天気の子と変わっていく世界
天気の子見ましたー。おもいがけずめちゃめちゃ良かったです。
映画の結論的な部分の前提となる「世界なんて最初から狂ってる」って認識はたとえばあらゐけいいち『日常』(1巻が07年)なんかに見られるもので、ああいう狂った世界を生きていく子供たちを肯定的に描く話はすごく好きだし、ひとを元気づけるものがあるし、あれを話のオチにしても十分に趣味の良い作品になると思うんですけど、『天気の子』は2019年の作品なのでもう一歩踏み込んでいました。
ラストで「世界の形を変えてしまった」「陽菜さんのいる世界を選んだ」という事を帆高くんが再認識する直前の陽菜さんの祈りがマジでよくって、須賀さんの「世界なんか最初から狂ってる」って発言にまあそうかなって思いながらスクリーンを眺めてると祈る陽菜さんが目に入るじゃないですか。叫びそうになりますよね。うわっめちゃめちゃ気にしてるじゃねーか、真面目ないい子だな、帆高くん何とかしてさし上げろ、って。
須賀さんが3年ぶりに会った帆高くんにかけた言葉は、3年間ずっと付き合いのあったであろう陽菜さんにも伝えられてないわけないし、それでいて、連絡もなしに帆高くんが陽菜さんを訪ねたら空に向けて祈ってたってことは、陽菜さんは須賀さんの言葉に納得せず肩の荷を下ろすことなく、3年間毎日のように祈っていただろうってことじゃないですかー。それがあの瞬間にわかる。
そんで帆高くんが「世界の形を変えてしまった」「陽菜さんのいる世界を選んだ」ことを再認識しつつ陽菜さんに駆けよって「僕たちは大丈夫だ」ってなって終わるわけですが、何が大丈夫なんだってたぶん既存の世界全体に対峙・対立するんじゃなくて変わっていく世界に参加し作っていく立場に移動したとこだろうと思います。
陽菜さんと帆高くんの世界との対立の発端には違いがあって、まず陽菜さんは母親を失っています。母(の愛)を失ったことで世界の過酷さにむき出しでさらされることになるのって『エアマスター』の相川摩季とか『ガールズ&パンツァー』の西住みほとかが思い起こされますね。同時に、たくさんの赤の他人の願いを一人で引き受けて自分自身を失ってしまうのは『魔法少女まどか☆マギカ』の鹿目まどか的でもあります。
一方で帆高くんは光に誘われてろくな準備もなく地元を飛び出したあげくごみ箱の中から重要アイテムをゲットする男であり、あいつ退廃の魔都新宿を訪れた勇者であり蛮人コナンであり高貴な野蛮人でありバイオゴリラなんですよね。現代社会の中に生きているようで生きていない。なのでチャカを拾わなくてもいずれポリに追われることになったと思います、彼。
そんな二人が世界と対立することなく、変わりゆく世界を作っていく主体となる、その重みを分かち合うことができる、というのがラストになるわけですが、ただし、それはあの二人が世界の中で唯一の特別な存在になるわけではないんですよね。陽菜さんと帆高くんの世界に対する責任感を肯定しつつ、それは東京という一都市が沈んだことの、さらにその部分的な責任であって、彼らの結論の前提としての須賀さんの「世界なんて最初から狂ってる」という認識も全面的に覆されるわけではない。それは同じ世界に『君の名は。』の主人公である瀧・三葉夫妻が存在していることからも読み取ってよいと思います。『アベンジャーズ』などとはまた違った形での、ヒーローたちがたくさん存在する世界の在り方ですね。
さてさて、陽菜さんと帆高くんの世界に対する前向きな責任感みたいなやつを素直にいい話だなと思えるのは3つポイントがあると思って、1つは上述のそれでも他者のささやかな幸福を願う陽菜さんの純粋な祈りの美しさ、2つ目はいわゆる中間項の無い座組を用意したことですね。
世界にありように対する責任感の先にちょっとでも具体的な立場・主義・組織が提示されると、まあもちろんそういうのは大事なんですけど、好悪や異議が爆発的に発生すると思うので、具体的な行動に移る前の段階のあくまで観念的かつ根源的なレベルでのそれに留めてあるのは、青春エンタメとしてうまく処理してあるよなと思います。
んで3つ目のポイントですが、世界はいきなり変わったわけじゃなくて徐々に変化していったしこれからも変化し続けていくであろうってとこです。3年間、いやそのもっと前から降り続ける雨のために東京は沈み、それでいて都市の機能はそれなりにしぶとく維持されているようでもありました。
比較しうる作品としては、例えば『ベルセルク』では新世界の訪れはごく短時間のうちにドラスティックに行われました。また、『シン・ゴジラ』でも都市は一夜にして焼き尽くされ、打倒された後もゴジラはいつかまた訪れる破滅の象徴の岩めいた塊として都市に生きる人々と共存していくこととなります。
一方で『天気の子』では、世界は一夜にして滅ぶのではなく徐々に変化していくもので、そしてその変化はこれからも続いていくであろうことが、降り続く雨に沈む都市という形であらわされます。
大事なのはこれからもこの世界は変化していくだろうというところです。否応もなく変わっていく世界の中で、そこに生きる青少年には、変化していく世界におし流されるのではなくその世界の一部として、世界を変えていく主体として、元気に、なおかつ他人のささやかな幸せも大事にしつつ、生きていってほしいものであるなあという願いが『天気の子』の結末にはあり、新鮮だし好感持てるなあと思いました。
そのほか何か言いたいことはありますか?
