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2015.08.13

米軍を唖然とさせた日本軍の人命軽視〜重傷病者には「自決」を要求

【特別公開】一ノ瀬俊也=著『日本軍と日本兵』3
米軍がスケッチした戦死者を弔う日本兵の様子。彼らの目には、宗教精神の薄さが奇異に映った。

日本兵は味方兵士の「遺体」回収にものすごく熱心だった。しかし、その一方で、苦しんでいる傷病者の扱いは劣悪で、撤退時には敵の捕虜にならないよう「自決」を強要した。このような態度を米軍はどう見ていたか? 一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』より「第二章 日本兵の精神」を特別公開します。

個人とその生命を安易に見捨てた過去の姿勢を、現代の日本社会は脱却できたと言えるのだろうか……。


葬送と宗教

日本兵の宗教観と死生観について、米軍はどのように観察していたのだろうか。

本書にたびたび登場する元捕虜の米軍軍曹は、日本軍将兵の死者に対する弔い方、宗教精神のあり方を次のように詳しく描写している(IB*1945年1月号「日本のG.I.」)。

*米陸軍軍事情報部が1942-46年まで部内向けに毎月出していた戦訓広報誌Intelligence Bulletin(『情報公報』)。日本軍とその将兵、装備、士気に関する多数の解説記事が載っている。

ある兵が戦死すると、中隊で儀式としての火葬を行う(上図)。戦死がいかに素晴らしいことかを思い起こさせるためなのは言うまでもない。3×8フィート〔0.9×2.4メートル〕の大きな穴を掘り、木を詰める。その上に遺体を置いてさらに木を加え、ガソリンをかける。中隊全員が礼装で整列し、隊長が演説する。彼は遺体にあたかも生きているかのように語りかける。彼がいかに偉大だったか、兵が自ら死地に飛び込むことがいかに素晴らしいかを語り、死者を昇進させる。

隊長が頭を下げ、中隊は着剣して「控え銃(つつ)」の姿勢を取る。隊長がたいまつを薪に投じ、兵は火の側へ歩んで頭を下げ、穴の正面に置かれた小さなテーブル上の碗から碗へ灰を移す〔焼香のことか〕。火が燃え尽きると、燃え残った骨から灰を取り除く。小さな木箱が置かれていて大変丁重に扱われる。箱は真っ白な布で包まれ、兵がそれを最寄りの司令部まで持って行く。将軍からその部下に至るまで全員が敬礼しなくてはならない。箱は息子の遺灰をヤスクニ神社に置けるというので狂喜することになっている両親の元へ送られる。

話を残った灰に戻そう。灰は集められて埋められる。墓として美しい小山が築かれ、その上に兵の氏名、階級、認識番号、死に様を短く書き込んだ、墓石にも似た角材が据えられる。墓は美しく整えられ、小さなテーブルが正面に置かれる。食事時には食べ物が載せられる。ケーキ〔餅か〕、ビール、果物、そして煙草も加えられる。しかし夜になると米と水のみが残される。戦友たちは食べ物を腐らせてしまうほど愚かではなく、そういつまでも置いておきはしない。

兵たちは毎日の朝夕に整列して宮城の方角を向き頭を下げ、祈りの言葉を唱えて再び頭を下げる。多くの日本人は宗教的ではないが、皆宗教性を帯びた小さな袋をベルトに結わえている。これは陸軍の配給品で全員が持ち運ぶことになっている。葬式を除き、陸軍が宗教的行事を催したことは一度もみたことも聞いたこともない。

戦場での丁重な葬儀の様子がわかる。異文化からの観察ゆえところどころ奇妙な解釈があり、実際の靖国神社に遺灰は置かれないし、「宗教性を帯びた小さな袋」すなわちお守り袋は軍の配給品ではない。

ただ、米軍軍曹の解釈はともかく、各種行事の描写自体はおそらく事実だと思う。日本陸軍が宗教精神とはほぼ無縁の軍隊だったことが、米国人たる彼の眼には奇異に映ったのだろう。日本人はあまり意識しないことだが、日本軍ほど宗教性の薄い軍隊は世界史的にみると実は異質な存在なのかもしれない。

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