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{{Otheruses|[[宋 (南朝)|宋]]の[[政治家]]・[[文学者]]・[[歴史家]]|[[中華人民共和国|中国]]の女子[[体操競技]]選手|范曄 (体操競技選手)}}
{{二十四史}}
'''范 曄'''(はん よう、[[398年]] - [[445年]])は、[[中国]][[魏晋南北朝時代]]の
==略歴==
范曄
范曄
[[420年]]、[[劉裕]]が宋を建国すると、范曄は劉裕の子の[[彭城]]王[[劉義康]]の冠軍参軍となり、尚書外兵郎・[[荊州]]別駕従事史・秘書丞・征南司馬領新蔡郡太守・司徒従事中郎・尚書吏部郎などを歴任した。
范曄は、たびたび奇行を起こしたと伝えられている。[[元嘉 (南朝宋)|元嘉]]8年([[431年]])、江州刺史の[[檀道済]]の属官であったとき、[[北魏]]軍を討つために北征の命令が下ったが、范曄は足の病と称して断った。しかし、[[文帝 (南朝宋)|文帝]]は許さず、范曄を物資輸送の監督に就かしめた{{sfn|吉川|2019|p=198-199}}。また、翌年、范曄は劉義康の母の葬儀に通夜の客として参列していたが、夜に弟の范広淵らとともに宴席を開いたことで劉義康の怒りを買い、宣城郡太守(現在の[[安徽省]])に左遷された{{sfn|吉川|2019|p=198-199}}。元嘉16年(439年)年、范曄が[[長沙王]]の[[劉義欣]]の長史であったときには、兄の范暠の任地で嫡母が危篤になったが、范曄はすぐに出発せず、後から妓妾を連れ立って現れて非難された{{sfn|吉川|2019|p=199}}。
左遷されて宣城に在任していたとき、范曄は発憤し『[[後漢書]]』の編纂を開始した。范曄は、先行して存在した『[[東観漢記]]』や『[[後漢紀]]』、他の数種の『後漢書』を整理しながら、新たな後漢の歴史書を作り上げた。
{{See also|後漢書#成立までの経緯}}
=== 謀反事件 ===
[[文帝 (南朝宋)|文帝]]の弟である[[劉義康]]は、宰相として内外の政務を取り仕切り、その権勢は文帝を凌ぐものがあった。元嘉17年(440年)、文帝は劉義康の腹心であった[[劉湛]]以下十数名を誅殺・流刑に処し、劉義康を[[江州 (江西省)|江州]]刺史に左遷した。代わりに第二皇子の[[劉濬]]が揚州刺史として迎えられたが、劉濬は12歳と幼く、この時に州事を代行していたのが范曄である{{sfn|吉川|2019|p=205}}。范曄は、元嘉17年に宿営の衛兵を統括する左衛将軍、元嘉19年に東京の衆務を司る太子詹事を務め、順調に出世していた{{sfn|吉川|2019|p=205}}。
左遷された劉義康の配下にいたのが[[孔熙先]]で、彼は劉義康のために謀反を計画した。朝臣を抱き込むために范曄が必要であり、范曄の外甥の[[謝綜]]を通じて親交を持った{{sfn|吉川|2019|p=208-9}}。この謀反には、他に[[仲承祖]]・[[徐湛之]]・謝綜などが参加し、兵は[[臧質]]・[[蕭思話]]が準備する手筈になっていた{{sfn|吉川|2019|p=214-16}}。
しかし、元嘉23年([[445年]])、徐湛之の密告により孔熙先らの計画は露見した{{sfn|吉川|2019|p=223}}。范曄は、自身を含む一族全員が処刑され、ここに名門である范氏一族は途絶えた{{sfn|吉川|2019|p=233-234}}。
==無神論==
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*『百官階次』(現存しない)
==
清代の[[考証学]]者の[[王鳴盛]]は、『[[十七史商榷]]』で、『[[宋書]]』范曄の列伝は、著者である[[沈約]]によって故意に歪められたものであり、范曄は奇矯な人物ではなく、謀反においても無実であることを力説する。これに対し、[[吉川忠夫]]は、沈約の執筆態度に問題が多いことは確かであるが、范曄の奇行は同時代の資料からも認識されることであり、虚構とは言えないと指摘している{{sfn|吉川|2019|p=234-236}}。
== 参考文献 ==
=== 伝記資料 ===
*『[[宋書]]』巻69(列伝第29)
:*日本語訳 『中国古代の歴史家たち-[[司馬遷]]・[[班固]]・范曄・[[陳寿]]の[[列伝]]訳注』
===日本語文献===
* {{Citation|和書|year=2010|last=吉川|first=忠夫|title=読書雑志 : 中国の史書と宗教をめぐる十二章|chapter=范曄と『後漢書』|ISBN=9784000241496|PUBLISHER=岩波書店}}
*
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{{脚注ヘルプ}}
▲*[[吉川忠夫]]「史家范曄の謀反」‐『[[侯景の乱]]始末記 南朝貴族社会の命運』(志学社選書、2019年)
<references />
==外部リンク==
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