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| 画像 = Paul McCartney with Linda McCartney - Wings - 1976.jpg
| 画像説明 = ポール・マッカートニーとリンダ・マッカートニー(1976年撮影)
| 画像補正 = yes
| 背景色 = band
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}}
| 出身地 = {{ENG}}
| ジャンル = {{hlist-comma|[[ポップ・ロック]]<ref>{{cite web2 |last= Lewis |first= Dave |date= 2020-06-18 |title= The 10 best Paul McCartney & Wings songs |url= https://www.loudersound.com/features/the-10-best-paul-mccartney-wings-songs |work= Louder |publisher= Future Publishing Limited |accessdate= 2024-06-30 |url-status= live |archiveurl= https://web.archive.org/web/20200620054951/https://www.loudersound.com/features/the-10-best-paul-mccartney-wings-songs |archivedate= 2020-06-20 }}</ref>|[[ソフトロック]]<ref>{{cite web2 |title= Paul McCartney's 73rd birthday: Some interesting facts about the music legend |url= https://www.indiatoday.in/education-today/gk-and-current-affairs/story/paul-mccartneys-73rd-birthday-258227-2015-06-18 |work= India Today |publisher= Living Media India Limited |accessdate= 2024-06-30 }}</ref><ref>{{cite web2 |last= Stubbs |first= Stuart |date= 2020-10-21 |title= ‘It's just me’: an exclusive interview with Paul McCartney about McCartney III |url= https://www.loudandquiet.com/interview/its-just-me-an-exclusive-interview-with-paul-mccartney-about-mccartney-iii/ |work= Loud And Quiet |accessdate= 2024-06-30 }}</ref>}}
| 活動期間 = [[1971年]] - [[1981年]]
| レーベル = {{Hlist-comma|[[アップル・レコード|アップル]]|[[キャピトル・レコード|キャピトル]]|[[パーロフォン]]|[[コロムビア・レコード|コロムビア]]}}
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* [[リンダ・マッカートニー]]
* [[デニー・レイン]]
* デニー・
* ヘンリー・マカロック
* ジェフ・ブリトン
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}}
}}
{{after float}}
'''ウイングス''' ({{Lang|en|''Wings''}}) は、[[1971年]]に結成された、元[[ビートルズ]]のメンバーである[[ポール・マッカートニー]]と彼の妻[[リンダ・マッカートニー]]、元[[ムーディー・ブルース]]の[[デニー・レイン]]の3人を中心に構成された[[バンド (音楽)#ロックバンド|ロックバンド]]である。[[1981年]]の解散までに7枚のオリジナル・アルバムと1枚のライヴ・アルバムを発表した。多くのヒット曲を発表し、代表曲に「[[ハイ・ハイ・ハイ]]」「[[C・ムーン]]」「[[マイ・ラヴ (ポール・マッカートニー&ウイングスの曲)|マイ・ラヴ]]」「[[007 死ぬのは奴らだ (曲)|007 死ぬのは奴らだ]]」「[[ジェット (曲)|ジェット]]」「[[バンド・オン・ザ・ラン (曲)|バンド・オン・ザ・ラン]]」「[[ジュニアズ・ファーム]]」「[[あの娘におせっかい]]」「[[心のラブ・ソング]]」「[[幸せのノック]]」「[[夢の旅人 (ポール・マッカートニー&ウイングスの曲)|夢の旅人]]」「[[しあわせの予感]]」「[[グッドナイト・トゥナイト]]」などがある。
