マヒンダ・ラージャパクサ
パーシー・マヒンドラ・“マヒンダ”・ラージャパクサ(シンハラ語: පර්සි මහේන්ද්ර "මහින්ද" රාජපක්ෂ, タミル語: பேர்சி மகேந்திரா "மகிந்த" ராசபக்ச, 英語: Percy Mahendra "Mahinda" Rajapaksa, 1945年11月18日[1] - )は、スリランカの政治家。同国大統領(第6代: 2005年 - 2015年)、首相(3期目、第18・22・24代)、財務大臣などを歴任した。弟に第8代大統領ゴーターバヤ・ラージャパクサを持つ。
マヒンダ・ラージャパクサ මහින්ද රාජපක්ෂ மகிந்த ராசபக்ச Mahinda Rajapaksa | |
任期 | 2005年11月19日 – 2015年1月9日 |
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首相 | ラトナシリ・ウィクラマナカ D・M・ジャヤラトナ |
内閣 | マヒンダ・ラージャパクサ内閣 |
任期 | 2004年4月6日 – 2005年11月19日 2018年10月26日 – 2018年12月15日 2019年11月21日 – 2022年5月9日 |
大統領 | チャンドリカ・クマーラトゥンガ マイトリーパーラ・シリセーナ ゴーターバヤ・ラージャパクサ |
任期 | 2013年8月26日 – 2015年1月8日 |
内閣 | マヒンダ・ラージャパクサ内閣 |
任期 | 2010年4月23日 – 2015年1月8日 |
内閣 | マヒンダ・ラージャパクサ内閣 |
任期 | 2005年11月23日 – 2015年1月9日 2018年10月26日 – 2018年12月15日 |
内閣 | マヒンダ・ラージャパクサ内閣 第3次シリセーナ内閣 |
任期 | 2005年11月19日 – 2015年1月8日 |
内閣 | マヒンダ・ラージャパクサ内閣 |
任期 | 2004年4月22日 – 2005年11月19日 |
内閣 | クマーラトゥンガ内閣 |
任期 | 1997年 – 2001年9月14日 |
内閣 | クマーラトゥンガ内閣 |
任期 | 1994年8月19日 – 1997年 |
内閣 | ウィジェートゥンガ内閣 クマーラトゥンガ内閣 |
出生 | 1945年11月18日(79歳) イギリス領セイロン 南部州ハンバントタ |
政党 | (スリランカ人民戦線→) スリランカ自由党 |
受賞 | パレスチナ星勲章 特定銃器賞 |
出身校 | リッチモンド・カレッジ ナーランダ・カレッジ サースタン・カレッジ スリランカ法科大学 |
配偶者 | シラーンティ・ラージャパクサ (1983年 - ) |
子女 | ナーマル・ラージャパクサ (1986年 - ) ヨーシタ・ラージャパクサ (1988年 - ) ローヒテ・ラージャパクサ (1989年 - ) |
宗教 | 仏教 |
日本語での表記としては、外務省が用いているシンハラ語読みに近いマヒンダ・ラージャパクサ以外に[2]、マヒンダ・ラジャパクサ、マヒンダ・ラジャパクセなどが存在する。
来歴
編集ラージャパクサはハンバントタ郊外の町でシンハラ人仏教徒の両親の息子として生まれた。名はスリランカに仏教を広めたマウリヤ朝のアショーカ王の子マヒンダに因む。彼の父D・A・ラージャパクサはスリランカを代表する政治家で独立運動の指導者のひとりであった。成長したラージャパクサはゴールのリッチモンド・カレッジ、コロンボのサースタン・カレッジとナーランダ・カレッジに学んだ。若い頃にはシンハラ語の映画に出演した経験がある[3]。25歳になった1970年にスリランカ自由党 (SLFP) から国会議員に初当選し、スリランカの国会議員初当選最年少記録を打ちたてた[1]。以降は労働・職業訓練大臣や漁業・水産資源開発大臣を務め[2]、2004年にチャンドリカ・クマーラトゥンガ大統領の下、首相に就任した。
大統領
編集憲法の3選禁止条項により出馬できないクマーラトゥンガに代わり、後継者として2005年の大統領選に出馬。対立候補のラニル・ウィクラマシンハを50.3%の18万票差の僅差で破り、第6代大統領に就任した。
翌2006年より再燃したスリランカ内戦においては、タミル人武装組織のタミル・イーラム解放のトラ (LTTE) に対して徹底攻撃で臨んだ。LTTEから分離したタミル人民解放の虎 (TMVP) を与党連合の統一人民自由同盟 (UPFA) に引き込んで政府軍と連携させてタミル人武装勢力を分断させ、中華人民共和国とパキスタンから大々的な軍事支援を受けたこともあり[4][5][6][7]、2009年にはLTTEを壊滅させてスリランカ全土の実効支配を回復した。
26年に亘る内戦を終結させた功績を元に、2010年には任期を短縮しての早期選挙を実施。1月26日投開票の大統領選挙では同じく内戦終結の功労者であるサラット・フォンセカ前国防次官を破り、再選を果たした。同年、国会の解散総選挙を行い、UPFAは225議席中144議席と大勝した。さらに、選挙後の入党者を含め161議席を占めた。こうした圧倒的な人気を背景に、同年10月には大統領の3選禁止などを撤廃する憲法修正案を可決させた。
