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「プロパガンダ本は置かない」神保町の韓国専門ブックカフェ、金承福のこだわりと信念

Breakthrough 突破する力 更新日: 公開日:
神田神保町で書店「チェッコリ」を営む金承福さん=東京都千代田区、鬼室黎撮影

表紙にひかれて手にとると、銭湯が舞台の韓国の絵本だった。「羽衣をなくした天女のおばあさんが出てくるの」。経営する金承福が教えてくれる。日本とよく似た湯船にもぐって遊ぶ天女と子どもの姿に、ほおが緩む。ソウルのマンションで同居する女性2人のエッセーや、韓国の青春小説など、知らなかったお話が次々と目の前に現れ、わくわくする。

チェッコリでは年に100回以上のイベントを開催してきた。コロナ禍ではオンラインで実施している=クオン提供

韓国出身の金が、東京で韓国書籍の出版社クオンを立ち上げたのは2007年のこと。11年からは「新しい韓国の文学シリーズ」を出版し、すぐれた文学に贈られる英ブッカー国際賞をのちに受賞する作家ハン・ガンの「菜食主義者」を皮切りに、00年代以降の韓国の小説や詩を日本語で20作以上紹介してきた。

「物語」をつむぎ、ほりおこすのも金の仕事だ。作家の佐野洋子が韓国の哲学者と40年近く続けた、知られざる往復書簡を本にまとめ、人気作家の朝井リョウとチョン・セランなど、二つの国の才能を引き合わせるイベントをしかけて対談本もつくる。

長らく「出版不況」といわれる業界で、韓国の本を売る。当初は「誰が読むの?」と心配された。それでも、「Kポップの次はK文学だ」と確信していた。経験があったからだ。

韓国で育った子ども時代、テレビでは日本のアニメが放映され、「恋人よ」「ブルー・ライト・ヨコハマ」などの歌謡曲は日本語で歌えた。高校時代はファッション誌「ノンノ」を読み、小説ブームは大学生のときにきた。同じように、韓流ファンが増えた日本でも韓国の書籍が読まれ始め、取材の日は、女性客が小説やエッセーを8冊も買っていった。「エッセーが売れるのは、日本と韓国の社会に共有するものが多いことの表れ」と金は言う。

■「ノルウェイの森」の衝撃

「文学で旅する韓国」のツアーで2016年、大河小説「土地」著者の故郷、慶尚南道・統営を訪ねた人たち=クオン提供

子どもの頃から本の虫だった。生まれ育ったのは韓国南部・全羅南道の霊光だ。1980年代に原子力発電所ができ、海に近い田舎町が急激に豊かになるのを目の当たりにした。とはいえ娯楽もなく、「本が唯一の楽しみでした」。伝記から大人の雑誌に載っていた官能小説まで、なんでも読んだ。

全羅南道は「芸郷(芸能の都)」とも呼ばれる。首都ソウルから約300キロ離れ、「中央を追われた官僚や思想家らが流されてきて、芸や反骨精神を広めた面があったと思う。いま思えば話すことも発想もスケールの大きい、格好いい大人が周りに多かった」。霊光から30キロほどの光州では80年、韓国の民主化を求めて立ちあがった市民が軍に弾圧され、数百人が犠牲になったとされる「光州事件」が起きている。
名門ソウル芸術大学に進学した80年代後半、韓国は軍事独裁政権から民主化へといたる過渡期にあった。選挙では軍出身の盧泰愚が大統領に当選、民主化が宣言されるが、学生たちは軍事政権の打倒を訴えデモを続けた。

そのころ、金たちの胸に響いた小説があった。村上春樹の「ノルウェイの森」だ。「主人公とその周辺の人たちが会話をして、ただ生きている。社会背景があまり描かれていない小説はとても新しく、衝撃でした。韓国の作品はどれも国を背負い、イデオロギーを背負っていたから」。韓国が自由に目覚めた時代に、若者の心に日本の文学がすっとしみこんだ。

留学ブームにのって英国行きを目指すが、「遠すぎる」と父親の反対にあう。「それなら近くに」と91年に来日、日大芸術学部で学ぶ。帰国するはずの97年、金融危機の韓国で就職のあてがなくなり、日本にとどまった。ウェブ制作の仕事で忙しくしていた07年、今度は大口顧客の注文がぱたりと止まる。

「下請けだったからだ。自分の仕事とは?」。出した答えが出版だった。大学時代、韓国語が読めない恋人に、好きな詩や小説を訳して読ませたときの、うれしさと楽しさがよみがえった。

色とりどりの表紙のクオンの出版物

当時、日本では韓国の文芸書は年に数冊しか出版されていなかった。日本語訳の本を書店に取り次いでもらおうとしても、「実績ができてから来て」と門前払いされた。ならばネットで売ろう。検索しやすく工夫し、SNSでもPRする。韓国という専門性が売りになり、日韓史を調べる人らが訪ねてくるようになった。

