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2015年9月23日水曜日

クルーグマン「1932年の金利引き上げ要求論」


  • Paul Krugman, "Rate Rage in 1932," The Conscience of a Liberal, September 22, 2015. 
大恐慌時代の金融政策の転換について,こんな文献を紹介されたとクルーグマンがブログに記している:

彼のコメント:
They look carefully at the archival evidence, and find that a key factor was the complaints of commercial banks that low interest rates on government securities were squeezing their profits. That is, the turn to tight money in the face of deflation and a collapsing real economy was driven by the same narrow banker interests I have suggested explain current demands for higher rates despite low inflation.
著者たちは文献資料を注意深く調べた上で,政府債券が低金利になってじぶんたちの利益が圧迫されることに対する民間銀行の不満が重要な要因だったのを見いだしている.つまり,デフレに直面しながら金融引き締めに転じて実体経済を崩壊させるよう促したのは,銀行業界のせまい利害関心だった.いま低インフレにも関わらず金利引き上げを要求する声があがってる理由の説明にぼくが提案したのと同じ要因が当時もあったわけだ.
Epstein & Ferguson (1984) のアブストラクト:
Early in 1932 the Federal Reserve System made a serious attempt to reverse the "Great Contraction" through expansionary open market operations, but abandoned it a few months later. In this paper we offer an interpretation of the episode that throws new light on the Fed's behavior during the Depression. Key are the attitude of private bankers, Britain's abandonment of the gold standard, and the brief open market campaign. To protect bank profits the Fed abandoned the progarm which set the stage for the complete financial collapse of the United States in early 1933. 

2015年9月22日火曜日

クルーグマン「下がり続けるNAIRU推定値」


Paul Krugman "The Receding NAIRU," The Conscience of a Liberal, September 18, 2015.


「これより下がったらインフレが加速していく失業率」ことインフレを加速しない失業率 (NAIRU) の推定値がずっと下がり続けているのをクルーグマンがブログで紹介している.チャートは,実際の失業率(青)と FOMC による NAIRU の推定値(赤)を示す.



失業率が NAIRU に近づくことは,「インフレがくるぞ,さあ金利を引き上げろ!」「金融政策を正常化しろ」という論拠になりうるかもしれないけれど,その推定値が下がり続けている.

今年の3月に紹介した教訓は,まだまだ有効なようだ.


こちらも参照: "The Fed Should Remember the 90s," The Conscience of a Liberal, September 4, 2015.

2015年9月20日日曜日

「iPhone とスマホ」:語義調節の一例?

ツイートしたネタをこっちにもメモっておく:


(東急ハンズ梅田店にて撮影;2015年9月18日)

もちろん iPhone もスマートフォンなのだけど,この例では iPhone を含まない語義に「スマホ」を解釈するしかない.

こうした語義の調節は,べつに例外的じゃあない.クルーズ『言語における意味』で,こんな例を挙げている:
食事中に,幼児のジョニーが手を使って肉をちぎっている.ポケットにはペンナイフがあるけれど,いまの場面に合ったナイフではない:
  • 母:Johnny, use your knife. ジョニー,ナイフをお使いなさい.
  • ジョニー:I haven't got one. 持ってないんだもん.
(p.133)

ジョニーはウソをついてるわけじゃない.ここでいう「ナイフ」は食事に使うようなナイフに限定されている.つまり,場面に応じて,ペンナイフを含むような上位範疇と,食事用に限定された下位範疇に切り替えて解釈できるわけだ.

2015年9月12日土曜日

無線LANルータを更新した

いままで使っていたバッファローのルータの調子がわるくなっていたので,思い切って買い換えた.いい評判を聞いていた ASUS の RT-AC68U を選んだ [Amazon].

ざっと所感を:

  • 本体はやや大きめ.ただ,接地面はそんなに広くとらないので,置き場所には困らなかった.
  • 接続設定はブラウザ上でさくさく進んだ.視覚的にわかりやすいと感じる.
  • nasne の録画をいままで以上に快適に視聴できるのがありがたい.
  • USB 3.0 でハードディスクを接続した場合の簡易 NAS 機能は,思った以上に使い物になる.自炊した本や資料を見たりするのに,有線でハードディスクをつながないですむ場面は増えそうだ.