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ポール・マッカートニーは1970年の[[ビートルズ]]解散後、『[[マッカートニー (アルバム)|マッカートニー]]』『[[ラム (アルバム)|ラム]]』の2枚のソロ・アルバムを発表した。これらのアルバムはチャート上では成功を収めた{{Efn|『マッカートニー』は全米1位と全英2位、『ラム』は全米2位と全英1位だった。}}が、音楽評論家やロック・ファンからの評価は芳しくなかった。
予てよりバンドによる
[[1971年]][[8月]]、4人は新しいバンドのアルバムの
[[12月]]にウイングスとしてのファースト・アルバム『[[ワイルド・ライフ]]』は発売され、全米・全英ともに10位台を記録した<ref>[https://www.rollingstone.com/music/artists/paul-mccartney/albumguide Paul McCartney: Album Guide Rollingstone.com]</ref>が、このアルバムはわずか2週間、そのうち録音に費やされたのは3日間という短期間で完成させたため、音楽評論家の評価は批判的だった{{Sfn| Woffinden |1975|p=47, 62–63}}{{Sfn| Madinge|Easter |2000|p=151}}。
[[1972年]][[1月]]に新メンバーとして[[ジョー・コッカー]]のバックバンド、[[グリース・バンド]]のギタリストだった[[:en:Henry McCullough|ヘンリー・マカロック]]が参加した{{Sfn|Badman |2001|p=}}ウイングスは、『ワイルド・ライフ』の発売から約2か月後の[[2月9日]]、イギリスの[[ノッティンガム大学]]を皮切りに[[:en:Wings University Tour|最初のツアー]]を開始した<ref>{{cite web |url=http://www.uncut.co.uk/paul-mccartney/how-on-earth-do-you-follow-the-beatles-paul-mccartney-on-wings-feature |title=How On Earth Do You Follow The Beatles? Paul McCartney On Wings |publisher=Uncut.co.uk |access-date=18 April 2013 |archive-url=https://web.archive.org/web/20120910165819/http://www.uncut.co.uk/paul-mccartney/how-on-earth-do-you-follow-the-beatles-paul-mccartney-on-wings-feature |archive-date=10 September 2012 |url-status=live }}</ref>。抜き打ちで選んだ大学に
1972年にウイングスはシングル「[[アイルランドに平和を]]」「[[メアリーの子羊]]」「[[ハイ・ハイ・ハイ]]」「[[C・ムーン]]」を発表した。「アイルランドに平和を」は政治的な内容であるとして、「ハイ・ハイ・ハイ」は
=== 音楽的全盛期:1973年 - 1976年 ===
[[1973年]]になると、新アルバム『[[レッド・ローズ・スピードウェイ]]』の先行シングル「[[マイ・ラヴ (ポール・マッカートニー&ウイングスの曲)|マイ・ラヴ]]」が大ヒット
ウイングスとしての活動
[[1974年]]になると、ポールはコンサート活動の再開を思案する。新たなメンバーを必要としたポールは選考オーディションを行い、最終的にギター担当の元[[:en:STONE THE CROWS|ストーン・ザ・クロウズ]]の[[ジミー・マカロック]]、ドラマーとして[[:en:Geoff Britton|ジェフ・ブリトン]]をグループに加入させた{{Efn|マカロック加入直後の1月から5月まで、メンバー4人でポールの弟マイクのレコーディングセッションに参加している。ブリトンは6月に加入した。}}。この2人を加えた新たなラインナップを引き連れて[[ナッシュビル]]、[[ロンドン]]などでレコーディングを行い、シングル「[[ジュニアズ・ファーム]]」も発表された。[[1975年]]1月には[[ニューオーリンズ]]に渡って本格的なアルバムの制作に取り掛かる。しかしその矢先にブリトンが脱退{{Efn|彼がグループを脱退したのは加入からわずか7か月後のことであり、この布陣はグループの約10年間の活動期間の中で最も短命に終わっている。}}。代わって[[:en:Joe English (musician)|ジョー・イングリッシュ]]がドラマーとして加入し、完成したアルバムは『[[ヴィーナス・アンド・マース (アルバム)|ヴィーナス・アンド・マース]]』として同年5月に発売された。このアルバムは、前作の成功が追い風となり、アメリカでは発売前の予約枚数だけで200万枚に達する高いセールスを記録し、先行シングル「[[あの娘におせっかい]]」とともに全米1位を達成した。▼
▲[[1974年]]
[[ファイル:Paul McCartney with Jimmy McCulloch - Wings - 1976.jpg|thumb|right|230px|ジミー・マカロック(左)とポール・マッカートニー(1976年)]]▼
