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開発に関わったプロデューサー/DJ、Kazuhiko Gomiが語るローランド AIRA 〜 Winter Music Conferenceでの“AIRA HOUSE”レポート
いまのところ、シンセ系製品の今年いちばんの話題はローランド AIRAと言っていいでしょう。発売から1ヶ月以上経ちましたが、世界的にビッグ・セールスを記録しているようで、どの製品もいまだに品薄のもよう。TR-808/TR-909およびTB-303のサウンドが、オリジナル機の発売から30年以上経ったいまでも、いかに世界中の人々から愛されているかがわかります。
そんなローランド AIRAの開発に深く関わっているのが、ニューヨーク在住のプロデューサー/コンポーザー/DJのKazuhiko Gomiさんです。日本ではMISIAの作品などで知られるGomiさんは、ニューヨークと東京のクラブ・ミュージック・シーンに長年関わった経験を活かし、今回はアドバイザーとしてAIRAの開発に参加。開発が一段落した現在は、世界中のDJ/プロデューサーたちにAIRAを紹介し、そこで得られた貴重なフィードバックをローランド開発陣に伝えています。
まさにDJ/プロデューサーの中では、最もAIRAを知り尽くしたひとりと言えるGomiさん。つい先日、仕事のために来日したGomiさんに、いろいろと話をうかがってみることにしました。
Winter Music ConferenceでAIRAを大々的にデモンストレーション
——— Gomiさんはアドバイザーとして、早くからAIRAの開発に関わられていたそうですね。
KG そうですね。前から“こういった製品を開発している”という話は聞かせてもらっていたので、ぼくなりの意見をいろいろお伝えしました。最初に製品のプロト・タイプを見せてもらったのは昨年(註:2013年)の9月のことで、そのときはまだVT-3だけしか出来上がってませんでしたね。
ローランドの人にはたくさん注文したんですが、中でも強く言ったのは、いまのトレンドを作っているのはダンス・ミュージックであり、DJたちであるということ。従って、DJたちも機材として使えるようにした方が絶対にいいということでした。当初、AIRAはかつての名機の復刻という感じで、ローランドの人たちはDJマーケットはまったく考えていなかったんですよ。しかしどうせ作るのであれば、絶対にDJのことも考えた仕様にしたほうがいいと断言したんです。具体的には、Native Instruments TraktorやAbleton Liveといったソフトウェアはもちろん、DJ用のCDプレーヤーと同期ができるようにして、現場でのDJプレイでも使えるようにした方がいいということを言いました。それをやらないと売れないとまで言いましたね(笑)。その結果、完成したAIRAは、DJ機器としてもよく出来た製品になったと思っています。いまではどのクラブに行っても普通にDJ用のCDプレーヤーがあるじゃないですか。ぼくはそれと同じようにTR-8もスタンダードになればいいなと思っているんですよ。どのクラブに行ってもTR-8が置いてあればいいなと。
——— DJプレイにTR-8やTB-3の音を足すということですか?
KG AIRAがあれば、DJブース内で作業が簡単にできますよね。たとえば、単純にTR-8のキックだけを足しても、原曲とは違うプレイができます。もちろん、現場でジャムって、新しい音の要素を加えてもいい。このまえケニー(・ゴンザレス)も同じようなことを言っていたんですが、“TB-3にあらかじめ名曲のフレーズを仕込んでおいて、それを原曲と重ねて鳴らせばおもしろいかもね”なんていう話をしていました。
——— 先日のWinter Music Conference 2014(註:アメリカ・マイアミで毎年開催されている大規模なダンス・ミュージックのイベント)では、“AIRA HOUSE”なる秘密のスペースが設けられ、著名なDJやアーティストたちを集めたプライベート・デモが行われたそうですね。
KG もう連日大盛況でしたよ。Winter Music Conferenceの会場内にブースを出すという手もあったんですが、プライベートな空間でじっくり触れてもらいたいと思って、ちょっと会場から離れた場所にAIRA専用のデモンストレーション・スペースをつくったんです。ADAMのS3X-HとウーファーのSub12を置いて、大音量を出せるような環境にして。ローランドのUSチームとぼくが知っているDJやアーティストたちに声をかけたんですが、彼らが突然別の友だちを連れてきたりして(笑)、もうたいへんでしたよ。ケニー、トッド・テリー、フェリックス・ダ・ハウスキャット、デニス・フェラー、MURK BOYSのオスカーG、ロジャーS、テリー・ハンター、DJスピナー、ローランド・クラーク、レディオ・スレイヴ、カール・クレイグなど、新旧/ジャンルを問わず、たくさんの人が来てくれました。
ひとつおもしろい話があるんですけど、カール・クレイグに最初に見せたときは、反応がイマイチだったんですよ。しかめっ面をしながら、“ここがこうだったらいいのに”とかブツブツ言っていたので、あまり印象が良くなかったのかな?と気になっていたんですよね。ところが2〜3日後に、“あの後、速攻で購入したよ”というメールが届いて(笑)。“もうスタジオにあるぜ!”と、AIRAが写っている写真まで送ってきてくれました(笑)。
——— みなさんAIRAのことは気になっていた感じですか?
