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名勝・東福寺と33間堂!?
京都名勝・東福寺と33間堂!?
まいどまいど! 京都の中心地に位置する東山区には歴史的にも文化的にも名高い寺院仏閣が点在しておまして、歴史ファン必見の場所ともなってまっせ。 春夏秋冬それぞれに趣があり、それぞれに景色を楽しませてくれる東福寺。 時々、テレビ番組の撮影でも使用され、人気の観光地の一つともなってはりまんな。 ここには通天橋があり、橋上から眺める景色は圧巻。 紅葉の季節になるとぎょうさんの見物客でにぎわってまっせ。 また、周辺には33間堂ではなく三十三間堂がおまして、通し矢の舞台として有名な場所でんねん。 各藩の弓術家により本堂西軒下で矢を射る通し矢は江戸時代から続く伝統の一つ。 ほんでさらに豊臣秀吉ゆかりの神社も鎮座しておまして、境内には秀吉らしい雰囲気が漂ってまっせ。 その他、京都の歴史を知る上で重要な国立の博物館があり、歴史好きの皆さんにおすすめのスポットでおまっせ。
臨済宗東福寺派大本山の寺院。 山号は、慧日山。 本尊は、釈迦如来。 開基は、九条道家。 開山は、は円爾。 924年、藤原忠平によって建てられた藤原氏の氏寺・法性寺の巨大な伽藍があった。 1236年、九条道家(摂政)は、この地に釈迦像を安置する大寺院を建立することを発願。 寺名は奈良の東大寺、興福寺の二大寺から取って「東福寺」とした。
通天橋
1380年、春屋妙葩が谷を渡る労苦から僧を救うため、仏殿から常楽庵に至る渓谷・洗玉澗に架けられた橋廊。
通天橋
四季折々の景色を堪能。
宗派は浄土宗西山禅林寺派。 山号は清涼山。 本尊は阿弥陀如来立像及び薬師如来座像。 かつて北辺に一ノ橋が架かっていたことから橋詰堂とも。 1706年、僧聖空によって中興。 薬師如来座像は「子そだて常盤薬師」とも呼ばれ、常盤御前が今若、乙若、牛若の3児の生長を祈願した像とも。 境内には「常盤御前雪除けの松」があり、常盤御前が奈良・大和へ逃れる際、雪の降るのを避けたとも。
真言宗智山派総本山の寺院。 山号は、五百佛山。 寺号は、根来寺。 本尊は、金剛界大日如来。 開基は、玄宥。
正式名称は蓮華王院本堂。 天台宗妙法院の境外仏堂。 かつて、後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂。 本尊は千手観音。 蓮華王院は千手観音の別称・蓮華王に由来。 「三十三間堂」の名称は、間面記法による表記「三十三間四面」に由来。 「33」は観音に縁のある数字で、法華経等に観音菩薩が33種の姿に変じて衆生を救うと説かれることによる。 「三十三間堂の仏の数は三万三千三十三体」とは、本尊と脇仏の一千一体がそれぞれ33に化身するから。 江戸時代、各藩の弓術家により本堂西軒下で矢を射る「通し矢」の舞台となった。 現在、「三十三間堂大的全国大会」が行われる。
1897年、開館。 主に平安時代から江戸時代にかけての文化や文化財を、収集・保管・展示。 1900年、帝国京都博物館・帝国奈良博物館はそれぞれ京都帝室博物館・奈良帝室博物館と改称し、東京の帝国博物館総長の管轄下に置かれた。 1924年、昭和天皇の成婚を記念して京都帝室博物館は京都市に移管、恩賜京都博物館と改称。 1947年、国立に移管され、京都国立博物館となった。
祭神は、豊国大明神で豊臣秀吉を祀る。 豊臣家滅亡とともに徳川家の命により廃絶となったが、後の明治天皇により再興。
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