スローライフが、むしろ資本主義を「加速」させるという皮肉な現実
加速主義と減速主義の危うい共犯関係資本主義をスローダウンさせる思想
近年「加速主義」という考え方が注目を集めている——それは、人工知能や自動化といった技術発展を加速させ、テクノ資本主義を際限なく推し進めた先に、現存する民主主義とは異なる新たな秩序の獲得を試みる「ダーク」な思想として紹介されることが多い。
SFじみた突飛な思想に聞こえるかもしれないが、世界に目を向ければ、同様の考え方に基づいて政策を打ち上げる政治家や加速主義的な可能性に言及する科学者などは、少なくない。
こうした一見「危うい」思想を目の当たりにして、それに対する反動のように、より人道的だと想像される「減速」を掲げたムーヴメントが流行するのは、ごく自然な流れだろう。スローフードにスローライフ、エコでオーガニックな田舎暮らしや、地域アート・地産地消などに代表されるローカリズム運動……こうした動きは、地球上のいたるところに散見される。
こうした「減速」の思想は、一見すると人間主義的に見える。つまり、テクノロジーや資本ではなく、人間をより重視する思想だと見なされがちだということだ。ところがそうした見かけとは裏腹に、実は「減速」主義の中にこそ、資本主義の「加速」のロジックに迎合しつつ、さらにはそれを推進するような原動力が見出せるとしたら、どうだろうか。
詳しくは後述するが、たとえば、一見「減速」と相性がよさそうなマインドフルネスや瞑想を想起してみてほしい。「心を鎮め」「人生を減速させる」ように見えるこうした行為は、その実、資本主義にいっそう柔軟に、スピーディに、スマートに適応するための手段になってはいないか――。
ここでは、加速と減速をめぐる膨大な言説のなかでも、とくにドイツにおいて「減速主義者」として知られる社会学者ハルトムート・ローザ(Hartmut Rosa)の議論を紹介しつつ、加速と減速との間の意外な親近関係に視線を注いでみたい。
エコで倫理的な「スローライフ」?
2012年、ドキュメンタリー映画「スピード——失われた時を求めて(SPEED - Auf der Suche nach der verlorenen Zeit)」(日本未公開)がドイツで公開された。この映画は、「減速」の営みを追うことによって、「加速した社会」の様相をますます鮮明に描いている。あらすじを紹介しよう。