルクに電話して告白したつもりが、引っ越す前の番号だったため電話を受けたのはジュリアンだった。ジュリアンは屋敷の権利を独り占めするチャンスだと、ブリジットを殺して頭の皮をマルクのベッドに置いておいた。かつて双子の共感性によりユベールが事故にあったときマルクが事故の悪夢を見ていたように、今回も妻殺しの悪夢を見ていたマルクは自分が殺したと信じ込んだ。】
「昆虫絞首刑執行人」孫沁文(鶏丁《ジーディン》)/阿井幸作訳(昆虫绞刑官,鸡丁(孙沁文),2010)★★☆☆☆
――夏時《シア・シー》から呼び出されたのは、レポートを手伝えというのが理由だった。うれしさと虚しさを感じていたところ、中学時代の同窓生、沈暁冰《シェン・シャオビン》から声をかけられた。今は昆虫研究所で働いているという。レポートのネタになると考えた俺は、研究所に向かった。所長の蓋天華《ガイ・ティエンホア》の妻許倩《シュー・チェン》が、何日も連絡のない夫を心配して駆けつけたところだった。所長はカブトムシを飼育している小型倉庫にいるはずだ。だが扉は開かない。俺たちが扉を破ると、ガラスの破片とカブトムシの散らばるなか、所長が窓から首を吊って横たわっていた。扉は施錠されていたわけではなく、一面のテープで固定されていたようだ。沈暁冰によれば所長は隣の工事現場の騒音がカブトムシの成長に影響を与えるのを懸念して、テープで隙間をふさいでみたらしい。しかし自殺にしては動機がない。しかもガラスを割ったのが所長だとすれば、靴底に破片が刺さっていないのもおかしい。しかし隣にいた工事現場の現場監督は、不審な人物は目撃していなかった。殺人だとすれば犯人は煙のように消え失せてしまったのだ。
2021年9月号「涙を載せた弾丸」、2024年5月号「雪祀り」に続く、夏時&王刑事シリーズです。これで訳載が三作目と知って驚きました。まったく印象に残りませんね、このコンビは。主人公より優秀な脇役上司の存在は珍しいと思いましたが、本作を読むかぎりでもどうやら王刑事はミステリ好きのへっぽこ刑事というポジションのようです。被害者あるいは犯人はなぜ飼育ゲージを割ったのかという謎を提示して【ゲージのなかのカブトムシに視線を誘導しておいて、実は割れたガラス片の方に意味があった】という騙りの手際はスマートです。また、同じ目張り密室であっても隙間だけでなく窓や扉全体にテープがベタベタ貼られていることの必然性や、被害者が縊死体でなければならない点など、よく練られています。意外な犯人の特性が犯行方法と結びついているのも上手い。そうしたトリックに付随する細かいところも考えられているし、トリック自体のインパクトはあるものの、そりゃ無茶でしょう……という感想の方が先に来てしまいました。妙なタイトルは、事件現場を見た王刑事が、カブトムシが絞首刑執行人となって実験対象にされた復讐したように感じたことに由来する、「絞首刑執行虫」くらいの意味でした。作品自体とは無関係ですが、ワープロで作ったような図面がツボでした。【※工事現場の監督が犯人。事前にテープを貼り合わせた巨大なカーテンを作り、その四隅を巨大なガラスに留めておいた。眠らせた被害者を吊るして殺したあと、そのガラスをピアノ線で窓に固定し、倉庫を重機で縦にしてからピアノ線を切断した。ガラスは重力で落ちて扉にテープを固定させると同時に砕け散る。】
「〈セット読み〉でカーの魅力を再発見」小山正
「世界の密室ミステリ」編集部
「第14回アガサ・クリスティー賞 選評」鴻巣友季子・杉江松恋・法月綸太郎・清水直樹
「BOOK REVIEW」