[[ファイル:Denny Laine - Wings - 1976.jpg|thumb|right|170px|デニー・レイン(1976年)]]▼
『ヴィーナス・アンド・マース』には、ポール以外のメンバーがリード・ヴォーカルをとる楽曲が2曲収録されている。その一つ「メディシン・ジャー」はジミー・マカロック自身による作曲であったが、こういった楽曲を収録する背景には、「あくまでポール・マッカートニーのバックバンドにすぎない」という世間のウイングスに対する一般的なイメージを払拭したいとする彼の狙いがあった。なお、アーティスト名もこのアルバムからウイングス名義に戻っている。
[[1975年]][[9月]]
=== 後期の活動:1977年 - 1979年 ===
長期間のツアーを終えたあと、レインはソロ・アルバムの制作{{Efn|[[バディ・ホリー]]のカバー・アルバム『[[:en:Holly Days|ホリーデイズ]]』。ポールがプロデュースした。}}、マカロックは他のグループに参加{{Efn|兄のジャック・マカロック(ドラムス)、デイヴ・クラーク(ベース、キーボード、ボーカル)と共に「ホワイト・ライン」を結成し数回のギグを行い、シングル「"Call My Name"/"Too Many Miles"」を
リンダが産休に入っていた期間にウイングス名義でリリースされた唯一のレコードが、
[[1978年]]
1979年6月に
=== 解散 ===
[[1980年]]、ウイングスは初の
秋に予定されていた全米ツアーは
10月31日・11月3日、
[[1981年]]になるとすぐに、マッカートニーは[[サセックス]]のパークゲート・スタジオ
2月になると、
=== その後 ===
[[1997年]]3月、[[:en:East Rutherford, New Jersey|ニュージャージー州イーストラザフォード]]で開催された「[[:en:the Fest for Beatles Fans|ビートルフェスト・コンベンション]]」で、[[デニー・レイン]]、[[ローレンス・ジューバー]]、[[:en:Steve Holley|スティーブ・ホリー]]が顔を揃えた。この即席の再結成は元々予定されていなかったため、これ以降の計画が立てられることもなかった<ref>[https://www.cottageviews.com/wings.htm 1997 "Wings" photo page by Michael Cimino Archives] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20081201191435/http://cottageviews.com/wings.htm |date=December 1, 2008 }}.</ref>。しかし、10年後の[[2007年]]7月、今度はレイン、ジューバー、[[:en:Denny Seiwell|デニー・セイウェル]]の3人が、[[ネバダ州]][[ラスベガス]]で開催された「ビートルフェスト・コンベンション」で顔を揃え、「[[バンド・オン・ザ・ラン (曲)|バンド・オン・ザ・ラン]]」「[[夢の旅人]]」「[[ゴー・ナウ]]」を演奏した<ref>[https://web.archive.org/web/20070117015943/http://classicrockcentral.com/classic_rock_news.cfm#39 "Wings Alumni to Take Flight"], ClassicRockCentral.com, 10 July 2007. Retrieved 17 September 2007.</ref>。この後、たびたびイベントに「元ウイングス」が登場することになった。▼
[[2001年]]には[[:en:MPL Communications|MPLコミュニケーションズ]]が制作したウイングスの軌跡を扱ったドキュメンタリー番組『[[:en:Wingspan (film)|ウイングスパン]]』が、ベスト・アルバム『[[夢の翼〜ヒッツ&ヒストリー〜]]』(''[[:en:Wingspan: Hits and History|Wingspan: Hits and History]]'')の発売に合わせて、全世界で放映された。さらに[[2002年]]には番組の脚本に基づいてビートルズの歴史家[[:en:Mark Lewisohn|マーク・ルイソン]]が編集した書籍『ウイングスパン』が出版された。▼
* 2010年3月、[[:en:Secaucus, New Jersey|ニュージャージー州セコーカス]]で開催された「[[:en:the Fest for Beatles Fans|ビートルズファンのためのフェスティバル]](以下フェスティバル)」にレインとセイウェルが登場<ref>[https://www.thefest.com/news/index.php/2010/02/06/denny-laine-others-added-to-ny-metro-lineup/ The Fest for Beatles Fans " Blog Archive " Denny Laine & others added to NY METRO Lineup.] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100220070134/http://www.thefest.com/news/index.php/2010/02/06/denny-laine-others-added-to-ny-metro-lineup/ |date=20 February 2010 }} Retrieved 20 February 2010.</ref>。▼