・ネタばれ無しで10秒で説明してと言われたので「『君の名は。』は彗星のケアをする係のひとたちの話だったけど、『天気の子』はこいつらが彗星」って言いました。
・陽菜・帆高の存在を削ったうえで夏美・凪で『天気の子』をやると『ペンギン・ハイウェイ』になるのでは?
・取材を受ける気象庁の職員がジブリの棒読みのお父さんめいた眼鏡で印象に残るというか好き。
・大物めいて登場する瀧くん、立派な大人になりやがってつまんねーなもっとキョドれ、と思わなくもない。
・警察や児相は敵役になるのでちょっと割を食ってる感はありましたでしょうかね。でもまあ帆高くんがバイオゴリラなので共存できないだけで、彼らも少々配慮は足りないものの悪意で動いてるようには描かれてませんでしたからね。ポンパドール刑事とか大好きにならざるを得ませんし。
『ニンジャスレイヤー』の現行シリーズである第4部が、『天気の子』と同様に変わりゆく世界に生きる若者たちの話なんですけど、変化した世界における警察官たちを中心にしたエピソードなんかもあって、その辺の視点のおきどころ多さは連作短編の『ニンジャスレイヤー』ならではの手厚さかなと思います。
そうでない読みもできるっしょ(けもフレ2について)
けもフレ2悪意説がもはや界隈の主流になってる感がありますね。うーむむむ。
けもフレ2については、アラはたしかに多い作品だったかなとは思います。
また、たつき監督に悪感情を持っているスタッフがいるというところまではまあそういうこともあろうと思います。
でも作品に悪意を込めたスタッフがいるかどうかはそれとはまた違う問題ですよね。
仮に100歩譲って、メインスタッフにけもフレ2にけもフレ1とたつき監督への嫌味を込めようとしたひとがいたとしてですよ、けもフレ2に関わったスタッフには悪意あるものとそれに諾々と従う腰抜けしかいないのかって言うとそんなことはないでしょう。
けもフレ2にはけもフレ1へのリスペクトがある、もしくは少なくともリスペクトがあるように解釈することも可能になっているはずです。そうでないと1に悪感情をもっていないスタッフが同じ船に乗れないですから。
けもフレ2では、主人公のキュルル、かばんさん、イエイヌによって、過去にこそ良きものがありそれは失われてしまったのだということが繰り返し描かれます。良いものは現在ではなく過去にあるんです。
そして最終回において、キュルルは失った自分のおうちを現在のなかに見つけ出し、かばんさんは今は別々の旅をするサーバルと未来の再会を約束し、ご主人の帰らぬおうちを守り続けるイエイヌは過去からの贈り物を受け取ります。どの態度も否定されることはない。
ここに、喜ばしくない後日談のついたけもフレ1という作品の後を受けその先へ続けていく作品として、その現在から過去への敬意をもった姿勢が示されていると自分には見受けられました。
かばんさん周りの設定のよくわからなさについても、ありえたはずのかばんちゃんとサーバルちゃんのゴコクチホーの冒険に踏み込まないために必要なことでしょう。
と、そんな風に自分は思うんですが、あんまり一般的じゃないっぽいんですよねー。
けもフレ2に1へのリスペクトを見る解釈が全然なされないのはあんまりだと思うので、今後もたまに思い出したら言及していきたいところではあります。
ユーフォ見ましたメモ
『響け!ユーフォニアム』1・2期見ました。
語るべきものがよく整理されていて、描写がフェティッシュで、演技や音楽がすごく、たいへん面白かったです。
学園生活のイベントあれこれに、それぞれの事情と伏流する感情が折り重なり、そこにさらに主人公の内心のナレーションが乗っかっていく、多層なレイヤーからなる思春期の物語ってとても好きで、そういうのが読みたくて少女小説や少女マンガを読み漁ってるわけですけど、その手の作品群の中でもひときわ心に残る作品でした。
思い返してみると、この世に生きること、愛と死、親と子についての話だったでしょうか。
オーディションに落選するのも、恋に破れるのも、奥さんを亡くしてるのも、この世のままならなさとして同一線上のものですよね。
覚悟が不十分のまま新しい過酷な原則・ルールが導入され、それを巡って部員たちが右往左往し、その中で様々な挫折が、そして意地や善意が描かれるあたり、漂流記ものやデスゲームものと同様の構造をもった作品といえますでしょうか。これは特に1期に顕著な特徴ですが。
1期では楽器類は戦わなければ生き残れないクソみたいなゲームに参加する意思の象徴として扱われてましたが、1期11話にて久美子が「わたしユーフォが好きだもん」というところに一つの結論を見つけ、2期においては人との絆・この世に愛がある証として扱われるようになってました。
1期と2期の違いでいうと、1期はもう子供ではいられないって話でしたけど、2期は大人ぶってもしょうがないという話なのが面白いですね。
おおむね、この世界は夢もロマンもない弱肉強食のろくでもないところで、人間は断りもなく親によってこの世界に誕生させられ、さまざまな壁にぶつかって挫折しては苦しみ最後には死んで終わるんだけど、それでも生まれてきた以上は腕試しをしたい気持ちもあるし、世界には良いところもあって、それは愛と芸術である。また、ろくでもない世の中に多少はひとにやさしくできる場所を確保するために頑張ってるやつは立派なやつである。ただし、共同体に寄せすぎて自分の意思を抑圧してしまっては元も子もない、という話だと思いました。
以下各キャラについて
久美子:世界に夢もロマンもない事(世界観の横軸)を理解してる奴。でも新しい何かを見つけたくて北宇治にやってきた。1期ではうっかり特別な存在にあこがれるも見事挫折(でもまだチャンスはあるぜ)、2期では師匠筋の姉貴分からこの世に愛のある証である楽譜を受け継ぐ。
麗奈:弱肉強食のこの世の理(世界観の縦軸)に順応してるやつ。特別な存在ってのはつまり勝者、トーナメントで2位以下の奴らは等しく敗者だけど唯一1回も負けずに優勝したやつ、人を憧れさせ、時に絶望させるもの、そういったものですよね。
滝先生:吹部の部員たちを戦わなければ生き残れない環境に、認識が甘いのを承知で叩き込んで右往左往させる奴。分類すると一種の悪役で、ミリアサのマーリンやまどマギのキュゥべえとかの同類。吹部の講師をしている理由が妻を失ったことの代償行為なあたりこいつもまた迷いの中にあるのだろう。
