「ネットでこんな面白いものを見つけましたよ」と、担当編集者のN君がメールをくれた。添付ファイルを開いてみると、『研究ノート軍機保護法等の制定過程と問題点』というタイトルのレポートだった。防衛省の防衛研究所が2年前に公表したものである。
読んでみるとたしかに面白い。戦前の秘密保護法が拡大、強化されていく経緯をわかりやすく説明している。しかも、その運用の問題点もちゃんと指摘してある。
要点だけを紹介しよう。日本では明治13(1880)年の刑法改正まで、軍事秘密の漏洩で国民一般を処罰の対象とする規定はなかった。
改正刑法で初めて「軍情機密を敵国に漏らした者は無期流刑」と定められたが、これは交戦時に限られていた。平時の秘密漏洩を罰する規定はなく、「軍情機密」の具体的な定義もなかった。
日清戦争後、日本の軍事情勢を探ろうとする諸外国の動きが活発になり、秘密を守る必要性が高まった。政府は平時・戦時にかかわらず、広く国民を取り締まる秘密保護法体制の整備を急いだ。
そのため明治32年に制定されたのが軍機保護法だ。主な内容は①軍事上の秘密を探知・収集すること(重懲役)②職務上知り得た秘密を他人に漏らしたり、公開したりすること(有期徒刑)③偶然知り得た軍事秘密を他人に伝えたりすること(軽懲役)だった。
日露戦争を経て、満州事変が起こり、日中戦争へとなだれ込んでいく中の昭和12年、この軍機法の改正案が帝国議会に上程される。改正の主眼は、それまで曖昧だった「軍事上の秘密」の種類と範囲を陸・海軍大臣が省令で定めるとしたことである。
改正案には外国に漏らす目的で探知・収集する行為の重罰化(死刑)なども含まれていたが、議員からは「死刑まで科すような重大法規の範囲を勝手に、単なる大臣の命令で左右」することの危険性を指摘する声が相次いだ。
これに対し、政府側は「範囲を法律ですべて列挙するのは困難であり、何が軍事上の秘密かは時代によって異なるから省令で決めることにした」と答えた。
それでも議員らの不安は消えず「この法でいう軍事上の秘密とは、不法の手段でなければ探知・収集できない高度の秘密に限る」との付帯決議を採択。政府も「決議の趣旨を尊重して運用する」と約束して改正法案が可決された。