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代わって各国内で弓馬に優れたものを選抜する[[健児]]の制が布かれ、各国内の治安維持に当たった。健児になるためには、経済力と武芸の訓練を行う時間が必要であるため、古墳時代以来の地方首長層に出自する[[郡司]]の子弟と、新たに地方経済の発展により成長を遂げた富豪[[百姓#古代|百姓]]([[田堵]])が対象となった。また大乱の際には国司の管理下の移配[[俘囚]]も武力として動員され、[[俘囚]]の反乱・[[新羅の入寇]]などの際に活躍した。
 
健児の定員は、国ごとに30~100人程度と、数千人に達する軍団よりはるかに少なく、「試練を行なって1人を以て100人に当り得る強力な兵士」となることが求められた<ref>貞観8年(866年)11月の勅</ref>。これら健児は弓射騎兵であり、職能的には次代の[[武士]]と連続性を持つといえる。ただし、健児を動かすには[[国衙]]を通じて中央の承認を得る必要があり、運用の柔軟性が向上したわけではなかった
 
なお、防人に関しては東国からの徴兵は廃止されたものの、9世紀初めから10世紀終わりにかけて、しばしば新羅の海賊が九州を襲ったため([[新羅の入寇]])制度自体は存続し、九州の兵士がそれにあてられた。