あすか:世界がちゃんとしてないことに向き合って生きてきた結果出来上がった人格であり、世界の娘。1・2期通してのラスボス。
香織:滅び去った共同体の盟主。こいつが世の中には誇り高い敗者が存在することを示したので、オーディション以降は麗奈の態度がやや軟化した。
晴香:同床異夢の部員たちをまとめて共同体を維持し、夢もロマンもない弱肉強食の世の中でちょっとでもやさしくなれる場所を確保するためにコストを払い続けてる立派なやつ。ブギーポップに感謝されるタイプ。
葵:損なわれてしまいもう二度と返らないもの。滝先生は葵・晴香・香織には謝ったほうがいい。
麻美子:共同体に順応しすぎて自分の意思を抑圧してしまい失敗したやつ。
みぞれ:愛のない世界に生きる恐怖を背負ったやつ。
優子:優子の抱いていた美しい幻想は前提となっていた共同体のあり方が変容してしまったために滅び去るしかなく、でもそれを認めるわけにはいかなくってじたばたした挙句結局だめで大泣きする羽目になった。あの泣き声は現実よって幻想を破壊された悲鳴であり、クソみたいな世界に生まれなおす羽目になった赤ちゃんの産声である。幻想を抱いてしまったことは油断であるが、油断できる瞬間を得ることは人生の目的であるとさえいると思うので責められるようなことではない。また一方で、あの大泣きは損なわれてしまったものにどれだけ価値があったのかを世界に突きつけるためのものでもあり、香織先輩の失われた夢へのせめてもの手向けであり慰めである。また、中世古香織に対しても鎧塚みぞれに対しても、吉川優子の愛は対して役にも立たないし、愛が報われるわけでもないんだけど、底が抜けたバケツ(しかも複数)に愛情を注ぎ続けられることが吉川優子の凄さである。そんな吉川優子が次期部長に指名されるのは納得の展開で、デカリボンはあいつの幼児性の表れであるとともに王の宝冠でもある。
夏紀:流されやすい女である夏紀はすなわち部の総意を体現する存在であり吹部の精霊といえる。また、あすか先輩の代役を務めるなど、代替の可能性でもあり、ミリアサのモードレッド的な吹部の審判役ともいえよう。
緑輝:小さな戦士川島。
秀一:百合アニメにでてくるヘテロ好きです。
原作にも手を出してみたいとこですが、2年生編についてはアニメを待つべきか原作を読んじゃってもよいか悩ましいですね
まつろわぬアイドルが見たければ沖津区へ行け!『メロディ・リリック・アイドル・マジック』とライトノベルの描くアイドルたち
メロディ・リリック・アイドル・マジック (ダッシュエックス文庫DIGITAL)
- 作者: 石川博品,POO
- 出版社/メーカー: 集英社
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殺人的な暑さと台風が交互にやってくる日々が続いていますが、そんな人類に優しくない8月末の来たる25日(木)、石川博品の手によるアイドルラノベ『メロディ・リリック・アイドル・マジック』のkindleでの配信が始まります。
書籍の刊行からは2ヶ月近く経ってますので、この機会にある程度ネタバレもしながら、この作品の特徴について考えてみたいと思います。
なお最初に断っておきますと、自分はアイカツとプリパラのアニメはすごく好きなんですがゲームの方はプレイしたことがありませんし、アイドルマスターやラブライブやWUGも履修しておらず概要しか知りません。
ですんで以下の記事についてアイドルものの作品群についてもっと詳しい方々の意見/批判を頂ければ幸いに思います。トラバや引用RTのように嬉しいものはなかなかないですから。
作品の概要
高校進学にあわせて東京都沖津区の学生寮に引っ越してきた主人公その1 吉貞摩真(ナズマ)。ところがそこは、思いがけずもアイドルだらけの伏魔殿だったのでした。
そんな学生寮でナズマが出会ったのが主人公その2 尾張下火(アコ)。友人の飽浦グンダリアーシャ明奈に誘われてアイドルに挑戦することになったアコは、ナズマをマネージャーに、またナズマの先輩の津守国速をプロデューサーとして巻き込みながらライブの成功を目指すことになります。
しかし、ナズマとアコはそれぞれに抱えた秘密があったのでした…、といった話。
作者の石川博品は2009年にファミ通文庫の新人賞から共産圏風異世界における異文化コミュニケ学園コメディ『耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳』でデビューした、ライトノベル冒険家を自認する才人です。デビュー作とそれに続いた耳刈ネルリ3部作は3冊揃うとラノベにおけるオールタイムベスト級の大傑作であります。
またネルリ完結以降も、トルコ風の大帝国の後宮の女御たちの野球と出世に懸ける日々を描いて異世界の空気を見事に出現させた『後宮楽園球場』、共同体の秘儀としての剃毛を軸にお嬢様女子高でのさまざまな事件と感情を美しい文章で綴った『四人制姉妹百合物帳』といった傑作を世に送り出しています。
最高にポップでパンクでキュートで完成度の高い『メロディ・リリック・アイドル・マジック』は、『後宮楽園球場』や『四人制姉妹百合物帳』と並んで代表作と呼ばれるにふさわしい傑作と言えると思います。
まつろわぬアイドルたち
さて、メロリリの特筆に値する見所として、登場するアイドル達の反体制性があります。
芸能事務所やアイドル学校やゲームシステムといった、アイドルが所属し彼女たちを管理している組織や仕組みとどのように向き合っていくかというテーマは、アイドルを扱っている作品においてしばしば取り上げられるところですが、メロリリほど反体制に振り切っている作品はなかなか見かけません。
メロリリにおけるアイドルってアイドルといっていいのかすらよく考えるとよくわからないと言いますか、少なくとも芸能事務所やゲームシステムによってアイドルであることを保証された存在ではありません。
ラブライブにおけるスクールアイドルとはだいぶ近い存在だと思いますが、スクールアイドルがそれなりに世間に認知され、まがりなりにも学校という公の機関が関わっている存在であるのと比べると、はるかにアイドルとしての保証のない、おぼつかない存在であると言えます。
ですんで一番近いのはプリマックスにおけるアイドルと言えるでしょうか。プリマックスの3人もアイドルとして保証されない存在ながら、己のカワイイだけを信じて作中のアイドルシーンに殴り込んでいきます。
