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「この子は…」篠田麻里子がAKB48の一期生オーディションに落選した「納得の理由」と地獄から這い上がった「想像を絶する行動」

2005年、秋元康氏のプロデュースにより「会いに行けるアイドル」をコンセプトとして誕生したAKB48。大規模な握手会、選抜総選挙など画期的な手法で一時代を築いたこの国民的アイドルグループの黎明期から最前線で戦い続けた男がいた。元AKB48劇場支配人・戸賀崎智信氏が初めて明かす、激動と奮闘の記録。

前編記事〈「一人でも多くメンバーを泣かせろ」元AKB48劇場支配人が指示された「残酷なミーティング」の意図…「超一流の先生」が震えながら放った「言葉」の中身〉より続く。

連載第3回後編

客よりもメンバーのほうが多い劇場

2005年12月8日、秋葉原に新たに完成した劇場に100人近いお客さんが詰めかけた。AKB48の記念すべき初舞台だ。

ただ、そのうちチケットを買って入場してくれたお客さんはたったの7人。大半が秋元康先生の知り合い、あるいはメンバーの家族だった。業界関係者のなかには「よくもこんなにパッとしない子たちを集めたね」と辛辣な意見を吐く人間もいたにはいたが、基本的に劇場内は温かい雰囲気に包まれていた。

photo by gettyimages

そんな初日の公演が終わるなり、緊張の糸がぷつりと切れたのか、メンバーの多くが泣き出してしまった。もちろんステージに立てた喜びも大いにあったのだろう。

ただし、小嶋陽菜だけは「倖田來未みたいなアーティストになりたかったのに……」とまったく別の理由で泣いていて、どんな風に声をかけてあげたらいいのかずいぶん戸惑った覚えがある。当初のAKB48は清楚さや学生っぽさを前面に押し出していたので、メンバーは全員黒髪、衣装も制服をイメージしていた。小嶋はこのスタイルに馴染めないでいるようだった。

 

何はともあれ、ようやく初日の舞台を踏めた彼女らだったが、本当にきつかったのは2日目以降だった。温かい眼差しを向けてくれる関係者や家族はもういない。始動したばかりなのでアイドルとしての知名度はゼロ。お客さんよりもメンバーの数の方が多いという寂しい光景がしばらく続いた。メンバーの自己紹介の途中でお客さんが帰ってしまうといったことも何度も経験している。あまりに不憫なので、ドンキホーテの前を歩く女子中学生たちに声をかけ、無料で劇場に入れたこともあった。

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