* 同年8月、[[イリノイ州]][[シカゴ]]で行われたフェスティバルではジューバーが加わった。▼
* 2014年10月、[[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]で開催されたフェスティバルでも3人が共演。セットリストには、「[[ハイ・ハイ・ハイ]]」「007 死ぬのは奴らだ」と「[[ロケストラのテーマ]]」が含まれていた<ref name="la14">{{cite news|last=Gomez|first=Sal|title=Entertainment Corner: The Fest for Beatles Fans|url=https://midvalleynews.com/entertainment-and-beyond/music-reviews-movie-reviews-book-reviews/2014/10/29/entertainment-corner-the-fest-for-beatles-fans/|newspaper=Mid Valley News|location=El Monte, CA|date=October 29, 2014|accessdate=February 2, 2015}}</ref>。▼
* 2017年8月、3人は再びシカゴでのフェスティバルに出演し、
* 2018年1月、[[:en:Upland, California|カリフォルニア州アップランド]]のグランドオークライブで行われたイベント「イマジン・サムシング・イエスタデイ」でレイン、ジューバー、セイウェル、ホリーが共演し、[[ヘッドライナー (コンサート)|ヘッドライナー]]として演奏を行った。<ref>{{Cite web|url=https://www.facebook.com/events/428942187521928|accessdate=2021-01-19|title=Imagine Something Yesterday (Take III)|website=www.facebook.com}}</ref>▼
* 2019年3月、[[:en:Jersey City, New Jersey|ニュージャージー州ジャージーシティ]]のフェスティバルでレイン、ジューバー、ホリーは再び共演し、ウイングスのラストアルバムとなった『バック・トゥ・ジ・エッグ』から「[[ゲッティング・クローサー]]」「[[ソー・グラッド]]」「ロケストラのテーマ」など数曲を演奏した
▲[[2001年]]には[[:en:MPL Communications|MPLコミュニケーションズ]]が制作したウイングスの軌跡を扱ったドキュメンタリー番組『[[:en:Wingspan (film)|ウイングスパン]]』が、ベスト・アルバム『[[夢の翼〜ヒッツ&ヒストリー〜
2010年11月『[[バンド・オン・ザ・ラン]]』から開始されたプロジェクト「[[:en:Paul McCartney Archive Collection|ポール・マッカートニー・アーカイブ・コレクション]]」では、ウイングスの未発表音源(ライブ、リハーサル、デモ、別ミックス等)が数多く公開されている。また、未公開だった『ブルース・マックマウス・ショー』(1972)や『ワン・ハンド・クラッピング』(1974)、未発売だったTV番組 『ジェームズ・ポール・マッカートニー』などの映像作品も公開された。2021年1月現在、『ロンドン・タウン』と『バック・トゥ・ジ・エッグ』の2作を除くウイングス名義のオリジナルアルバムとライブアルバムはリリース済である。▼
2003年に公開されたアメリカ映画『[[セイブ・ザ・ワールド]] (''[[:en:The In-Laws (2003 film)|The In-Laws]]'')』のサウンドトラックにポールが3曲提供したが、いずれもウイングスの音源だった。1曲目は『[[ラム (アルバム)|ラム]]』のセッションで録音され、その後1980年の『コールド・カッツ』用のセッションで追加のオーバーダブを行った「A Love For You」。2曲目は『[[ワン・ハンド・クラッピング]]』のセッションで録音された「[[007 死ぬのは奴らだ]]」<ref>{{cite web|url=https://superdeluxeedition.com/news/paul-mccartney-wings-one-hand-clapping/|title=Paul McCartney & Wings / One Hand Clapping|first=Paul|last=Sinclair|date=23 April 2024|website=superdeluxeedition.com|accessdate=2024-06-18}}</ref>。3曲目は『ロンドン・タウン』に収録されていた「I'm Carrying」だった。