KG いや、意外とみんな知らないんですよね。発表されたばかりだからだと思うんですけど、AIRAの存在すら知らない(笑)。“AIRA HOUSE”には、発売された3機種のほかにSYSTEM-1のプロト・タイプも持って行ったんですけど、食いつく製品も人それぞれでおもしろかったですね。TR-8だけでなく、VT-3がいちばんおもしろいという人もいれば、SYSTEM-1を延々触っている人もいましたし。みんな一度来ると滞在時間が長いんですよ。いきなりノリノリでセッション始めちゃったりして(笑)。“もう次の人が来るから……“と言って、音を止めてもらったことも何度かありました(笑)。もちろん、みんなすごい人たちなので、そこで作る音はすぐにでもリリースできるくらいのクオリティで。同録していれば良かったですよ(笑)。一度も触ったことがないのにも関わらず、みんな短時間ですぐにオペレーションを理解して曲を作ってしまうので、“これは絶対にイケる、業界に受け入れられる”と確信しましたね。
——— サウンドに関してはどんなことをおっしゃってましたか?
KG TR-8に触れている人には、最初にオリジナルのTR-808やTR-909を使ったことがあるか訊ねてみたんですよ。その結果、意外と実機に触れたことがあるという人は少なくて、サンプルやシミュレーションされた音を使っている人が多かったですね。だからTR-8の音を聴かせると、みんな“すごく良い音だね”とニカっと笑いながら言ってくれました(笑)。やはりいちばんウケが良かったのは、ローランドの十八番であるキックの音で、TR-808のロング・トーンのキックを聴かせると、”低音が出ているね”と称賛の嵐でしたよ。あと“ノブを操作したときのパラメーターの反応がスムーズでとてもいい”と言う人も多かったですね。それとAIRAが発表になったとき、一部の機材オタクの間で、“アナログ回路ではなくデジタル回路なんてダメじゃん”というネガティブな意見があったりしたじゃないですか。その部分はいまでも議論になっているみたいですけど、“AIRA HOUSE”に集まったDJやアーティストの中で、アナログかデジタルなんてことを気にする人は一人もいませんでしたね。逆にあえてぼくの方から、“これ、中身はデジタルなんだよ”と言っても、“そんなのどっちでもいいよ。音が良ければアナログかデジタルかなんていうのは関係ない”とあっさり流されてしまいましたよ(笑)。
それとみんなが口を揃えて言っていたのは操作性の良さについてですね。“コンピューターを使った曲作りだと、マウスやトラック・ボールで1つのことしか出来ないのに、AIRAは両手でグリグリとパラメーターを操作できるのがいい”と言っていました。また、“AIRA HOUSE”で突然始まったセッションのように、1人だけでなく2人や3人で一緒にジャムれるのは、AIRAのような機材ならではですよね。こういった曲作りのやり方は、古い人たちにとっては昔に回帰したような感覚なんでしょうけど、新しい人たちにとってはとても新鮮なことだなのではないでしょうか。AIRAは、現在の曲作りのやり方に一石を投じたというと言い過ぎかもしれませんけど、今後大きな影響を与えていく製品になるのではないかと考えています。
——— マイアミ・ビーチでは、Winter Music Conferenceだけでなく、Ultra Music Festivalも開催されていたんですよね。
KG そうです。最近はWinter Music ConferenceよりもUltra Music Festivalの方に人が集まっていますね。かつては小規模なスペースでやっていたのに、今では何万人規模の大きなイベントになってしまいました。この時期はUltra Music Festivalの他にも、DJたちは独自にパーティーを開催していたりするんですけど、ちょうどUltra Music Festivalの前日、いまや時の人のスクリレックスが主催するパーティーがあったんですよ。ぼくらはそのバックヤードにAIRAをセッティングして、出演するDJが自由に触れるようにしておいたんですが、そうしたら出演前のスクリレックスがいきなりやって来たので驚きました(笑)。すぐに操作を覚えて、かなり長時間触ってましたね。もちろんスクリレックスが演奏しているので、周りには大きな人だかりができてしまって(笑)。他にも、ボーイズ・ノイズやA-TRAKなど、旬な人たちが次々にARIAをチェックしていましたね。こちらも大盛況でした。
