昨年末に第三子を出産したばかりの福田萌さん。数年前にシンガポールに移住し、10歳の女の子と7歳の男の子、夫の中田敦彦さんと暮らしている。
タレントとしての仕事をしながら、母親同士がつながるサロンを提案したり、防災士の資格をとったり……一人の母として、女性として、妻として、仕事人として、感じたことを福田さん自身の言葉で綴ってきたこの連載が書籍化され『「中田敦彦の妻」になってわかった、自分らしい生き方』として刊行。「妻に合わせる気が全くない“ジェット機型走者”」の夫・中田敦彦さんとの激動の人生、ジェットコースターのような毎日がまとめられている一冊だ。
今回は、生後半年になった息子さんの育児について。夫・中田敦彦さんの提案で保育園に入れることを決意した福田さん。シンガポールの保育園事情とともにお伝えする。
目から鱗の夫の提案
「次男を保育園に入れないか?」
ある日、そう提案してきたのは夫だった。
生後半年頃から次男がずりばいを始め、家中を動き回るようになった。シンガポールの我が家は、自宅が生活の場兼仕事場なのだが、以前は自宅でも仕事に没頭できる環境だった。
しかし、次男が生まれてから、家庭と仕事の境目が曖昧になってきた。まだ寝っ転がってる時期はパソコンで仕事もできたのだが、だんだんとパソコンにいたずらしたり、夫の部屋の配線を引っ張ったりと、とにかく目が離せない。夫は次男が4ヶ月になるまでは「育休」を取り、時間も融通が効いたのだが、育休が明けていざ仕事、と切り替えるはずが思うように集中できないと思ったようだった。
以前の連載でも話したように、シンガポールでは、住み込みのヘルパーさんを自宅に雇うことは珍しいことではない。私の日本人の友人もとても良好にヘルパーさんを雇用している人が何人もいる。しかし、我が家の状況を鑑みたときに、自宅が仕事場である以上、人を家の中に増やすよりは、次男に外に出ていってもらったほうが最適と考えた。
『「中田敦彦の妻」になってわかった、自分らしい生き方』