なお、「レベル1」の「ガイドライン等」は、複数の研究結果を統合したものなので、実質的にはランダム化比較試験が重視されていると言える。これに対し、ランダム化比較試験よりも条件の緩い実験や観察は、「レベル3〜5」に位置している。
裁判モデルと医学モデル
こうした序列が設けられるのは、「エビデンス・ベースト・メディシン」が科学者ではなく臨床医のための方法として作られたからだろう。
もしも時間やコストを無限にかけられるのであれば、「ランダム化比較試験」の結果だけを「真のエビデンス」と認め、それ以外は切り捨ててしまっても良いはずだ。ところが、医療の現場では、治療方針を決めるために無限の時間やコストをかけることができず、限られた時間やデータの中から「最善のエビデンス」を見つけなければならない(Sackett et al. [1997] 2000=2002: 序章)。
だから、「強いエビデンス」を決めるだけでなく、「弱いエビデンス」の間にまで序列をつけることが必要になる。その意味で、「エビデンス・ベースト・メディシン」の証拠観は、極めてプラグマティック(実用主義的)にできている。
この種のプラグマティックな証拠観を最も精緻に発達させてきたのは、言うまでもなく法学である。裁判では、限られた証拠の中で「事実」を確定しなければならない。そのために、「人証」(=証言)「物証」「書証」等の取り扱いが体系化されている。
通常の科学において、誰かの「証言」は「科学的証拠」にならない。なぜなら、それは証拠として弱すぎるからだ。例えば、「UFOを見た」という「証言」が得られても、相手にされずに終わってしまうだろう。しかし、裁判では「証言」も重要な要素になる。「科学的証拠」ほど「強い」証拠が手に入るとは限らないからこそ、相対的に「弱い」証拠を評価するルールが欠かせないのだ。
したがって、「エビデンス・ベースト・メディシン」の新しさは、法学に匹敵するプラグマティックな証拠観を打ち立てたことにある。Evidence(-Based)の翻訳語として、単なる「証拠」ではなく「エビデンス」というカタカナ語が使われるのも、それが法廷用語としての「証拠」とは全く異なる体系になっているためだろう。