2011年には前政権から中国の支援を得て建設された劇場をマヒンダ・ラージャパクサ劇場に改称した。
2007年12月と2013年3月12日に訪日している。
2014年11月、再び任期を短縮しての早期選挙に挑むも、与党SLFPの幹事長で保健大臣のマイトリーパーラ・シリセーナが政権を離脱、新民主戦線 (NDF) より野党統一候補として立候補する事態となり、2015年1月8日の投開票においてシリセーナに敗れた。敗北の理由としては、前述の3選禁止条項の撤廃に加え、親族を要職につかせるなど縁故主義的で独裁的な体制が、有権者からの反発を招いたとされている[8][9]。
大統領退陣後
編集ラージャパクサ政権からシリセーナ政権への移行は平和的に行われた。一方で2015年1月に、選挙戦の終盤に敗色濃厚が伝えられたラージャパクサが、開票前に軍や警察にクーデターを要請したという疑惑や[10]、政権時代に進められたロータス・タワー、マッタラ・ラージャパクサ国際空港、ハンバントタ港、高速道路の建設といった大規模プロジェクトについても、汚職疑惑が取り沙汰された[11]。また、インフラストラクチャー整備の資金は外国からの有償資金援助で賄われたため、スリランカの国家債務が急激に増加、2018年には、完済までに400年もかかるという「借金漬け外交」に陥る状況を生み出した[12]。
2015年8月の国会選挙においては、UPFAの事実上のリーダーとして復権を試みるも敗北、議員としての当選は果たしたものの目標としていた首相就任は断念した[13]。SLFPの主導権もシリセーナに奪われたが、その後もSLFP内のラージャパクサ派を通じて影響力を保ち、さらに2018年2月の地方自治体選挙では政権への批判票を集める形で自身が主導するスリランカ人民戦線 (SLPP) を大勝させるなど、再び政治の表舞台へと返り咲いた[14]。
2018年の政変
編集2018年10月26日には、シリセーナ政権における大統領と首相のウィクラマシンハの対立を受ける形で、突然の首相再任を果たした。しかしこの再任については、2015年の憲法改正により大統領の首相解任権が失われていたため、ウィクラマシンハ側がこの首相交代を認めない意向を示した[15]。10月29日にはさらに財務大臣に任命され、兼任することとなった[16]。だが国会からの反発は大きく、11月14日に不信任決議を可決された[17]。このときシリセーナ大統領が発声による採決を行ったのは手続き上問題があると指摘したため、国会はさらに11月16日に改めて不信任決議を可決している[18]。
12月3日、裁判所はラージャパクサに対して首相職務を12月12日まで停止するよう命じた[19]。最終的に12月15日、ラージャパクサは首相を辞任すると表明し[20]、翌16日にウィクラマシンハがシリセーナ大統領より再び首相に任命されたことで、二人が同時に自らを首相と主張する異常事態はひとまず収束した[21]。
3度目の首相
編集2019年の大統領選においては、ラージャパクサはSLPPの大統領候補として弟のゴーターバヤ・ラージャパクサを擁立した。前年の政変で評価を落とし政権運営も行き詰まっていたシリセーナは大統領選を辞退。SLFPもゴーターバヤ支持に周り、11月17日の投票でゴーターバヤは勝利を収めた。マヒンダは、第8代大統領となったゴーターバヤにより、11月20日に改めて新首相に指名された[22]。2020年8月5日の総選挙では党首としてスリランカ人民戦線を率い、225議席中145議席を獲得し3分の2に迫る圧勝を果たした[23]。2020年12月の時点では財務大臣、都市開発住宅大臣を兼任する[24]。
2022年に発生した経済危機において、政府への大規模な抗議デモが相次いだことを受け、同年5月9日に首相を辞任した[25]。
親族
編集政治家の家系であり、夫人との間には3人の子を持つ[2]。大統領時代には親族をたびたび要職に取り立てていた。以下に著名な親族を示す。
- チャマル・ラージャパクサ - 兄。灌漑水管理省大臣/農業開発省大臣/港湾航空省大臣
- ゴーターバヤ・ラージャパクサ - 弟。第8代大統領、国防・都市開発省次官[26]
- バジル・ラージャパクサ - 弟。財務大臣
- ナマル・ラージャパクサ - 長男。青年・スポーツ大臣[1]
脚注
編集- ^ a b c “マヒンダ・ラージャパクサ首相略歴”. 外務省 (2021年7月2日). 2022年3月11日閲覧。
- ^ a b c “マヒンダ・ラージャパクサ スリランカ民主社会主義共和国大統領 略歴”. 要人略歴. 外務省 (2010年4月). 2014年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月11日閲覧。
- ^ http://www.globalinsight.com/SDA/SDADetail2481.htm
- ^ “China aided Sri Lanka bloodbath”. The Economic Times (2009年6月8日). 2019年11月30日閲覧。
