2016年12月に「いわゆる駆け付け警護」の任務を付与された自衛隊施設部隊が南スーダンで職務にあたり始めた。2015年に成立した安保法制で実現した法改正の一つとして「PKO法」に新しい任務が付与されたことに伴う変化である。
これについてそれなりの議論が起こったが、誤解や偏見に満ちたものも目立った。そこでこの小論で、議論の整理をしつつ、私見を述べておきたい。
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第一に、「いわゆる駆け付け警護」などという混乱を招くだけの俗称に惑わされず、自衛隊に付与された任務を理解すべきだ。
第二に、東大法学部系の日本の憲法学の「ドイツ観念論」的な性格については、単に安全保障上の要請といった憲法学の外からの批判だけでなく、もっと国際法学や日本国憲法に内在した立場からの批判が試みられるべきだ。
第三に、日本国憲法の「国際協調主義」を推進する自衛隊のPKO参加のドクトリンの整備に注意を払うべきだ。
「いわゆる駆け付け警護」の起源
私は1992年に成立した「PKO法」を受けて93年にカンボジアに派遣された最初の「文民」の一人である。学生時代に難民関係のNGOで活動していたつながりで、国連実施選挙の投票所責任者に推薦してもらったのだ。
私が勤務したのは自衛隊が施設部隊を派遣していたタケオ州の投票所だったが、床も土のままの小学校であった。宿泊所などないので、非常食を持ち込んで夜間は机の上で寝ていた。
選挙をボイコットしていた「ポル・ポト派」などに襲われたら、為す術はない。心配した自衛隊員が、「情報収集」を形式的な目的にして、一日に何度か車輌でお喋りをしに来てくれた。「駆け付けない」で少しでも事実上の警備をするためであった。
自衛隊は、その後、東ティモールなどにおいて、暴動の際に要請にもとづいて邦人を安全な場所に移動させるなどの行動を行った。
日本国内では、その都度、保護を目的にしない法律条項をあてはめて、活動の合法性を説明する無理を重ねた。
内閣法制局は、「駆け付けて武器使用する」行為は、「自己保存のための自然権的権利」の行使とは言えないため、「憲法九条の禁じます武力の行使に当たるおそれがある」などと説明していた(2003年5月15日参議院外交防衛委員会・宮﨑礼壹内閣法制局第一部長)。
そのような経緯があり、佐藤正久・第1次イラク復興業務支援隊長は、2007年に参議院議員に当選した直後のテレビ取材で、イラクで自衛隊を警護していたオランダ軍が攻撃を受ければ、「情報収集の名目で現場に駆けつけ、あえて巻き込まれる」ことによって、憲法に違反しない形で警護活動を作り出すつもりだった、と述べた。
この発言は、社民党・福島瑞穂によって国会で取り上げられ、当時の福田康夫首相による「イラク特措法に基づく」自衛隊の部隊には、「いわゆる駆け付け警護」を行うことが「現行法上認められていない」(2007年10月5日参議院本会議)という発言がなされた。
しかし法制度の不備は、政府関係者の間で強く意識されていた。そこで2015年の安保法制成立の際に、PKO法改正条項として、PKO等に従事する「活動関係者」の「生命及び身体の保護」を「緊急の要請に対応して行う」「第三条第五号ラ」が追加されることになったわけである。
このような経緯を持つ「いわゆる駆け付け警護」は、国際法はもちろん国内法においても一切存在しない概念だ。意味する内容も全く曖昧模糊としているため、使えば使うほど混乱が広がる。単に日本国内のマスコミ向けに使われているだけなので、英訳もできない。「ガラパゴス」概念の典型である。
それでも国内向けに使うことをやめないのは、「日本のNGO職員を見捨てることが許されるのか」、といったまさにマスコミ向けの感情的レトリックを使う余地を、政府が捨て去れないからだろう。
しかしPKO法改正の実態は、「活動関係者保護」行為の違法性が阻却されるということに尽きる。
国連PKOに派遣された自衛隊は、国連の指揮下に入る。第一義的な責任を負うのは国連である。過去の国連や関係国の行動、および国際法の学説を見ても、その理解は確立されている。
万が一「自己防衛」の理論を適用するとしても、自己の組織である国連の同僚をはじめとする活動関係者を「自己」に含めるのでなければ、かえって違反となってしまう。派遣先である国連の指揮命令系統を無視するように強いるのであれば、現場の要員の負担は甚大になる。
日本には軍法がないが、自動的に刑法で自衛隊員が罰せられるわけではない。業務を遂行していれば、刑法上の殺人罪にはならない。業務上過失致死は、刑法第3条の「国外犯」に該当せず、処罰できない。ただし不測の事態の場合には、日本政府が責任を負う者に懲戒処分を科し、被害者に補償を提供することはできるだろう。
いずれにせよPKO要員の行為の責任は第一義的には国連が負うという理解は国際的に確立している。指揮権を持っているのは国連だ。正論を貫き、国連の指揮権を尊重するのが王道である。