▲2010年11月『
▲しかし、10年後の[[2007年]]7月、今度はレイン、ジュバー、[[:en:Denny Seiwell|デニー・セイウェル]]の3人が、[[ネバダ州]][[ラスベガス]]で開催された「ビートルフェスト・コンベンション」で顔を揃え、「[[バンド・オン・ザ・ラン (曲)|バンド・オン・ザ・ラン]]」「[[夢の旅人]]」「[[ゴー・ナウ]]」を演奏した<ref>[https://web.archive.org/web/20070117015943/http://classicrockcentral.com/classic_rock_news.cfm#39 "Wings Alumni to Take Flight"], ClassicRockCentral.com, 10 July 2007. Retrieved 17 September 2007.</ref>。この後、たびたびイベントに「元ウイングス」が登場することになった。
2016年6月14日、[[北アイルランド]]・[[:en:Ballymoney|バリマネー]]でヘンリー・マカロックが72歳で亡くなった。2012年11月に重篤な心臓発作を起こし、闘病生活を送っていた<ref>{{Cite web|title=Former Wings guitarist Henry McCullough dies, aged 72|url=https://www.theguardian.com/music/2016/jun/15/wings-guitarist-henry-mccullough-grease-band-dies|publisher=GuardianNews |date=2016-06-15 |accessdate=2023-12-07 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=元ウイングスのギタリスト、ヘンリー・マカロック死去|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000127999|publisher=BARKS |date=2016-06-15 |accessdate=2023-12-07 }}</ref>。グループ脱退以後、メンバーとの接点はなかったが、2014年に[[アイルランド]]のシンガーソングライター、[[:en:Don Mescall|ドン・メスコール]]が企画したヘンリーのトリビュート・ソング「Live Long Rock & Roll」のレコーディングにポールがベースで参加した。この曲は2019年にシングルとしてリリースされ、ヘンリーのアルバム『Ballywonderland』に収録された<ref>{{Cite web|title=WORLD EXCLUSIVE: Paul McCartney, Nick Mason and more team up for Henry McCullough tribute song 'Live Long Rock 'n' Roll' co written and produced by internationally acclaimed Irish songwriter Don Mescall|url=https://www.hotpress.com/music/world-exclusive-paul-mccartney-nick-mason-team-henry-mccullough-tribute-song-live-long-rock-n-roll-written-produced-internationally-acclaimed-don-mescall-22783342|publisher=Hotpress|date=2019-08-01 |accessdate=2024-01-07 }}</ref>。
▲* 2010年3月、[[:en:Secaucus, New Jersey|ニュージャージー州セコーカス]]で開催された「[[:en:the Fest for Beatles Fans|ビートルズファンのためのフェスティバル]](以下フェスティバル)」にレインとセイウェルが登場<ref>[https://www.thefest.com/news/index.php/2010/02/06/denny-laine-others-added-to-ny-metro-lineup/ The Fest for Beatles Fans " Blog Archive " Denny Laine & others added to NY METRO Lineup.] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100220070134/http://www.thefest.com/news/index.php/2010/02/06/denny-laine-others-added-to-ny-metro-lineup/ |date=20 February 2010 }} Retrieved 20 February 2010.</ref>。
