総統のクリスマス、1941年のナチスのクリスマスパーティーの様子を伝える貴重なカラー写真
「ヒトラーはクリスマスを祝うことを禁止した」と主張した人々も過去にはいたそうですが、これは誤解で、ヒトラーはクリスマスを始めとしたキリスト教の祝祭を禁止することは一切なく、むしろ積極的にナチスのイベントを開催することで、プロパガンダに利用したそうです。
ヒトラーお付きの写真家Hugo Jaegerにより撮影された、1941年のナチスのクリスマスパーティーの様子のカラー写真は、華々しい祝賀ムードの中にも緊張感ただよう当時の異様な雰囲気を伝える貴重なものとなっています。
Inside a Nazi Christmas party hosted by Adolf Hitler, 1941 - Rare Historical Photos
https://rarehistoricalphotos.com/nazi-christmas-party-hitler-1941/
1941年12月18日、ミュンヘンで開催されたクリスマスパーティーの様子。
武装親衛隊隊員や士官学校生が集いナチの高官を囲むミュンヘンのビアホールで開催されたパーティーの様子は、ヒトラーのお抱え写真家の1人Hugo Jaegerが撮影したもの。
Hugo Jaegerが撮影した大量のカラーフィルムは、自らの熱烈なナチス支持の証拠とされることを恐れたJaegerの手により1945年の終戦直前にガラス瓶に入れミュンヘン郊外で埋められ、10年後に掘り返され、さらに10年を経てLIFE誌へ販売されました。実は、写真が埋められる前にJaegerが滞在していた家屋を連合軍が捜索した際にもう少しで発見されるところだったのですが、連合軍兵士たちはフィルムの上に隠されていたコニャックの瓶に気をとられてしまい、写真に気付かなかったそうです。
キリストは生まれた時にはユダヤ人だったわけで、キリストの降誕はユダヤ人を排斥するナチスにとっては都合の悪い話。戦前ナチスは、キリスト教以前からある冬至を祝うドイツの伝統的なペイガニズムのお祭り「Julefest(ユール)」を復活させることで、クリスマスから宗教色を排除しようとしました。クリスマスキャロルの歌詞は書き換えられ、ハーケンクロイツ型のクッキーが作られたそうです。
しかし、開戦後の1941年の時点ではすでにそういった宗教的工作をする余裕はなく、国民にはクリスマスの「助け合い」精神を奨励し、前線の兵士たちへカードや救援物資の小包を送るよう促したそうです。
1941年12月18日というと、真珠湾攻撃(現地時間1941年12月7日)から約11日後で、ドイツがイタリアとともにアメリカに対し宣戦布告(1941年12月11日)した一週間後。東部戦線でも苦戦していた時期で、12月16日にはアメリカ大統領ルーズベルトが、モスクワ防衛に成功したソ連スターリン宛に連合国を代表して祝電を送っています。浮かない顔のヒトラーは、何を思っているのでしょうか。
Hugo Jaegerによる写真ではありませんが、こちらは1944年12月25日、将校たちやその妻とともにクリスマスを祝うヒトラー(サンタクロースの右)とゲーリング(サンタの左)を収めた写真。ヒトラーにとってはこれが最後のクリスマスとなりました。
Exponat: Kollektives Gedächtnis: Friedrich Gerlach - Weihnachten 1944
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