いまのところ,使っているのは最低限の機能だけで,リモートアクセスなど,ASUS が用意している多彩な機能はまだ利用していない.

清水理史氏による充実したレビューが参考になった.


2015年9月11日金曜日

iPad Pro についてざっと記事を見たなかで

読んでいて面白かったのは,Steven Levy の文章だった:

面白いといっても,べつに奇抜なこと・特別にするどいことを言ってるわけじゃなくて,文章の書きぶりに魅力がある.

Levy の言ってることは単純だ:ビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズは,タブレットについてまるっきりちがう方向を構想していた,と Levy は言う.ゲイツの構想では,タブレットはラップトップをすべて置き換える端末だ.ラップトップでできることはなんでもできるスレート状の端末.でも,2001年頃にできた端末は,「基本的に,モノにならなかった」――「ハードも不十分,ソフトも不十分,バッテリーも不十分,ワイヤレス・ネットワークなんてなかった」.

他方,ジョブズが2010年におくりだした iPad は,周知のとおり,ラップトップを置き換えるものじゃなく,コンテンツ消費に特化した端末だった.まじめな作業,生産的な作業? そっちはラップトップでやんなさいよ.

その後マイクロソフトから登場した Surface シリーズはゲイツの考えた路線を追求していて,今度の iPad Pro はジョブズの構想よりもそっちに寄っていってる.タブレットはラップトップPCを置き換えるものなのか,それとも,ラップトップと別個にあってこれを補完するものなのか,そこんところの答えについて,ティム・クックはゲイツ路線にかたむいてるんじゃないの?

――というのが,おおよその内容.




「新種のヒト」に関する PZ Myers のコメント

新種のヒト属が発見されたというニュースが日本語でもいくつかでてきてる:

今回の発見について,生物学者の PZ Myers が,「専門外ではあるが」と断りつつ,興味と疑義のバランスをとった文章を書いている:

文章の後半で,Myers は次のような疑義を3点記している:

  • 〔この発見を報告した〕研究者たちは,まだ標本の年代をつきとめてない! 推測すらない! 今回の発表はそれくらい予備的なわけだ.こういうわくわくする発見をできるだけ早く公表したくなる気持ちは,わからなくもない.ただ,この種を系統樹のどこに位置づけたらいいのか,ぼくには見当もつかない.300万年前だろうか,それとも,30万年前だろうか?
  • 新しい種とされているんだよね? ぼくはいかなる点でもヒト進化の専門家じゃないけれど,今回のやつはホモ・エレクトゥスのパラメタ内に収まりそうに見える.著者たちも,ホモ・エレクトゥスに近似している点を注記してるけれど,それでいて,頭蓋骨に小さな独特の特徴があるとも主張してる.他の専門家たちからのさらなるインプットをみたいところだ.いつだって,新しい標本がでてくると,新種の名前を貼り付けたくなるものだ.ただ,今回のやつがホモ・エレクトゥスの1集団まるごとの遺物だという結果になっても,それはそれでわくわくする.
  • あれこれとでているニュース記事は,どれも,これが儀礼的な埋葬地ではないかと想像をめぐらせて,ぼくらの祖先は予想よりずっと前から特定の文化的な営為をやっていたのではないかと記している.その時期については,なんとも言えない.というのも,この場所がどれくらい前のものなのかわかってないからだ.洞窟はきわめて出入りしにくい(ただ,洞窟が使われていた当時にどれほど出入りしやすかったのかは,わからないけど).また,なにより興味深いのは,ホモ・ナレディの骨だけが洞窟内で見つかったという点だ.このことから,ここがたんなるゴミ捨て場ではなかったか,あるいは動物の遺物が自然に洗い流されたのではないかとうかがい知れる.儀礼的な埋葬物という説明は筋が良さそうに思える.ただ,今回見つかったヒトたちの脳は,いずれもオレンジ程度の大きさだけど.