プリマックス 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
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メロリリにおけるアイドルの反体制性を際立たせているのが、作中におけるLEDというアイドルグループの存在です。
物語の非常に重要な舞台背景となっているLED、それは多くの衛星ユニットを従え全国的なネットワークを誇る体制的大人気巨大アイドルグループであり、言うまでもなくAKB48をモデルにしたものでしょう。
そのLEDに対して、メロリリに登場する主だったアイドル達は敵意を隠しません。隠さないっていうか殺すって言います。「LEDのメンバーは見つけ次第殺す」。
プロデューサーのクニハヤ先輩がジョークとして「沖津区ってのはアイドルかギャングになるしか出世のチャンスのない街だから」なんて言ってましたけど、メロリリにおけるアイドルはパンクロッカーかギャングスタラッパーのようなイメージで描写されているように思われますね。
また、主に描かれる高校生たちはキラッキラしてますけど、遠景に描かれる世界は猥雑さを受け入れた世界観になっているというか、下世話なネタもポンポン飛び出しますし、『はぐれアイドル地獄変』の連中が背景で走り回ってるのが目に浮かびます。
- 作者: 高遠るい
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沖津区という舞台について
メロリリにおいてアイドルがアイドルであることを支えているのは、アイドルであろうとする本人の意思とファンの視線、そして土地の霊力です。
そも、現代におけるアイドルを取り扱った作品ではしばしば、どんなタイプの女子もアイドルになりうるし、往来を歩けばアイドルの原石との出会いが待っている、そんな地にアイドルの満ちた世界観が共有されているように思われます。
メロリリもまた地にアイドルの満ちた世界観を踏襲していますが、それを作中世界に根付かせるにあたって“沖津区はアイドルかギャングになるしか出世の機会のない街“というジョークを経由させるあたりに作品のカラーが出ていますね。
また、地にアイドルの満ちた世界は、超常要素こそありませんがある種の異界であり、異界の描きこそ石川博品という作家の最も得意とするものであります。東京都中野区をモデルとして詳細に設計され描写される沖津区のテーマパーク的な魅力は、なんの根拠もなくアイドルとして振舞おうとする女子校生たちの存在と活躍に対する説得力として機能しています。このへんのテーマパーク性はプリパラにおけるプリパラという舞台に近いものを感じますね。
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視線の双方向性
さて、メロリリという作品では、男子がわりと重要なポジションについています。ていうかボーイミーツガールであり恋もあります。アニメ版デレマスじゃなくてマクロスΔくらいの男子の扱われ方なのです。
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導入で男子の視点から入っていくのは少年向けラノベレーベルのダッシュエックス文庫から刊行されているがために要請されたものかもしれません。ところがメロリリは、その後は章ごとにナズマの男子視点とアコの女子視点を交互にとりあげて物語を進めていく、『なぎさボーイ』と『多恵子ガール』みたいな趣向を設けた作品になっているのです。
メロリリは一人称で記述される小説であるため、マクロス△等と比較してもよりW主人公それぞれの内面が詳細に描かれる作品となっています(ちなみにアコの内面のおもしろカワイさはすごい)。
また同時に、アイドルを目指す女子たちの姿と、彼女たちと歩を合わせてマネージャーへとジョブチェンジしていく男子の姿も客体として描かれており、距離感が近すぎる男子勢の描写は女子視点からすれば当たり前のように性的です。
ナズマやアコの一人称による記述は、アイドルを客観的に眺めるだけでなくその主観に入り込み、アイドルとして生きる、もしくはアイドルとともに生きるという視座を提供しています。
また、メロリリの持つ視線の双方向性は、登場人物たちに主体・客体両面からのキュートさ、可笑しみ、うれしくもなやましい青春のキラキラ感を男女の別なく付与して、『僕らはみんな河合荘』とか『WORKING!』とか『ここはグリーン・ウッド』みたいな女性作家の書いた男子が視点人物のコメディみたいなテイストを生んでおり、メロリリっていう作品の魅力のひとつとなっています。
- 作者: 宮原るり
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文章によって描かれるアイドル
メロリリはラノベであり、文章という媒体によって表現される芸術です。
アイドルのアイドルたる瞬間であるライブパフォーマンスは、アイドル本人に歌と音楽とダンスとステージエフェクトの加わった総合芸術であり、それはアニメやゲームのような視聴覚メディアによってこそ十全に表現されるものであるかもしれません。
でもそれって超常バトルとかが題材のラノベについてもおんなじことが言えますよね。マンガやアニメの方が得意そうな題材にわざわざ文章媒体で挑むってのは、ラノベのそもそもの出発点であって、前提として無茶が要求されてることはラノベの魅力の根源の一つだと思います。
メロリリでは3度のライブが描かれます。
まずはアコ視点から。ライブの観客として客観的な視点から、先輩アイドルグループ“世界°”を筆頭とする沖津区のアイドルたちのライブの熱狂を活写していきます。
次はナズマの視点。アコとアーシャの初めてのライブ活動を、きわめて抽象的な表現を用いて、マジで感動している人間の内面に没入しながら描きます。また、ナズマの特異な共感覚によって光や図形として表される歌と音楽は、アイカツにおけるアイドルオーラ/ステージエフェクトを模したものであると思われ、これによってメロリリはゲーム的でヴァーチャルなアイドルものとの接続がなされています。
