鏡写しの分子構造で作られた「ミラー生命体」の研究には重大なリスクがあると数十人の科学者が警告
近年は合成生物学分野の発展が目覚ましく、過去15年間で遺伝子編集技術が大きく向上したほか、DNAにデータを保存したり計算を行ったりすることも可能になっています。中には、既存の生体高分子と同じ成分でありながら立体的な構造が真逆の生命体である「ミラー生命体」を作り出そうとする科学者もいますが、38人の専門家らが連名で「ミラー生命体の研究には重大なリスクがある」と呼びかけました。
Confronting risks of mirror life | Science
https://www.science.org/doi/10.1126/science.ads9158
Technical Report on Mirror Bacteria: Feasibility and Risks | Stanford Digital Repository
https://purl.stanford.edu/cv716pj4036
Mirror Bacteria Research Poses Significant Risks, Dozens of Scientists Warn | The Scientist Magazine®
https://www.the-scientist.com/mirror-bacteria-research-poses-significant-risks-dozens-of-scientists-warn-72419
Scientists Urge Ban on 'Mirror Life' Before It Endangers Global Health : ScienceAlert
https://www.sciencealert.com/scientists-urge-ban-on-mirror-life-before-it-endangers-global-health
細胞は生命にとっての基本的な構成要素であり、合成した分子を使って細胞の機能を再現したり、天然分子と人工分子を組み合わせて合成細胞を作ったりする作業が、生物学の研究や医薬品開発に大きなブレイクスルーをもたらす可能性があります。
自然界では、左右非対称となっている多くの分子は一方の鏡像異性体のみが存在し、その真逆の構造を持つ鏡像異性体は存在しません。たとえば、タンパク質の構成要素であるアミノ酸には左型(L型)と右型(D型)の2通りがありますが、自然界で生命を構成するアミノ酸のほとんどがL型に偏っています。この偏りはホモキラリティーと呼ばれ、なぜ生じるのかは定かでないものの、生物圏における化学反応はこのホモキラリティーによって左右されています。
そこで近年、既存のアミノ酸やDNAを構成するヌクレオチドの鏡像異性体を合成し、まったく同じ成分でありながら既存細胞の鏡像異性体となる「ミラー細胞」を作り出そうとする試みが始まりました。ミラー細胞はほとんどの正常な分子や細胞と相互反応しないため、汚染がはるかに少ない生命体を研究したり、人体のプロセスで分解されない薬剤を開発したりする役に立つのではないかと期待されているとのこと。
2016年には清華大学の研究チームが、DNAの複製やRNAへの転写に関わるDNAポリメラーゼという酵素の鏡像体を作成することに成功し、鏡像DNA鎖を作成できることも確かめられました。
by Zixuan Li, Xin Tao, Ting F. Zhu
J・クレイグ・ベンター研究所の合成生物学者であり合成細胞の第一人者であるジョン・グラス教授らは、2018年に「ミラー細胞」の開発にも取り組み始めました。ミラー細胞を作り出すことができれば、適切な成分と栄養素を与えることで鏡像異性体の「ミラー生命体」を作り出せるかもしれません。その第一歩は単純な生命体である「ミラーバクテリア」の作成ですが、グラス氏らはある時点で「ミラーバクテリアが野生に導入されてしまった場合、信じられないほど致命的な影響を与える可能性がある」と考えるようになったそうです。
一般に人工生命体や遺伝子改変された生物は特殊な環境のみで生存でき、自然界の環境において生存・繁殖することは困難です。人工生命体が実験室外に流出した可能性があるインシデントは年間数百件ほど報告されていますが、いずれも外界で生存するには脆弱(ぜいじゃく)すぎるため、アウトブレイクには至らないとのこと。
しかし、生物と細胞の間の相互作用は分子を感知し、反応する能力に依存しています。ミラーバクテリアを構成する鏡像異性体分子は、自然界の生物学的反応と互換性を持たないため、バクテリオファージやその他の生物によって捕食されることがありません。そのため、ミラーバクテリアが自然界に流出しても天敵が存在せず、増殖し続ける可能性があるというわけです。
人間がミラーバクテリアに感染した場合、免疫系がミラーバクテリアを殺すことができず免疫不全になり、敗血症性ショックと同様の状態を引き起こす可能性があるとグラス教授らは指摘しています。
グラス教授らは、政治的理由や誤解によって科学が制限されることは問題だとしつつも、致命的なウイルスを用いた実験や危険な人体実験、野外での核爆発実験などを含む研究は、あまりに危険だという理由から制限されていると指摘。ミラーバクテリアを含む「ミラー生命体」を作り出す研究についても、同様にリスクが高い研究に分類されると主張しました。
・関連記事
「AIが開発した生物兵器」が国家安全保障上の懸念に浮上、アメリカ政府やAI企業が規制の検討に乗り出す - GIGAZINE
DNA配列をまるまる書き換え「再設計」した生物が誕生 - GIGAZINE
細菌の遺伝子を持った牛が誤って作り出されてしまう - GIGAZINE
「寿命延長技術を開発して長生きすること」にまつわる倫理的問題とは? - GIGAZINE
「人工子宮」は実現可能なのか?どんな技術的・倫理的課題があるのか? - GIGAZINE
「夢の中で商品の広告を見させるキャンペーン」について科学者らが警鐘を鳴らす - GIGAZINE
Wi-Fiで壁の向こうの人物や物体を特定する一部の研究には誤りがあるとの指摘、不正行為がまん延する研究分野に警鐘を鳴らす - GIGAZINE
・関連コンテンツ