▲* 同年8月、[[イリノイ州]][[シカゴ]]で行われたフェスティバルではジューバーが加わった。
2021年11月に公開されたアメリカ映画『[[リコリス・ピザ]]』でアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』収録の「[[レット・ミー・ロール・イット]]」が使用された<ref>{{Cite web|和書|title=リコリス・ピザ - オリジナル・サウンドトラック|url=https://www.universal-music.co.jp/licorice-pizza/products/uicu-1342/|publisher=Universal Music |date= |accessdate=2023-12-07 }}</ref>。
▲* 2014年10月、[[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]で開催されたフェスティバルでも3人が共演。セットリストには、「[[ハイ・ハイ・ハイ]]」「007 死ぬのは奴らだ」と「[[ロケストラのテーマ]]」が含まれていた<ref name="la14">{{cite news|last=Gomez|first=Sal|title=Entertainment Corner: The Fest for Beatles Fans|url=https://midvalleynews.com/entertainment-and-beyond/music-reviews-movie-reviews-book-reviews/2014/10/29/entertainment-corner-the-fest-for-beatles-fans/|newspaper=Mid Valley News|location=El Monte, CA|date=October 29, 2014|accessdate=February 2, 2015}}</ref>。
▲* 2017年8月、3人は再びシカゴでのフェスティバルに出演し、今回はホリーも参加した<ref>{{Cite web|url=https://www.facebook.com/DBFLaine/posts/2062878893730013|accessdate=2021-01-19|title=Denny Laine|website=www.facebook.com}}</ref>。
2023年6月、シングル「007 死ぬのは奴らだ」の発売50周年を記念して、同曲のオリジナル・プロデューサー、ジョージ・マーティンの息子である[[ジャイルズ・マーティン]]とスティーヴ・オーチャードがリミックスを手掛けた[[ドルビーアトモス]]音源が[[Apple Music]]で配信された<ref>{{Cite web|和書|title=NEWSポール・マッカートニー、ウイングス「Live and Let Die」50周年記念でドルビーアトモス音源を配信|url=https://www.udiscovermusic.jp/news/paul-mccartneylive-and-let-die-dolby-atmos-mix|publisher=uDiscoverMusic |date=2023-06-026 |accessdate=2023-12-07 }}</ref>。
▲* 2018年1月、[[:en:Upland, California|カリフォルニア州アップランド]]のグランドオークライブで行われたイベント「イマジン・サムシング・イエスタデイ」でレイン、ジューバー、セイウェル、ホリーが共演し、[[ヘッドライナー]]として演奏を行った。<ref>{{Cite web|url=https://www.facebook.com/events/428942187521928|accessdate=2021-01-19|title=Imagine Something Yesterday (Take III)|website=www.facebook.com}}</ref>
▲* 2019年3月、[[:en:Jersey City, New Jersey|ニュージャージー州ジャージーシティ]]のフェスティバルでレイン、ジューバー、ホリーは再び共演し、ウイングスのラストアルバムとなった『バック・トゥ・ジ・エッグ』から「[[ゲッティング・クローサー]]」「[[ソー・グラッド]]」「ロケストラのテーマ」など数曲を演奏した。<ref>"Wings Reunion at The Fest For Beatles Fans 2019". ''www.youtube.com.'' 2021年1月19日閲覧。</ref>