——— そういった第一線で活躍する人たちからは何か要望はありましたか?
KG みんな作っている音楽はさまざまなので、意見や要望も人それぞれなんですけど、たとえばTR-8で言えば、シーケンサーのステップをもっと細かくして高速ハイハットをやれるようにしてほしいとか。あとは音色ごとにシャッフルを変えたいとか、TR-707やTR-727の音色も使えたらいいなというリクエストもありましたね。そんな中で興味深かったのは、任意の音色…… たとえばハイハットだけMIDIノートとして出力できれば、それでSYSTEM-1をトリガーすることによって、予想だにしないフレーズが生成できていいんじゃないかと。この発想はおもしろいなと思いましたね。
——— マイアミのあとは、ローランドのスタッフとともにニューヨークとボストンに行かれたそうですね。
KG そうです。マイアミではダンス系の人たち中心に見てもらったので、ニューヨークではポップスやR&B、ヒップホップ系の人たちにも見てもらいたいと思い、ミュージシャンの方にお会いしたり、著名なスタジオにおじゃましたりしました。ニューヨークに、元Hit Factoryの人がクローズした後に新たにオープンしたGermanoというスタジオがあって、マドンナやビヨンセ、カニエ・ウエストといった大物アーティストが使っているところなんですけど、そこに持って行ったところ、常備機材としてTR-8とTB-3が即採用になりましたよ(笑)。
後日、マライア・キャリーの新作を制作中のジャーメイン・デュプリがセッション中に触ってくれたみたいで、AIRAを操作している写真をツイートしてくれましたね。その後、ぼくのところに連絡があって、“AIRAが欲しいんだけど、どこで手に入るんだ?”とベタ惚れのようすでした。
あとはキーボーディストのデヴィッド・クックにもSYSTEM-1を中心に見てもらい、DJやダンス系の人たちとは違う貴重な意見をたくさんもらいましたね。彼は現在、Teyler Swiftの音楽監督をしているんですが、6月にはツアーで日本に行くと言っていましたよ。もしかしたらその際、ステージでSYSTEM-1が使われるかもしれません。
ニューヨークの次に足を運んだボストンでは、僕の出身校であるバークリーを訪れました。これから音楽業界に羽ばたいていく学生たちと、専門家でもある講師たちにぜひAIRAを見てもらいたかったんです。バークリーの学生たちは10代が中心で、TR-808なんて写真でしか見たことがない世代ですよね。そんな学生たちですが、最近の音楽でもTR-808は頻繁に使われているので、音を聴いて納得していました。彼らが注目していたのは、パターンを16ステップで組み立ていくやり方で、それこそ目を輝かせてデモを見ていましたよ。最後は拍手喝采でしたね。あとマイアミのDJたちとは違い、コンピューターとの連携について興味津々のようすでした。
本当にきれいで美しいフランキー・ナックルズのプロダクション
——— 先日、フランキー・ナックルズが亡くなりました。Gomiさんも一緒に仕事されていましたよね。
KG フランキー、マイアミ(Winter Music Conference 2014)にも来ていて、元気そうな写真をツイートしていたんですよ。だから訃報に接したときは本当に驚きました。今月26日に渋谷のSOUND MUSEUM VISIONでデヴィッド・モラレスと一緒にDJをするんですが、最初はフランキーという案もあったんですよ。でも、諸事情により来日は難しいということでデヴィッドになったという経緯なんです。最近はニューヨークではなくシカゴに住んでいたんですが、ニューヨーク時代はレコード・コレクションがたくさんある彼の自宅に遊びに行ったことがあって、それは良い思い出ですね。
——— 最初にフランキー・ナックルズに会ったのは?