そして3度目は再びアコ視点。文章媒体の内面への没入を描く際のアドバンテージを生かしながら、アイドルとして舞台に立つものの主観にたって見渡されるアイドルのライブのありさまが、たくさんの歌詞の断片をはさみこみながら描かれ、あわせて作品のテーマやドラマの消化も行われ、厚みと広がりのある盛り上がりを見せるのです。
ライブの表現の魅力という点では読んでいて傑作バンド小説の『グラスハート』を思い出したりしました。
- 作者: 若木未生,橋本みつる
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終わりに
『メロディ・リリック・アイドル・マジック』は石川博品作品のなかではメジャー感があってひとに勧めやすい作品だと思います。
とはいえそれなりにひねりのある作品となっていることもまた確かなので、アイドルを取り扱った作品をマジで好きなひとにとって実際どれだけツボを突いた作品となっているのかは正直よくわかりません。
でも石川博品はテーマに対してすごく真摯な作家なので、アイドルとはいかなる存在なのかというテーマが作中でくり返し問われることになりますし、そうして描き出されるのは、アイドルへの、いまここにある生命への、そしてこの世界のいつかどこかで何に保証されることもなく燃焼しているすべての生命への肯定と祝福であり、それはアイカツやプリパラ等にも通底しているメッセージであると思います。
オススメの作品なので気になったら是非読んでみてくださいね。
※なお、もしメロリリが面白かったらその次は後宮楽園球場に進むと良いかなと思います。あれはあれでドルアニメ性のある作品だと思いますので。
好きラノ2015下期に投票しますね。
ニンジャスレイヤー 死神の帰還 (不滅のニンジャソウル # 2)
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これまでの物理書籍ニンジャスレイヤーのなかでも単巻での面白さでベストじゃないかな。目的を見失っていたフジキドが再起動する改訂版フーキルド〜と野球回であるノーホーマー〜をあわせて「死神の帰還」というサブタイトルを銘打つのがうまい。
- 作者: ウスバー,イチゼン
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vs魔王戦とその準備。この作品に限らないけどRPGをモチーフにした小説って、能力の方向性の多彩さとそれぞれにおけるやり込み要素を想定しやすいので、修行パートを見せどころとして提示できますよね。
- 作者: 秋田禎信,草河遊也
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サブキャラの中年夫婦の夫婦喧嘩を描いたエピローグが、この人気シリーズのクロージングとして完璧な出来でした。
教えて! 誰にでもわかる異世界生活術 (カドカワBOOKS)
- 作者: 藤正治,ぎうにう
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珍しく表紙絵買いしたら内容も良かったです。ヒロインであることが女性キャラクターのあり方の全てではもちろんありませんが、こういうカッコイイ系の姐さんがメインヒロインとして遇されて、表紙絵・口絵・挿絵すべてですげえ魅力的というのはいいもんですね。
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書籍化前からこのWEBで6位に入っていたので手に取ってみた作品。1巻は特にどうということもないんですが2巻がめちゃくちゃ面白かったです。やっぱこういうドン引きするような怖さのある主人公って良いですね。
なおレギュレーション外で投票できませんが石川博品の長編版平家さんが、石川博品作品のなかでも上位の面白さで大変よかったです。内容はあやかしうどん県のほっこり事件簿って感じですかね。例によって作者の教養が唸っております。
- 作者: 石川博品
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石川博品時系列メモ
2009年
発表
- 作者: 石川博品,うき
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- 作者: 石川博品,うき
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- 作者: 石川博品,うき
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執筆
耳刈ネルリシリーズ本編の他に後にネルリ拾遺に収録される短編を多数執筆
2010年
発表
なし
執筆
『菊と力』
『菊と力』は2010年の上半期に書いたものです。
より正確にいうと、この作品には大きく分けて3つのバージョンがあり、そのバージョン1と2、および3の前半を2010年の上半期に書きました。
2011年
発表
『平家さんって幽霊じゃね?』前編web公開が9月9日、後に『ホラーアンソロジー2“黒”』に収録。
- 作者: 日日日,ほか,BUNBUN
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
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クズがみるみるそれなりになる「カマタリさん式」モテ入門 (ファミ通文庫)
- 作者: 石川博品,一真
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2011/11/30
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執筆
『クズがみるみるそれなりになる「カマタリさん式」モテ入門』
↓
『後宮楽園球場』
これを書いたのは2年前、『カマタリさん』のあとであり、あの大震災の直後のことです。
日記を見返してみると、3月13日から16日まであらすじを書いて、3月20日から6月11日までかかって初稿を書きあげています。
http://akamitsuba.blogspot.jp/2013/10/blog-post.html
↓
『菊と力』バージョン3
バージョン3の後半は2011年、『後宮楽園球場』のあと(『アクマノツマ』の前)に書きました。