12月4日、アルバム『バンド・オン・ザ・ラン』発売50周年を記念して、翌年2月に未発表音源を含めた「50周年記念エディション」をリリースすることが発表された。アンダーダブド・ミックスと呼ばれるこの未発表音源は、1973年10月に制作されたオーバーダビング前のラフミックスであった<ref>{{Cite web|和書|title=ポール・マッカートニー&ウイングス、代表作『バンド・オン・ザ・ラン』50周年記念盤の日本盤リリース決定|url=https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/132572/2|publisher=billboard Japan |date=2023-12-08 |accessdate=2024-02-07 }}</ref>。7日にタイトル曲のアンダーダブド・ミックスが配信限定で公開された<ref>{{Cite web|和書|title=NEWS『Band On The Run』50周年記念盤から表題曲の“アンダーダブ・ミックス”が公開|url=https://www.udiscovermusic.jp/news/paul-mccartney-wings-underdubbed-band-on-the-run|publisher=uDiscoverMusic |date=2023-12-12 |accessdate=2024-02-07 }}</ref>。
12月5日、[[フロリダ州]][[ネープルズ (フロリダ州)|ネープルズ]]でレインが79歳で亡くなった。2022年に[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス]]に感染し、その後、[[間質性肺炎]]で闘病生活を送っていた<ref>{{Cite web|和書|title=ムーディー・ブルースやウイングス創設メンバー、デニー・レインが79歳で逝去。その功績を辿る|url=https://www.udiscovermusic.jp/news/denny-laine-wings-the-moody-blues-dies-at-79|publisher=uDiscoverMusic |date=2023-12-06 |accessdate=2023-12-07 }}</ref>。一週間前の11月27日に彼の医療費を集めるためのベネフィット・コンサートがカリフォルニア州ウェスト・ハリウッドの有名なナイトクラブ、[[:en:Troubadour (West Hollywood, California)|トルバドール]]で開催されたばかりだった<ref>{{cite web|和書|url=https://amass.jp/170274/|title=デニー・レインの支援するベネフィット公演にウイングス/バッドフィンガー/モンキーズ/バングルスのメンバーら参加|publisher=amass|date=2023-10-09|accessdate=2024-07-29}}</ref>。
2024年2月2日、『バンド・オン・ザ・ラン』50周年記念エディションが2枚組で発売された。
4月26日、1974年8月のスタジオ・ライブ音源『[[ワン・ハンド・クラッピング]]』を6月14日にリリースすることが発表された<ref>{{Cite web|和書|title=ポール・マッカートニー&ウイングス 1974年 未発表スタジオライヴ『ワン・ハンド・クラッピング』2024年6月14日 (金) 発売|url=https://www.hmv.co.jp/news/article/240425126/?utm_campaign=LHdiv_hmv_extra&utm_medium=email&utm_source=240426_in_rknew&site=hmv_extra_in29|publisher=HMV & BOOKS online |date=2024-04-23 |accessdate=2024-04-26 }}</ref>。これは[[MPLコミュニケイションズ]]が製作したドキュメンタリー番組『ワン・ハンド・クラッピング』制作時に録音されたものであった。番組は未公開となっていたが、2010年リリースの『バンド・オン・ザ・ラン』アーカイヴ・コレクションDVDに収録にされた。
=== 変名バンド ===
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{{Main|ウイングスの作品}}
(チャート;英:ミュージックウィーク/米:ビルボード)
▲[[ファイル:Denny Laine - Wings - 1976.jpg|thumb|right|170px|デニー・レイン(1976年)]]
:*『[[
▲[[ファイル:Paul McCartney with Jimmy McCulloch - Wings - 1976.jpg|thumb|right|230px|ジミー・マカロック(左)とポール・マッカートニー(1976年)]]
:*『[[
:*『[[バ
▲=== オリジナル・アルバム ===
:*『[[
:*『[[
:*『[[
:*『[[
▲*『[[ロンドン・タウン]]』 - ''[[:en: London Town (Wings album)|London Town]]''(1978年)(英4/米2)
▲*『[[バック・トゥ・ジ・エッグ]]』 - ''[[:en: Back to the Egg|Back to the Egg]]''(1979年)(英6/米8)
▲*『[[ウイングス・オーヴァー・アメリカ]]』 - ''[[:en:Wings Over America|Wings Over America]]''(1976年)(英8/米1週'''1''')
== フィルモグラフィ ==
=== 劇場用映画 ===