韓国で130万部以上を売り、金が「K文学のヨン様(韓国俳優のペ・ヨンジュン)」と呼ぶ小説「82年生まれ、キム・ジヨン」が19年に日本でブレーク。一気に注目が集まり、20年に日本語で出版された韓国の文芸書の数は6年前の3倍に増えた。

2019年にチェッコリで開かれた開店4周年記念イベント=クオン提供

市場を開拓した金について、日大の恩師で、韓国書籍をPRする「K-BOOK振興会」代表理事もつとめる作家の中沢けい(61)は、「彼女が心からえらいと思うのは、自分だけが稼ごうとはしないところ」と話す。韓国の出版物のカタログをつくり、良書を仲介する。同じ本を大手出版社が出そうとしていたら「本の運命」を考えて身を引く。「誰も損をしないことを考えている。宣伝してもらえれば、私たちの本もいずれ売れます」と金は言う。

■韓国と日本、アジアをつないで

日本の読者とともに訪ねた韓国・光州での催し=クオン提供

どの本を日本で出版するか、金にはポリシーのようなものがある。「本を通して韓国をどう見せるかが私の商売。ならば、告発やプロパガンダではない作品を選んで出版したい。スローガンが効く時代ではないと思うんです」

ソウル芸術大学で「打倒独裁政権!」と叫び、デモに明け暮れていたころ、一人の教授が近づいて言った言葉を胸に刻んでいる。「ここで集会やデモなら誰にでもできる。芸大生ならではの、違うやり方があるんじゃない?」

芸を知る者にできることとは何か。30年暮らした日本では、韓国にかんするヘイトスピーチも耳にする。ゴシップを面白おかしく伝える番組に傷つくこともある。そんなとき、「日韓友好」と叫ぶより、1冊の本が人の距離を近づけるかもしれない。金たちが出す本にはそんな思いが詰まっている。

出版業界も金に期待する。小学館社長の相賀昌宏(70)は言う。「金さんが韓国と日本の文芸交流のモデルケースになれば、他の言語でもできるようになる。日本がより豊かになる」。金も同じ考えだ。「中国や台湾と文化のコラボやハイブリッドを仕掛ける人にどんどん出てきてほしい。もっと楽しくなる」

日韓の文芸交流には歴史がある。「茨木のり子、中上健次といった先達がたくさんいた。そこに続くのが金承福。さらに続く後輩もいてほしい」。仕事は一人ではできない、長い時間がかかるもの。店名のチェッコリには、「韓国の寺子屋で1冊の本を学び終えた子どもが、先生の教えに感謝するお祝いの場」という意味がある。(文中敬称略)

■Profile

  • 1969 韓国・全羅南道の霊光(ヨングァン)に生まれる
  • 1991 ソウル芸術大学文芸創作科(現代詩専攻)を卒業し、日本に留学。日本大学芸術学部文芸学科で学ぶ
  • 1997 東京の広告会社に入り、2000年にウェブ制作関連会社の社長に就く
  • 2007 韓国関連書籍の出版社クオンを設立
  • 2011 日本語訳の「新しい韓国の文学シリーズ」第1作目、ハン・ガン著「菜食主義者」を発行。日本で翻訳・出版される韓国書籍の情報発信をする「K-BOOK振興会」を発足
  • 2015 東京・神田神保町に韓国関連書籍のブックカフェCHEKCCORI(チェッコリ)を開店
  • 2016 「文学で旅する韓国」ツアーを開始、これまで統営、光州・麗水、済州島、大邱を訪ねた

オンライン書店ツアーでは、大邱の書店「旅行者の本」店主のパク・ジョヨンが、宿泊施設まである店内を紹介した=鈴木暁子撮影

■イベントでつながる…韓国の人気作家を招くなど、チェッコリで開く催しは年100回以上。一般の愛読者が参加する「文学で旅する韓国」ツアーでは、これまで韓国の文芸ゆかりの地を4回訪ねた。開店6周年のこの夏は、全6回の「韓国とつながるオンライン書店ツアー」を無料で開催。コロナ禍で移動しづらい参加者の旅心を刺激している。金は「80から100席の劇場と組んだイベント」のアイデアも温めている。

■装丁の工夫…クオンの出版物は美しいカバーデザインが目を引く。これも、「持ち歩きたくなるかっこよさ」をねらった金の戦略だ。これまで22作品を出版した「新しい韓国の文学」シリーズは、グラフィックデザイナーの寄藤文平と鈴木千佳子が手がけた。短編を日本語と韓国語で読める「韓国文学ショートショート」シリーズも鈴木のデザインだ。