- ^ “China fuels Sri Lankan war”. ジャパンタイムズ (2009年3月4日). 2019年11月16日閲覧。
- ^ “How Beijing won Sri Lanka's civil war”. The Independent (2010年5月23日). 2019年11月30日閲覧。
- ^ “China's aid revealed in Sri Lanka's victory parade”. The National (2009年6月9日). 2019年11月30日閲覧。
- ^ “前保健相が現職破り勝利 中国依存を「浅はかな外交」と脱却目指す”. 産経新聞 (2015年1月10日). 2015年1月10日閲覧。
- ^ “スリランカ 現職が敗北認め政権交代へ”. NHK (2014年1月9日). 2014年1月11日閲覧。
- ^ “Sri Lanka to investigate 'Rajapaksa coup plot'” (英語). BBC (2015年1月11日). 2015年1月24日閲覧。
- ^ “Sri Lanka's new government to investigate Mahinda Rajapaksa corruption allegations”. IBTimes (2015年1月16日). 2015年1月24日閲覧。
- ^ “スリランカ、中国「負債トラップ」が露呈 財政難に”. ロイター (2018年8月1日). 2018年12月7日閲覧。
- ^ “スリランカ議会選挙、与党陣営勝利 中国依存修正など継続へ”. 日本経済新聞 (2015年8月18日). 2015年8月31日閲覧。
- ^ 荒井悦代「2018年のスリランカ 大統領による前代未聞の政変」『アジア動向年報』第2019巻、日本貿易振興機構アジア経済研究所、2019年、541-564頁、CRID 1390845702303578368、doi:10.24765/asiadoukou.2019.0_541、ISSN 09151109、2024年4月19日閲覧。
- ^ “スリランカで憲政の危機、大統領が首相を解任 前大統領が新首相に”. AFP通信 (2018年10月27日). 2018年10月27日閲覧。
- ^ “Mahinda Rajapaksa assumes charge as new Sri Lankan Prime Minister”. The Financial Express. (2018年10月29日) 2018年10月30日閲覧。
- ^ “政治混乱続くスリランカ、議会が内閣不信任案可決”. AFPBB News. フランス通信社. (2018年11月14日) 2018年11月15日閲覧。
- ^ “Sri Lanka president rejects no-confidence on disputed PM”. The Washington Post. ワシントン・ポスト. (2018年11月16日) 2018年11月17日閲覧。
- ^ “Sri Lanka Court Temporarily Blocks Mahinda Rajapaksa From Prime Minister’s Job”. ニューヨーク・タイムズ. (2018年12月3日) 2018年12月4日閲覧。
- ^ “ラジャパクサ氏が首相辞任=ウィクラマシンハ氏再登板も-スリランカ”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2018年12月15日) 2018年12月15日閲覧。
- ^ “ウィクラマシンハ氏、首相復帰=混乱1カ月半、正常化に期待-スリランカ”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2018年12月16日) 2018年12月17日閲覧。
- ^ “Sri Lanka's Mahinda Rajapaksa to be sworn in as PM by his brother”. ロイター. (2019年11月20日) 2019年11月21日閲覧。
- ^ “Explained: What the massive election victory for Rajapaksa means for Sri Lanka”. The Indian Express. (2020年8月7日) 2020年8月8日閲覧。
- ^ “スリランカ、大統領に再び権限集中 就任1年で改憲”. 日本経済新聞. (2020年11月30日) 2020年12月5日閲覧。
- ^ “スリランカ首相が辞任、大統領の実兄-危機エスカレートの中”. ブルームバーグ (2022年5月9日). 2022年5月10日閲覧。
- ^ 大統領が大臣を兼任していた状態での次官。
関連項目
編集外部リンク
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