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'''美しい国'''(うつくしいくに、英訳: Beautiful Country<ref>[http://www.amazon.com/Towards-Beautiful-Country-Vision-Japan/dp/193223439X/ref=sr_1_35/103-8122894-8092627?ie=UTF8&s=books&qid=1188998269&sr=8-35 英訳本"Towards a Beautiful Country: My Vision For Japan" (Vertical)]</ref>)は、[[安倍晋三]]が[[2006年自由民主党総裁選挙|2006年の自民党総裁選挙]]に際して掲げた国家像<ref name="be-nippon20070419">{{
== 沿革 ==
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1997年5月30日、[[日本会議]]の設立大会が[[ホテルニューオータニ]]で開かれた。設立大会で発表された6つの基本運動方針のうち一番目に掲げたのが「美しい伝統の国柄」であった<ref name="sokoku-to-seinen199707">『[[祖国と青年]]』1997年7月号、[[日本青年協議会]]、2-11頁、「『日本会議』設立」。</ref><ref name="zenei200707">『[[前衛 (雑誌)|前衛]]』2007年7月号、日本共産党中央委員会、53-66頁、「〝靖国〟派団体の関係資料」。</ref>。[[安倍晋三]]が[[内閣官房副長官]]を務めていた2003年[[1月]]、[[国土交通省]]は省内に「美(うま)し国づくり委員会」を設置した。11回にわたる議論を重ね、同年7月11日、「[[美しい国づくり政策大綱]]」を発表した<ref name="mlit200307">{{Cite web
2005年10月31日、[[第3次小泉内閣 (改造)|第3次小泉改造内閣]]が発足。安倍は[[内閣官房長官]]として初入閣し、ポスト小泉と目されるようになった。
2006年5月24日、安倍は講演で、同年[[9月20日]]に予定されていた[[2006年自由民主党総裁選挙|自由民主党総裁選挙]]出馬への意欲を示した<ref name="bloomberg20060722">{{
{{Quotation|祖父は、幼いころからわたしの目には、国の将来をどうすべきか、そればかり考えていた真摯な政治家としか映っていない。それどころか、世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内ながら誇らしく思うようになっていった。間違っているのは、[[安保闘争|安保反対]]を叫ぶかれらのほうではないか{{sfn|安倍晋三|2013|p=28}}。}}
安倍はこのように述べ、[[岸信介]]の業績を称えた。[[靖国神社]]に[[A級戦犯]]が合祀されていることについて「それは国内法で、かれらを犯罪者とは扱わない、と国民の総意で決めたからである」と書き記し、戦争責任者の復権を訴えた<ref>『東京新聞』2006年7月25日付朝刊、2面、「スコープ 2006政局 自民党総意戦 安倍氏 見え始めた『政権構想』 『脱小泉』布石? 独自色も」。</ref>。同書は2006年の[[トーハン]]の総合ベストセラーで17位を記録し<ref>{{
同年9月1日、安倍は正式に総裁選出馬を表明した<ref>{{
同年9月9日、安倍、[[麻生太郎]]、[[谷垣禎一]]ら3候補者の所信発表演説会が開かれる。安倍は「未来の子供たちが日本という国に生まれたことを誇りに思える、美しい国、日本をつくっていくために、全力を傾けることをお誓い申し上げます」と述べた<ref>{{
同年9月20日、議員票と党員票の算定の結果、安倍が総裁に選出された。
=== 第1次安倍内閣 ===
2006年9月26日、[[第1次安倍内閣]]が成立。同日、安倍は記者会見を開き、自身の内閣を「美しい国創り内閣」と呼んだ<ref>{{
同年9月29日、安倍は[[所信表明演説]]で「日本を、世界の人々が憧れと尊敬を抱き、子供たちの世代が自信と誇りを持てる『美しい国、日本』とする」と述べた<ref name="be-nippon20070419"/><ref>{{
2007年1月26日、安倍は[[施政方針演説]]で「我が国の理念、目指すべき方向、日本らしさについて、我が国の叡智を集め、日本のみでなく世界中に分かりやすく理解されるよう、戦略的に内外に発信する新たなプロジェクトを立ち上げる」と述べた。当該事業は「『美しい国づくり』プロジェクト」と名付けられた<ref>{{