http://akamitsuba.blogspot.jp/2015/02/blog-post_19.html
↓
『アクマノツマ』
『アクマノツマ』は2011年に書いたものです。
『カマタリさん』『後宮楽園球場』のあとに長編が一本あって、そのあとに書きました。
当時の日記を見てみると、10月8日に書きはじめて11月21日に書きおえています。
ページ数がすくなく、中身も割とスカスカしてはいますが、私にしてはかなり早く書きあげた方です。
ちなみに11月24日の項に「百合物帳パイパンネタで押すか」という記述があり、12月3日には『百合物帳』を書きはじめています。
http://akamitsuba.blogspot.jp/2014/09/blog-post.html
↓
『四人制姉妹百合物帳』
『四人制姉妹百合物帳』は数多のレーベルに出版を拒否された問題作です。
――そう書いたら何やら凄そうですが、要するにボツになったわけです。
書いたのは2011年の年末から翌年2月にかけてです。
この2011年という年は私にしては頑張った年で、『カマタリさん』『後宮楽園球場』を含めて長編を五本書きました。
2012年
発表
2011年にweb上に掲載された平家さんが『ホラーアンソロジー2“黒”』に収録
- 作者: 日日日,ほか,BUNBUN
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2012/08/30
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執筆
『明日の狩りの詞の』
本作は2012年の4月――『四人制姉妹百合物帳』を書きおえたあと――から、『ヴァンパイア・サマータイム』前半の執筆を挟んで、翌2013年の1月までかかって書きました。
2013年
発表
- 作者: 石川博品,切符
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2013/07/29
- メディア: 文庫
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『部活アンソロジー2「春」』に『地下迷宮の帰宅部』を書き下ろし、後に『さよならの儀式 年刊日本SF傑作選』にも収録
- 作者: 野村美月,ほか,のん
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2013/08/30
- メディア: 文庫
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後宮楽園球場 ハレムリーグ・ベースボール (スーパーダッシュ文庫)
- 作者: 石川博品,Wingheart
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2013/12/25
- メディア: 文庫
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執筆
2014年
発表
サンシャインクリエイトにて2月9日『耳刈ネルリ拾遺』
↓
『さよならの儀式 年刊日本SF傑作選』に『地下迷宮の帰宅部』収録
- 作者: 大森望,日下三蔵,鈴木康士
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2014/06/28
- メディア: 文庫
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夏コミにて8月15日『四人制姉妹百合物帳』
↓
11月末にネルリ・ヴァンサマ増刷、ヴァンサマのSSが付属。またビンゴ×博品フェアと銘打って質問コーナー
↓
『メフィスト』2014 Vol.3にエッセイ『街道の犬たち』
- 作者: 講談社文芸シリーズ出版部
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/12/04
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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『四人制姉妹百合物帳』星海社文庫版出版、SSが付属
- 作者: 石川博品,まごまご
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/12/11
- メディア: 文庫
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冬コミにて12月28日『アクマノツマ』
2015年
発表
- 作者: 石川博品,まごまご
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/05/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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後宮楽園球場 2 ハレムリーグ・ベースボール (ダッシュエックス文庫)
- 作者: 石川博品,wingheart
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2015/06/25
- メディア: 文庫
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夏コミにて8月14日『菊と力』
執筆
『後宮楽園球場2』
本作は3月14日に書きはじめて昨日書きおえました。
http://akamitsuba.blogspot.jp/2015/06/2.html
15年の冬コミではプロト長編版平家さんを頒布する予定であるそうです。
俯瞰するニンジャスレイヤー
大型エピソード「ロンゲスト・デイ・オブ・アマクダリ」が完結し、忍殺の本アカウント(https://twitter.com/njslyr)では現在クールダウンを意図したような独立した好短編が連載中。
メインストーリーには大きな動きのなさそうなこの機会に、『ニンジャスレイヤー』における物語を俯瞰して眺めてみたい。