KG 80年代の終わり、西麻布にトゥールーズ・バーという東京では最先端のクラブがあったんですけど、そこでTomiie(註:Satoshi Tomiie)さんがDJをしているときにフランキーがやって来て、それが最初ですね。その後、初めてニューヨークを訪れたときにクラブに招待してくれて。照明も内装もすごく質素なところだったんですけど、サウンドは強烈で、すごくショックでしたよ。巨大なウーファーからキックとベース、天井からぶら下がっているツイーターからハイハットを聴いて、初めてハウス・ミュージックの本質を知ったというか、これは家で小さな音量で聴いたのではわからない音楽だなと初めて理解できました。
——— プログラマーとして最初に関わったのは?
KG Tomiieさんの『Tears』です。そのころ、Tomiieさんとはけっこう親しくて、お互い自宅を行き来して曲を作ったり、クラブに一緒に行ったりしていたんです。当時はTomiieさん、Red Zoneでデヴィッド(・モラレス)が回しているときに、カシオ CZ-101を持ち込んでDJプレイに合わせて即興で演奏したりしていましたよ(笑)。カッコ良かったですね。あとは当時はまだDJ用のCDプレーヤーが無かったので、オープン・リールのテレコで新曲をかけたりとか。それは新鮮ですごくおもしろかったですね。
そんな感じで『Tears』ではTomiieさんのプログラマーとして、エレピの音色などを作ったり、シーケンスの管理などを行いました。あのエレピは、ヤマハ DX7IIFDで作った音なんですよ。最初はプリセットの音を使っていたんですが、ディケイ部分が弱いなと思い、もっとサスティンがある感じにエディットしました。結果として独特な音色になりましたね。シーケンサーはローランド MC-500やMOTU Performerを使ったんですけど、まだどこかにデータが入ったフロッピーが残っているんじゃないですかね(笑)。あの曲は最初Tomiieさんの自宅でプリプロを行って、その後代々木のスタジオでオーバーダビングをしたんですよ。そしてTomiieさんが2インチのアナログ・マスターを持ってニューヨークに行き、ロバート・オウエンスの歌やデヴィッドのパーカッション部分などと加えて完成させたんです。
他にはマドンナのバック・ボーカルだったニッキ・リチャーズ(Nicki Richards)の『Summer Breeze』という曲のフランキーのリミックスでも、Tomiieさんのアシスタントという形で参加しました。当時の機材は、ローランド JUNO-106、JUNO-60、アカイ S950、S900とか…… あとDef Mixの人たちはAlesis HR16を好んでよく使っていましたね。それらを使って基本的なループをたくさん作って、あとはSSLのオートメーションでいろんなバージョン違いを仕上げていくというのが当時のやり方でした。
フランキーの話に戻すと、ぼくはそれからすぐにジュニア(・ヴァスケス)と仕事をするようになったので、彼とはちょっと疎遠になってしまったんです。でも、本当に笑顔が耐えない、温和でやさしい人でした。みんな言いますけど、本当に性格が良い人なんです。そんな人柄がプロダクションにも現れていて、彼の手がける曲は本当にきれいで美しいですよね。実際、スタジオでも楽曲の雰囲気をものすごく大切にする人でした。まだまだこれから、いろいろおしえてもらいたかったんですけど、本当に残念です。