◆『ボタニストの殺人』M・W・クレイヴンは、カー特集でも紹介されていた密室もの。ワシントン・ポー・シリーズの一作。同じく『壁から死体? 〈秘密の階段建築社〉の事件簿』ジジ・パンディアンもカーや新本格に影響を受けた作品。「物語全体はのんびりとしたコージーミステリ雰囲気も濃い」のは邦題からも窺えますが、「あくまで作者が拘りたいのはパズラーの要素らしい」とのこと。『喪服の似合う少女』陸秋槎は、ロス・マクドナルドにオマージュを捧げた一作。
◆『少女マクベス』降田天は、「偽りの春」の著者による演劇ミステリ。
◆『バーニング・ダンサー』阿津川辰海は、警察小説×異能バトルのアクションミステリ。あらすじだけ見ると忍法帖みたいですが、阿津川氏の作品に期待する通り「伏線が張り巡らされた本格ミステリでもある」そうです。『少女には向かない完全犯罪』方丈貴恵は、竜泉家の一族シリーズではない、バディもの。著者の魅力はロジックだと思うので、シリーズ外の作品でそこらへんがどうなっているのか気になります。ほかに『名探偵の有害性』桜庭一樹など。
◆『缶詰サーディンの謎』ステファン・テメルソンは、ドーキー・アーカイヴの新作。ドーキー・アーカイヴ×風間賢二紹介ということから予想のつくとおり、「〈ウリポ〉風でもある」「〝読む人を選ぶ〟タイプの作品」「『トリストラム・シャンディ』さながらの脱線につぐ脱線である……と見せかけて」「フラン・オブライエンの大傑作『第三の警官』が好きな人にお勧め」。
◆『阿津川辰海 読書日記 ぼくのミステリー紀行〈七転八倒編〉』は、読書日記第二弾。『本格ミステリの構造解析』飯城勇三。トリックデータベース理論は面白そう。『ミステリ=22 推理小説ベスト・エッセイ』小森収編は、その名の通りエッセイ・評論アンソロジー。
◆復刊・新訳からは『チムニーズ館の秘密』アガサ・クリスティ、『キングの身代金〔新訳版〕』エド・マクベインの二冊。
「小説『関心領域』から見えてくるもの」田野大輔×マライ・メントライン×神島大輔
アカデミー賞受賞作の原作小説についての鼎談。
「おやじの細腕新訳まくり(37)
「殺人の夢」C・B・ギルフォード/田口俊樹訳(Dream of a Murder,C. B. Gilford,1965)★★★★☆
――ハーヴィ・フェンスターは単純明快に殺人を犯した。妻のベリルは事故死と断定された。うまくいったはずだった。ただ、問題がひとつ起きた。夢を見るようになったのだ。最初の夢は妻を殺すところから始まった。「ねえ、ハーヴィ、わたしはただ洗濯機を買い換えなきゃって言ってるだけなの。いつか感電して死んじゃうわ」。彼はしぶしぶ地下室に行った。絶縁テープがぼろぼろになっていただけだった。その瞬間、答えが出た。銅線を洗濯機の金属部に密着させ、プラグをコンセントに差し込んだ。仕上げに床に水を撒き、妻の靴のすり減った部分をさらにこすって穴をあけた。あとは妻を地下室に呼んで洗濯機を試させるだけだ。これで快適に暮らせるようになった。ただ、夢を見ることは予期していなかった。「ねえ、ハーヴィ……」そのあと感電したベリルの――あるいは彼の――叫び声が聞こえ……地下室の階段を駆けのぼり、悲しみと恐怖に涙声になって、医者に、消防署に、警察に電話をかけた。制服警官からは、このようなことを経験してきた者の同情心がうかがえた。ただひとりジョー・ゴドニーという私服刑事だけは不親切だった。
夢の話なんてどっちに転んでもつまらなくて当然のものを、筆力だけで描ききっていました。良心の呵責に耐えきれず見る悪夢を重ねるうち、自分自身は愚か警察すら気づいていなかった自身のミスに無意識裡に気づいて自滅してゆく姿が印象的です。
「迷宮解体新書(142)西武豊」村上貴史
次号からは季刊となりますが、次の号からスタートという計算らしく、次号は今まで通り二か月後の11月発売の1月号になるようです。
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