ニンジャスレイヤーの物語の大枠
ニンジャスレイヤーにおける物語の大枠は以下の3つ。
1.時系列シャッフルされた連作短編。それ単体でおもしろい「ニンジャが出て殺す短編」がモザイク状に組み合わさっていくことで、より大きな物語が浮かび上がる。
2.縦軸としてのロングスパンな復讐劇。突き詰めるとフジキドの復讐の相手はダークニンジャことフジオ・カタクラであり、ナラクの復讐の相手はカツ・ワンソー。神秘の彼方に隠されたカツ・ワンソーに対してフジオは比較的手に届きやすいところにいるが、第二部以降裏主人公として覚醒したフジオはカツ・ワンソーとの対決を目指しており、結果としてフジキドとナラクの復讐の旅の終着点は同じ場所になる。また復讐の達成は物語上の謎が明かされる時までサスペンドされ続ける。
3.ネオサイタマという都市と近未来日本を舞台とした群像劇。猥雑なサイバーパンク日本の描写とそれを彩るジョークや風刺が作品の主眼であると言っても言い過ぎではないだろう。
なお物語としてのジャンルに違いのある2の要素と3の要素を結びつけているのがコトダマ空間というアイデア。
1・2・3の要素は忍殺の第一部・第二部・第三部の各パートに共通して存在し作品全体の軸になっているが、どの要素が前景化しているかによって各部のテイストの違いが生まれている。
また各部の中盤に負けイベントが配置してある点や、ハッカーニンジャの攻略が敵組織打倒の鍵となる点は各部で共通であり、大きなリフレインを為している。
第一部 ネオサイタマ炎上:復讐のミニマル・ミュージック
- 作者: ブラッドレー・ボンド,フィリップ・N・モーゼズ,わらいなく,本兌有,杉ライカ
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/エンターブレイン
- 発売日: 2012/09/29
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各話の視点人物が抱えた事情や悲哀、そしてニンジャスレイヤーとゲスト敵ニンジャとの戦いが繰り返し描かれ、シンプルでストイックで独特のグルーヴ感を宿しているところに第一部の魅力がある。
一方でサブレギュラーが少ない分だけ、フジキド・ケンジ自身の物語に焦点が当たっているのも第一部の特徴。妻子との死別・ナラクの憑依・ゲンドーソーへの弟子入り・盟友ナンシーとの出会いといったいかにしてフジキド・ケンジはニンジャスレイヤーとなっていったかというオリジンの物語が第一部にはある。
ニンジャスレイヤーがソウカイニンジャを殺して殺して殺して殺す復讐のミニマル・ミュージックという第一部の面白さの特性の極地が、第一部最終話「ネオサイタマ・イン・フレイム」におけるシックスゲイツ6連戦やラオモト・カンの7つのニンジャソウルの連続撃破。また、ニンジャスレイヤーのオリジンの物語としての側面もラオモト戦でのフジキドとナラクの和解によってひとまずの完成を見ることに。
そしてまた、最終決戦を前にした古参のシックスゲイツのヘルカイトの述懐を踏まえて第一部を振り返ることにより、ニンジャスレイヤーと戦い滅んでいったソウカイ・シックスゲイツという組織のたどった歴史もまた第一部を貫く裏の主要プロットだったのだなあということがわかる。
第二部 キョート殺伐都市:抑圧される階層間移動
- 作者: ブラッドレー・ボンド,フィリップ・N・モーゼズ,わらいなく,本兌有,杉ライカ
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/エンターブレイン
- 発売日: 2013/06/29
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第二部の特徴は敵組織ザイバツの位階制度と、地下型階層都市キョートと言う2つの階層構造の存在と、階層間移動に対する抑圧。
非ニンジャを虐げるニンジャ達もまたより上位のニンジャの陰謀のコマに過ぎないというザイバツニンジャたちの抱えた悲劇性と、表層ばかりを取り繕って貧困と悪徳を下層へ下層へと押し込めていくキョートという都市の有り様との二重の階層構造の中で、最も深い秘密を抱え最大の抑圧者として君臨しているのがロード・オブ・ザイバツ。
二重の階層構造と階層間移動への抑圧は、第二部の物語に目をそらすことを許さない凄みのある面白さを与えているが、それだけでは面白さの方向性が陰気な方に振れすぎてしまう。そこでそれを補っているのが縦方向の階層間移動への抑圧とは対照的に活発な、キョート―ネオサイタマ間の横方向の移動。東へ西へと精力的に移動するニンジャたちの姿は物語に勢いのある面白さを加えている。
階層構造という視点から考えた場合第二部のターニングポイントとなっているのは「アウェイクニング・イン・ジ・アビス」。階層構造のどん底であるキョート最下層コフーン遺跡に、フジキド・ガンドー・デスドレインが集まっているという点が重要。ガンドーとデスドレインは死にそうで死なないことが何度かあるが、それは別に作者に贔屓されてるとかではなく、キョート市民の希望の灯であるガンドーと悪の精粋であるデスドレインはキョートという都市の生命力そのものであり、彼らがキョート最下層から上昇しながらやがてキョートを支配する僭主ロード・オブ・ザイバツに挑んでいく事は第二部のプロットにおけるもっとも重要な部分と言える。
階層間の下降と上昇というモチーフは、また別のターニングポイントエピソードである「リブート、レイヴン」においても、琵琶湖に投げ込まれたガンドーが過去の記憶に沈み込み、そこからまた浮上することがザイバツへの反撃の起点となっている点でも踏襲されている。またこれはほぼ同じ時期に起きていたエピソードである「ディフュージョン・アキュミュレイション・リボーン・ディストラクション」でフジキドがマルノウチ・スゴイタカイビル地下の巨大空間で太古の記憶に触れていたこととリンクしている。
第二部最終話「キョート:ヘル・オン・アース」ではキョート城の浮上とともに抑圧されてきた都市の階層間移動がついに決壊、キョート下層からはモヒカンが溢れ出し、都市を覆う死と混沌を餌に天に向かって伸びる暗黒の大樹によってデスドレインはキョート城を目指し、また一方で東のネオサイタマからは決戦兵器モーターツヨシがロケット推進でぶっ飛んでくる。