同年3月30日、首相官邸は、プロジェクトの企画・審議を行う「『美しい国づくり』企画会議」を開催し、会議の庶務は、内閣官房に設置する「『美しい国づくり』推進室」が担うと発表した<ref>{{
同年4月3日、第1回「『美しい国づくり』企画会議」が開催され、「『美しい国づくり』プロジェクト」がスタートした<ref name="be-nippon20070419"/><ref>{{
同年4月20日、「美しい国づくり」推進室はプロジェクトの第一弾として、「美しい日本の粋(すい) ~伝えたい私たちの美しさ~」の公募を開始。公募の内容は以下のとおり。
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同年5月30日に第2回の企画会議が行われるが、会議は以上で終了した<ref>「開催2回で“空中分解” 首相提唱の美しい国会議」 [[静岡新聞]] 2007年9月21日</ref>。
同年6月19日、政府は、[[内閣府]][[経済財政諮問会議]]が取りまとめた『経済財政改革の基本方針2007――「美しい国」へのシナリオ』(いわゆる「[[骨太の方針]]2007」)を閣議で決定した<ref>{{
同年7月の[[第21回参議院議員通常選挙]]に際しての全国遊説で、安倍は「美しい国」の理念を訴えるが<ref name="asahi20070717"/>、一部の自民党候補者から「意味がよく分からない」「絵に描いたような『美しい国日本』」などの批判を受けた(後述)<ref name="asahi20220720"/>。
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同年[[12月7日]]、安倍は自身の政権での「美しい国づくり」を振り返り「美しい国づくりは道半ばだが、礎をつくることはできたと思う。一議員として初心に戻り、新しい国づくりに向けて全力を尽くしてゆきたい」と発言した<ref>[https://megalodon.jp/2007-1208-1343-03/www.nishinippon.co.jp/nnp/local/yamaguchi/20071208/20071208_001.shtml 安倍前首相「選挙戦う」 1年3カ月ぶり地元入りし意欲 騒動謝罪…「美しい国」なお] [[西日本新聞]] 2007年12月8日</ref>。
2011年12月6日、一般社団法人日本経済人懇話会の青年部「青年真志塾」は、[[2012年自由民主党総裁選挙|翌年9月の自民党総裁選]]を見据え、「強い『経済』、美しい国『日本』」と題するシンポジウムを永田町の星陵会館で開催。安倍は同シンポジウムで基調講演を務めた。[[阿部正寿]]が所長を務める[[世界戦略総合研究所]]が共催者として名を連ね、「青年真志塾」幹事長の[[小川榮太郎]]が全体を取り仕切った<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nikkeikon.jp/seinen/ | title=青年真志塾 | publisher=一般社団法人 日本経済人懇話会 |date= | accessdate=2022-12-31 }}</ref><ref name="lite-ra20220923-3">{{Cite web|和書|url=https://lite-ra.com/2022/09/post-6229_3.html | title=岸田はおかしくなっている! 性差別発言や統一教会擁護の極右安倍応援団・小川榮太郎をブレーンに 国葬も小川の進言か(3/4ページ) | publisher=[[LITERA]] |date=2022-09-23 | accessdate=2022-12-31 }}</ref>。
2012年12月26日、第2次安倍内閣が成立し、安倍は再び首相になった。翌[[2013年]]1月21日、安倍は『美しい国へ』の“完全版”と称する『新しい国へ 美しい国へ』を文藝春秋から上梓した<ref>{{Cite web |url=https://books.bunshun.jp/ud/book/num/1666090300000000000E |title=新しい国へ 美しい国へ完全版 |access-date=2022-07-31 |publisher=文藝春秋 |website=books.bunshun.jp |language=ja}}</ref>。▼
▲2012年12月26日、第2次安倍内閣が成立し、安倍は再び首相になった。翌[[2013年]]1月21日、安倍は『美しい国へ』の“完全版”と称する『新しい国へ 美しい国へ』を文藝春秋から上梓した<ref>{{Cite web
== 世論調査 ==
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== 類似するものなど ==
