「早慶戦」の版間の差分
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→柔道: 2018 女子の部 |
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1940年に交渉がまとまり、予科戦から全早慶戦に発展した「第1回早慶対抗柔道戦」として改めて立ち上げられた<ref name=":4">{{Cite book|和書 |title=慶應義塾柔道部史 |date=1978-01-20 |publisher=三田柔友会 |pages=273-276,297-303 |url=http://mitajuyukai.gr.jp/wp-content/themes/public_html/images/history/pdf/100/12.pdf |format=PDF |access-date=2023-06-07 |volume=2 |author=柔道部史編纂室 |chapter=昭和十五年度}}</ref>。第1回は同年11月1日に講道館で行われ、6,000から7,000人の大観衆が見守る中、早稲田が勝利した<ref name=":4" />。試合の名称や優勝カップへの刻字について、慶應義塾長の[[小泉信三]]から「設立の序列から『慶早』とすべき」との指示があったが早稲田側が受け入れず、両校によるじゃんけんで「早慶」に決まったという<ref name=":4" />。
1943年の第4回大会の後、[[大東亜戦争]]の拡大に伴い中断。戦後、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]により学校武道が禁止された期間を挟んで{{Refnest|学校武道禁止中の1947年から1949年には、学校武道と早慶戦の復活を期してOB戦が3度行われた<ref>{{Cite book|和書 |title=慶應義塾柔道部史 |date=1978-01-20 |publisher=三田柔友会 |pages=390-392 |url=http://mitajuyukai.gr.jp/wp-content/themes/public_html/images/history/pdf/100/19.pdf |format=PDF |access-date=2023-06-08 |volume=2 |author=柔道部史編纂室 |chapter=昭和二十二年度}}</ref>。|group=注}}1953年の第5回大会で復活し、その後も続いている<ref name=":2" /><ref>{{Cite book|和書 |title=慶應義塾柔道部史 |date=1978-01-20 |publisher=三田柔友会 |pages=518-522,553-554 |url=http://mitajuyukai.gr.jp/wp-content/themes/public_html/images/history/pdf/100/25.pdf |format=PDF |access-date=2023-06-07 |volume=2 |author=柔道部史編纂室 |chapter=昭和二十八年度}}</ref>。2018年より、女子の部も併催されている<ref>{{Cite web |title=早慶対抗戦 11月17日 講道館 女子は初優勝、男子は5連覇達成! |url=http://wasedasports.com/news/20181121_103266/ |access-date=2023-06-09 |author=瀧上恵利 |date=2018.11.21 |website=早稲田スポーツ}}</ref>。
== 剣道 ==
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