「世界ふしぎ発見!」終了…制作会社の裏にあった、若手が潰されていく「暗い現実」
TV番組制作の裏にあった「絶望の現実」
TBSが1986年4月から放送してきた『世界ふしぎ発見!』が今週末で終了する。当然の幕引きとも、十分過ぎる延命処置であったようにも感じられる。
僅か9カ月間ではあるが、著者はかつて同番組を手掛ける株式会社テレビマンユニオンの社員だった。『世界ふしぎ発見!』には、新人研修として1週間ほど参加している。
会議の折、下っ端社員はチームのボスである総合プロデューサーに、彼が好む銘柄の紙パックカフェオレを、ストローをさした状態で届けるのが習わしとなっていた。日の浅い新入社員には、一体何を意味するのか分からなかったが、時間の経過とともに、同集団の特性を味わうこととなる。
現在、日本国民がお茶の間で目にするTV番組とは、著作権こそ放送局が持っているものの、実際にカメラを回して編集する作業は、下請けである制作会社に丸投げしているケースが多い。『世界ふしぎ発見!』もそうである。
日立製作所の一社提供で、社内で最も収益を生み出す番組として君臨していた。だから、プログラムのトップである人間の口からカフェオレが好きだという言葉が漏れれば、手下はボスの機嫌を損なわないように、細心の注意を払わねばならないのだ。
その程度なら笑い話だが、同社に在籍した途端、24時間、割り振られた仕事に没頭することを強いられた。「世の中に何を訴えるか」「視聴者にどういったことを問題提起していくか」といった入社時の目的などお構いなしで、徹底的に扱き使われねばならない。まさしく、感情の無い奴隷となることを求められた。
「ドキュメンタリーを作りたい」と主張して採用された筆者が研修終了後にあてがわれたのは『遠くへ行きたい』なる旅番組で、新人がまずやらされたことは、JTBパブリッシングが発行する『るるぶ』という雑誌を購入することであった。
要するに他者の仕事を、そのまま映像化してしまうのである。作り手のオリジナリティーなど、露ほども無かった。また、実際はレンタカーで移動しているにもかかわらず、芸能人が徒歩で旅しているように見せかける手法が平然と用いられていた。
「“やらせ”ではないんですか?」と質すと、演出家は怪訝な顔で「このやり方をずっと続けてきたのだ」と応じた。
担当する仕事をとっとと終わらせ、自分の企画を温めたいと思っても、そのような時間は与えられなかった。一週間編集室に泊まり込みで、一度もシャワーを浴びられず、睡眠時間は2時間ずつ、といったスケジュールも組まれた。それでいて、残業代も休日出勤手当ても無しという企業だった。代休を申請すると「我が社は、正月の三が日しか休まない。俺もそうしてる」との言葉が部長から返ってきた。
『遠くへ行きたい』のロケ現場では、孫請け会社所属のカメラマンが、ディレクターの顔にタバコの灰をかける、などという因習もあった。部長クラスと食事をしても、ミスをした新人の頭をバリカンで丸めただの、取材先の山奥でドライバーをロケ車から降ろして何十kmも歩かせただの、タクシードライバーを殴っただのといった“武勇伝”が、飽きることなく語られていた。
そんな職場だから、入社した人間の半分が辞表を出した。絶望するだけならまだいい。ある者は精神を壊された。
『世界ふしぎ発見!』も『遠くへ行きたい』も、こういった類の人間たちによって産み落とされた番組である。今振り返れば、きちんと弁護士を雇い、労働基準法違反での告発や、安全配慮義務違反での損害賠償請求をすべきだったと思う。しかし、手取り16万3000円の薄給で弁護士に相談することは難しく、何よりそんな時間は無かった。
筆者は「馬鹿馬鹿しくて、とても付き合い切れない」と同社を去り、その数週間後が締め切りだった、あるノンフィクション新人賞に応募することで、奴隷生活から解放された。元々映像以上に活字に魅力を感じていたので、最初からこの道を選択すべきだったが、人生において味わう必要のない経験をした。