* 2004年12月、統一教会(現・[[世界平和統一家庭連合]])の関係者は、日本統一教会初代会長の[[久保木修己]]の遺稿集『美しい国 日本の使命』を[[世界日報 (日本)|世界日報社]]から出版した<ref>{{Cite web
* 2005年3月、安倍と同じく[[清和政策研究会]]に所属する[[町村信孝]]は『保守の論理―「凛として美しい日本」をつくる』を上梓した<ref>[[町村信孝]]『保守の論理――「凛として美しい日本」をつくる』[[PHP研究所]]、[[2005年]]3月。</ref>。
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== 評価 ==
* 安倍の提示する国家像や政治姿勢に反発する[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]所属の[[山口壯]]衆院議員(のち2013年に自民党に復党)
* 2007年7月1日、安倍は、参院選に向けた[[高知県選挙区]]現職の[[田村公平]]の決起集会で、集まった聴衆に対し「美しい国」の理念や自民党の政策を訴えた<ref name="asahi20070717">「『美しい国、馬鹿にされた気がする』自民候補、首相を批判」『[[朝日新聞]]』43556号、[[朝日新聞社|朝日新聞]]東京本社、[[2007年]][[7月17日]]、31面。</ref>。同月16日、田村は、高知市内で行われた参院選の演説会で、「美しい国」について「意味がよく分からない」と指摘した。また、安倍の高知入りの予定について触れ、「(選挙を)心配するなら予算という名の銭をもってこいと言いたい。そうではなくて、絵に描いたような『美しい国日本』で応援に来られて、適当なことを言われたら、ばかにしているのかと思ってしまう」と述べた。これを受け同月19日、安倍は高知県への遊説を見送ることを決定した。同月20日、安倍は四国入りするが、徳島、香川、愛媛三県だけで応援演説した<ref name="asahi20220720">『朝日新聞』2007年7月20日付朝刊、2面、「首相ムカッ!? 応援演説中止 『美しい国、よく分からん』 高知の自民候補」。</ref>。
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== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=安倍晋三 |title=[[美しい国へ]]|publisher=[[文藝春秋]]|series=文春新書|date=2006年7月21日 |isbn=978-4166605248|ref=}}
** {{Cite book|和書|author=安倍晋三 |title=新しい国へ 美しい国へ 完全版 |series=文春新書|publisher=文藝春秋 |date=2013年1月21日 |isbn=978-4166609031|ref={{Sfnref|安倍晋三|2013}} }}
* {{Cite book|和書 |author= |editor=[[久保木修己]]遺稿集刊行委員会 |title=美しい国 日本の使命―久保木修己遺稿集 |publisher=[[世界日報 (日本)|世界日報社]] |date=2004年12月 |isbn=978-4882010814 }}
* [[町村信孝]]著『保守の論理――「凛として美しい日本」をつくる』[[PHP研究所]]、[[2005年]]。ISBN 4569639879
* [[関屋晋]][[指揮 (音楽)|指揮]]『美しい国、日本』[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]]、[[2007年]]。
* [[与謝野馨]]稿「ガン闘病と『温かい改革』宣言――咽頭ガンから生還した男は安倍政権の救世主となるか」『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』85巻12号、[[文藝春秋]]、[[2007年]][[10月1日]]。
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== 外部リンク ==
* {{Wayback |url=http://www.kantei.go.jp/be-nippon/ |title=美しい国づくりプロジェクト |date=20070526115535 }}
*
* {{YouTube|EEsb70bkQlQ|2006年 安倍晋三氏 自民党総裁選に初出馬 「美しい国」所見発表演説をノーカットで(2006年9月9日)【映像記録 news archive】}}
* {{政府インターネットテレビ|991|ようこそ!美しい国、日本へ|2007-02-15|1分}}
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