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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

パクリ経済――コピーはイノベーションを刺激する

パクリ経済――コピーはイノベーションを刺激する

パクリ経済――コピーはイノベーションを刺激する

  • 作者: カル・ラウスティアラ,クリストファー・スプリグマン,山田奨治(解説),山形浩生,森本正史
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2015/11/26
  • メディア: 単行本
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新しい物を創るには手間も時間も費用もかかるのであって、そこから利益が得られないのであれば誰も創造性=イノベーションなんて起こさなくなってしまう。そう考えるのが自然であるから、創造性を発揮することによって利益が得られるように法で整えましょうねというのが各国における著作権法にあたる。ところが、世の中にはコピーが一般的で、合法であるにも関わらず創造性が維持されている例も存在している。

そもそも、完全なオリジナルなど存在せず基本はコピーして付け加えたり改変したりかけあわせたりして新しいものを生み出すのだとはクリエイターの発言としてよく聞くところである。オープンソース・ソフトウェアや同人活動の事例を持ち出すまでもなく、コピー可能性が利益を生み出すのは間違いないことであろう。だとすればコピーはどこまでが許容されるべきなのか。もちろん音楽ファイルやゲームや本の内容をコピーしてばら撒かれたら有料で売っている方からしたらたまったものではない。

本書は「コピーがほぼ合法、あるいは一般的に認められている」ファッションや料理、コメディやフォントや金融の分野をみていきながら、「どのような場合にコピーはイノベーションを阻害しないのか」あるいは「コピーがイノベーションを刺激するのはどのような場合なのか」を論じていく一冊である。コピーがイノベーションを加速させるというのは、そうだろうなあと思う一方で複数分野にまたがって包括的に語られた本を読んだことがなかったので(あるのかもしれない)おもしろかった。

一方で、本書はアメリカにおける著作権法がこれから先どうなっていくべきかについての詳細な議論を行うものではないのは一応注意しておいたほうがいいだろう。コンテンツについてもエピローグで音楽の未来についてさらっと触れているぐらいで、「これから先どうすべきか」という観点は弱いが、まあ本書を読んでいるといろいろと手立ては思い浮かぶようになっている。

なぜ保護されないのか

まずは基本的なところを抑えておこう。ファッションや料理のレシピ、コメディ、フォントといった分野は音楽や本や映画と比べると著作権法で守られない、あるいは守られる可能性があっても申告されないケースが多い。たとえば、ある料理人が苦心惨憺して新しい料理レシピを考えたとして、それが少しずつ形を変えて外へ、場合によっては世界中に広まっていくケースがあるが、そこに著作権は認められていない。

アメリカ著作権保護法は「原作者によるオリジナル作品で、有形の表現媒体に固定されたもの」しか保護しない。一方で日本は──検索するとクックパッドなどで有名人のレシピを多くの人がパクって載せている事について弁護士コメントで「問題になる可能性は低い」としているので、大きな違いはなさそうだ。ただ、これは国によるだろう(どこかの国はレシピに著作権を認めるかもしれない)。

この料理だが音楽や本や映画のような分野とは決定的に異なる部分がまずひとつある。それは「完全なコピーが可能か否か」という点で、当たり前だがレシピをそっくりそのままコピーしてつくってもまったく同じ物にはならない。ファッションも、見て作ったところで同じものにはならないのはわかるだろう。一方でデジタルデータとして存在している音楽や本や映画はコピーすれば完全に同じものができてしまう。

「完全なコピーを作ることが可能か否か」、そうした前提が、料理やファッションのコピーについてアメリカ著作権法が寛容であることの説明に役立つ。その上料理に関しては出てくる店の意匠、そこからくる雰囲気、接客などすべての要素が料理の消費に密接に絡みついており、レシピを忠実にコピーすることができても消費体験のコピーをまるごとするのはほぼ不可能となるのも大きいだろう

創造性は維持されるのか

しかし、そんな状況下で創造性は維持されるのか。これは別に具体例を挙げずとも、クックパッドでもみれば新しいレシピが絶えず生み出し続けられている状況がめに入ってくるし、「維持されているる」とわかるだろう。本書では、レシピで創造性が維持されている理由として、高級フランス料理店では各シェフらの間には法によらない規範が機能しており、レシピを公開することが逆に評判に繋がり、料理が体験と一体化していることが(体験までコピーすればいいが、その場合あっという間にバレてパクった方の評判は落ちるだろう)オリジナルの意味を高めているとしている。

これは「コピー可能性がイノベーションを阻害しているわけではない事例」だが、逆に積極的にイノベーションを促進しているような例もある。たとえばフォントなど。

あるタイプフェースのデザインが流行して、そっくりなコピーが急増し、そのスタイルで市場が飽和した時、フォント界は次のデザインのトレンドを探し始める。その結果、コピーに対する保護がほとんどない世界でも、新しいフォントが増え続けることになる。

たとえばファッションでいえばすごい速さで移り変わっていくファッション・サイクルがこの事例に当たるだろうし、逆に物語や音楽などのコンテンツ分野ではどうなのだろうと疑問がつながってくる。小説投稿サイト「小説家になろう」では異世界転生物が大流行でランキングを占めているが、これも次第に飽和して次のスタイルが流行るのかなど気になる。逆に飽和しないのだとしたら、そこには何かがあるのかなど。

ここで挙げたのは、コピーによってイノベーションが阻害されない理由も促進される理由も本書で述べられたうちの極わずかである。たとえば先行者利益によってコピーが蔓延していても創造する利益があるパターンがある。TwitterとそっくりなSNSを作っても、既にTwitterをやっている人はそこでアカウントを構築し発言してしまっているのだから容易には動かないように。ブランドが確立されていれば、いくら類似のコピーが出てこようが価格を下げずとも売れる、むしろ大量の模造品が出まわることで逆に本物の価値があがるパターンもある。

ようは創造性をうんぬんするときに「コピーが絶対悪」とするのはちと時代遅れではあるし、コピーがされまくりながらも創造性の利益が確保されている分野を見ることで学ぶことも多いよねという話ではある。創造者の利益を守り、イノベーションを起こしたくなるインセンティブを確保することが著作権法の目的であるのならば、その手段は「コピーを禁止する」だけではないのだと。

ここで語られているのはかなり限定的な一例(レシピだったら主に取り上げられるのが高級料理店だし)だし、国によって著作権法はまた異なるので(日本語と英語ではフォント創造の労力が異なる)いろいろと難しいが、それでも参考になるところが多い。料理やファッション、本や音楽などがメインだが、パクりパクられといった応酬はどこでも行われている以上、「どのようにして独自の価値と利益を担保するのか」という観点で読むと幅広く応用可能な一冊だろう。

まあ、エピローグにあたる語られている音楽の未来を語った章は特に真新しい提言のないものなので残念だったりするが。ちなみに山形浩生氏と森本正史氏の訳で、解説は著作権や知的所有権が専門の山田奨治氏。日本と米国の著作権の違いなどに軽く触れている。