* 『ロックショウ』 - ''[[:en:Rockshow|Rockshow]]''([[1981年]]) — [[1976年]][[6月10日]]に行われたアメリカ、[[シアトル]]の[[キング・ドーム]]公演を収めた{{Efn|実際はツアーの4
=== TV番組 ===
* 『ブルース・マックマウス・ショー』- ''The Bruce McMouse Show'' — 1972年のウイングスのヨーロッパ・ツアーの映像を使い、ステージの下に住むネズミ一家のアニメと交ぜて構成した52分の作品。未発表だったが「アーカイブ・コレクション」で公開された。
* 『ジェームズ・ポール・マッカートニー』- ''[[:en:James Paul McCartney (TV program)|James Paul McCartney]]''([[1973年]]) — スタジオライブやステージでの演奏シーンなどを交えて構成された50分のTVスペシャル番組。まずアメリカで4月16日に[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABC]]で放映され、同年6月に[[イギリス]]の[[ITV (イギリス)|ITV]]で放映された。日本では[[1974年]]3月26日に[[日本放送協会|NHK]]の「世界のワンマンショー」で40分に編集された短縮版が放映され、76年7月にも再放映された。
* 『[[ワン・ハンド・クラッピング#映像版『ワン・ハンド・クラッピング』|ワン・ハンド・クラッピング]]』- ''One Hand Clapping''(1974年-[[1975年]]制作)— ロンドンのアビイ・ロード・スタジオ、ナッシュビルなどでのスタジオライブやセッションを収めた50分の映像作品。未発表だったが「アーカイブ・コレクション」で公開された。
* 『ウイングス・オーヴァー・ザ・ワールド』- ''[[:en:Wings Over the World|Wings Over the World]]''([[1979年]]) — [[1976年]]のワールド・ツアーの模様を収めた73分のTV[[ドキュメンタリー]]映画作品。1979年3月にアメリカの[[CBS]]で放映され、翌4月にはイギリス[[英国放送協会|BBC]]2で放映された。日本では10月13日にNHKの「[[ヤング・ミュージック・ショー]]」で放映された。
* 『バック・トゥ・ジ・エッグ』- ''[[:en:Back to the Egg (TV program)|Back to the Egg]]''(1979年) — 同名アルバムのPVをTV用にまとめた30分の番組。1979年11月にアメリカの[[:en:TBS (American TV channel)|WTBS]]で初めて放映されたが、英国BBC1での放映は、バンド解散から2ヶ月後の1981年6月まで延期された。
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* {{Cite book |last1=Madinger |first1=Chip |last2=Easter |first2=Mark |title=Eight Arms to Hold You: The Solo Beatles Compendium |publisher=44.1 Productions |location=Chesterfield, MO |year=2000 |isbn=0-615-11724-4 |ref=harv }}
* {{cite book |last= Badman |first= Keith |title= The Beatles Diary Volume 2: After the Break-Up 1970-2001|publisher= Omnibus Press |year=2001 |isbn=978-0-711-98307-6|ref=harv }}
* {{cite book| last=Everett| first=Walter| year=2001| title=The Beatles as Musicians: The Quarry Men through Rubber Soul| publisher=Oxford University Press| location=New York, NY| isbn=0-19-514105-9| url=https://archive.org/details/beatlesasmusicia00ever|ref=harv }}
* {{cite book |last= Rosen |first= Robert |title= Nowhere Man: The Final Days of John Lennon |publisher= Quick American Archives |year=2002 |isbn= 978-0-932-55151-1|ref=harv }}
* {{cite book |last= Lewisohn |first= Mark |title= Wingspan |publisher= Little, Brown and Company |year=2002 |isbn=0-316-86032-8|ref=harv }}
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