キョート城天守閣最上階にてガンドー・デスドレインは再びまみえ、そしてそのふたりをさらに代表するニンジャスレイヤーがキョート城の屋根の上にて抑圧者ロード・オブ・ザイバツと雌雄を決する。
なお第二部最終決戦に集まった者たちのうち、ニンジャスレイヤーとガンドーとデスドレインとロード・オブ・ザイバツとダークニンジャとザ・ヴァーティゴはみな、自身の中にほかの人間の命を抱えそれを力に変えているという点で共通しているのが理由はよくわからないが面白い。
第三部 不滅のニンジャソウル:ネオサイタマにおける今、この時代
ニンジャスレイヤー 秘密結社アマクダリ・セクト (不滅のニンジャソウル # 1)
- 作者: ブラッドレー・ボンド,フィリップ・N・モーゼズ,わらいなく,本兌有,杉ライカ
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遅まきながら読みかたを根本的に間違えていたことに気づいた。私はこれまで、この作品は基本的に空間軸で話をつくっていくタイプのものだ、と思いこんでいた。つまり、一つの街のような限定された空間に奇人怪人超人を大量に放りこんで、そこでのバチバチとした化学反応を楽しむのが主眼であって、ニンジャ云々は、なぜそんな奇人怪人超人が存在するのか、という説明を省略するための馬鹿設定にすぎない、と思いこんでいたのである。しかし、この巻に至って、延々とニンジャの神話的真実が語られはじめて、ようやくこの作品が時間軸で話をつくっていこうとしていることがわかった。どうりでネオサイタマやキョートといった都市そのもののキャラクターが薄いわけだ。地理ではなく歴史が物語のエンジンだったのだ。
第三部は他のパートと比較してネオサイタマという都市を描き出すことにより重点が置かれているが、その描き方はやはり時間軸の中における都市に焦点が当たっている。時代の移り変わりという縦軸を前提としての、都市の諸相という横軸の描きが第三部の特徴であり、言い換えればネオサイタマという架空の都市におけるいまこの時代を、あるいは歴史の動く転機を描くことが第三部では目指されているように思う。そのために多数の単発エピソードがあり、また他のパートよりはるかに多いサブレギュラーの存在があるのではないか。
動機を失ったフジキドを欠いたまま状況が拡大していく「フー・キルド・ニンジャスレイヤー?」は第三部の縮図と言えるし、「サツバツ・ナイト・バイ・ナイト」は都市の過去と現在をつなぎ、「ゼア・イズ・ア・ライト」&「リヴィング・ウェル・イズ・ザ・ベスト・リヴェンジ」は都市に訪れた大きな転機を描く。そうしたいまこの時代の描きの頂点にあるのが「ロンゲスト・デイ・オブ・アマクダリ」と言えるし、第三部最終話はあるいは都市の終局を描くのかもしれない。
なお都市(それもネオサイタマとキョート)における激動の時代を描くという点で第3部は幕末ものの大河ドラマ的だが、主人公を背負う艱難辛苦という点を加味すると『レ・ミゼラブル』が一番近い気がするので、以前からヘッズの皆さまにミュージカル映画のやつをおすすめしている次第。
- 出版社/メーカー: NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
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その他
忍殺は第四部が存在することは明らかにされており、WEB版のニンジャ名鑑に掲載されている未登場ニンジャの紹介から推測するとポスト・アポカリプスものなんじゃないかと思えるが、こうゆうのはけっこう引っ掛けだったりするので予断を許さない。しかし第三部で死なずにジョン・コナーないしはイモータン・ジョーのポジションになってるチバくんとかすごい見たい。
また、忍殺のヒロインズはわりと冒頭にあげた物語の大枠に根ざした存在となっていることが多いように思われる。つまり一話完結でニンジャスレイヤーとソウカイニンジャとの戦いを描くものとしての忍殺におけるメインヒロインは、虐げられたモータルの代表としてのフジキド・ケンジの妻フユコであり、神話的ロングスパンでの復讐劇あるいはその背景としてのニンジャ歴史絵巻におけるメインヒロインがドラゴン・ユカノであり、サイバーパンク群像劇としてのニンジャスレイヤーにおける電子のヨメがナンシー・リーである。ただし第二部に限定した場合虐げられたモータルの代表はシキベ・タカコになる。
アガタ・マリアとコヨイ・シノノメはフユコの従格のキャラクター、ユンコ・スズキはナンシーの従格であり、パープルタコは何人かいる悪の組織の女幹部ポジションにあるキャラクターの一人だがフジオやナブナガ・レイジの物語におけるヒロイン的な立ち位置にもいる。アズールは既存の価値観への信頼が崩壊した世界に生きている子であって、世界の本質を見ているという点でレイジにも近いが、もし第四部がポスト・アポカリプスものであった場合は世界観とキャラクターの精神のシンクロ度合いが高まるため作中での重要度も上がるかも知れない。
エーリアス・ディクタスは本来なら存在しない人間であり、出自も含めてどっちかっていうとザ・ヴァーティゴさん時空の人たちに近い存在と言えるのではないか。構造に根ざさないニュートラルな立ち位置にいること、そしてその場所からふとした縁やちょっとした善意で物語に関わってくるところにエーリアスの魅力の一端がある。ふとした縁やちょっとした善意という点についてはレッドハッグも共通といえるか。
ヤモト・コキは主人公フジキド、裏主人公フジオに次ぐサブ主人公の筆頭であり、モデストな美徳を持つ女子が多様な価値観の氾濫する都会へやって来る流れはNHKの朝の連続テレビ小説に近い。
ヤモトはその半生を描かれるものとしての主人公である。対してフジキド・ケンジは、自身は人間社会に関わらない異邦人だが、個人的な動機に基づく戦いが時に市井の人々にとっての救いになることもある、旅の任侠や仮面ライダー型のヒーローである。また特に第三部においては事件解決の機能を持った存在としての探偵という属性を与えられている。
そしてフジキドの仇敵たるフジオ・カタクラは、大業を成すが不和と悲運を招く神話・伝説における英雄のような存在であり、フジキドとフジオという種類の異なるヒーローによる噛み合わない英雄譚がニンジャスレイヤーという作品のエンジンになっているのである。