直木賞作家の篠田節子さんは、20年以上一人で母親を介護してきた。最近上梓した『鏡の背面』という長編サスペンスでは、シェルターを支えてきた「聖母」とも思える人が、実は極悪人だった? というところから話が始まる衝撃作だ。

人間はかくも変わりうるのか、人間の記憶とは何かを深く考えさせられる。篠田さんは母親の介護体験が「人の記憶の変わりよう」を描くのにとても生かされたのだという。

 

「警察を呼んでちょうだい!」

アルツハイマー型認知症を患った母につき合って20年くらいになります。母はとにかく他人の介入を受け付けない性格で、デイサービスの見学に行けば怒り出す、見守りを兼ねたお弁当宅配の業者が敷地に入ると警戒し怖がるといった状態。なので、公的介護サービスは資格があっても利用できませんでした。口は回るから、気に入らないことがあると延々と人を詰問したり罵ったりするのが常でした。

罵詈雑言のたぐいは、自分の介護をしてる人に向かうものなんですね。自宅で看ていれば家族に、施設ならスタッフの方々に向けられる。大変だったのは病気で入院した時です。医師としては命に関わることなのでチューブを入れたり点滴の針を刺したりしなきゃいけない。「警察を呼んでちょうだい!」と暴れて叫ぶ母の声がフロア中に響いていました。

私の方はもはや罵詈雑言など車の音ぐらいにしか聞こえなくなっていますが、病院の方はびっくり。

その母が入院を経て昨年の11月に介護老人保健施設に入居しました。罵詈雑言は、今は介護士さんにぶつけているようですが、ベテランの介護士さんは何を言われても「あーら、今日はご機嫌斜めね~」と軽やかに受け流してくださる。この対応が実に見事で、頭が下がります。

幻想的とも言えるくらいの記憶の書き換え

認知症の母の言葉や行動を目の当たりにしたことで、人間の内面って驚くような変性の仕方をするものだと実感し、それが本作のアイデアに繋がっています。たとえば認知症による “記憶障害”。これは「頭の中に消しゴムがあって記憶が消えてしまう」といった単純なものじゃない。脳の壊れる場所によって症状の出方が異なるのでしょうが、母の場合は幻想的とも言える記憶の書き換えが起きていました。

以前、近所のホームセンターに母を連れて行った時のことです。母は足腰はしっかりしているので、その日も大好きな園芸コーナーを見て回っていました。それで私がちょっとトイレに行って戻ってみると、母が「お腹を壊した」と言う。聞けば店内にご飯を売る3人のおばさんがいて、その人たちに「このご飯は古くなってしまった。安くするから買っていって」と言われて買って食べたらちょっと酸っぱかった。それが原因だ、と訴える。

話の内容は具体的で、一見したところ認知症には見えない母の口から語られると事実にしか聞こえない。当然のことですが、店内にそんなおばさんたちはいないし、ホームセンターにご飯は売っていません。断片的な記憶に、自分の想像したことをつぎ足して矛盾の無い架空の記憶を作る。それを話すことで、より生々しく自分の記憶として定着させていく。

ホームセンターの園芸コーナーでご飯を売っているはずはないが… Photo by iStock

現実にはない記憶が母の内側に出来上がっていき、それによって様々な思考と感情が喚起される。その様を目の当たりにして、人間の意識は、ここまで容易に変性するものなのかと感じ入りました。母と過ごしているうちに、そうした心理的なメカニズムが見えてくる。人の記憶や認識、認知がどういうものか、それがどう人格と結びつくのかみたいなことを母とつき合うことで知った気がします。