ウェストコースト・ロック
ウェストコースト・ロック (West Coast rock) は、ロックのサブカテゴリのひとつであり、ウェストコースト・サウンド (West Coast sound) と呼ばれることもある。アメリカ合衆国西海岸を拠点とするアーティストによるロックを指すが、「ウェストコースト・ジャズ」や、ウエスト・コースト・ヒップホップが本国でも使用されるのに対し、主に日本で使用される。
ウェストコースト・ロック | |
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様式的起源 | ブルース・ロック、サイケデリック・ロック |
文化的起源 |
1960年代後半 アメリカ合衆国 |
使用楽器 | エレクトリック・ギター、ベース、ドラム、キーボード、電子オルガン、ピアノなど |
融合ジャンル | |
ニュー・ウェイヴ | |
関連項目 | |
本文参照 |
概要
編集「ウェストコースト・ロック」という日本での音楽用語は、1960年代後半については、サマー・オブ・ラブの時代にドラッグ、ヒッピー文化の担い手として活躍した一群、ジェファーソン・エアプレインやグレイトフル・デッド[1]などを意味している。また1970年代以降の場合は、西海岸のイーグルス[注 1]、リンダ・ロンシュタット、ドゥービー・ブラザーズなどのロックを指している。
また、ソロでは、ジャクソン・ブラウンやジョン・デヴィッド・サウザーといったシンガーソングライターたちもウェスト・コースト・ロックの一員だった。
歴史
編集1960年代
編集1960年代後半のベイエリアやロサンゼルスは、反体制的なカウンターカルチャーの発信基地であり、ヒッピー的思想、マリファナやLSDなどのドラッグ・カルチャーにより、全米に若者文化の中心地として広く知られるようになった。
当時のアメリカ西海岸におけるロック・シーンは、前述のジェファーソン・エアプレイン、グレイトフル・デッド、ママス&パパス、ドアーズなどが活躍し、それまでのポップミュージックを中心とした時代から脱却しつつあった。また後に登場するクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング[注 2](CSN&Y)のメンバーを擁したバッファロー・スプリングフィールドなどもいた。この時代を象徴する歴史的音楽イベントのひとつ、モントレー・ポップ・フェスティバル[2]は1967年6月に開催されたが、その開催地も西海岸カリフォルニア州のモントレーであり、西海岸で活動する多くのミュージシャンが出演した。
1960年代末には、バッファロー・スプリングフィールドやホリーズの元メンバーが立ち上げたCS&N(CSN&Y)や、ポコが登場。カリフォルニア北部で結成され西海岸を本拠地としながら、アメリカ南部の泥臭い音楽を採り入れたジョン・フォガティ率いるクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルは、代表曲「プラウド・メアリー」、「ダウン・オン・ザ・コーナー」、「雨を見たかい」、「サムデイ・ネバー・カムズ」などのヒットを飛ばした。
1969年、ラテン音楽をベースとしたラテン・ロックのサンタナ[注 3]がデビュー、CSN&Yらとともにウッドストック・フェスティバルに登場した。
1970年代
編集1971年、デヴィッド・ゲフィンによりアサイラム・レコードが設立された。このレコード会社には、ジャクソン・ブラウン、イーグルス、J.D.サウザー、ジョニ・ミッチェル(カナダ出身)、リンダ・ロンシュタット、トム・ウェイツ、ウォーレン・ジヴォン(シカゴ出身)、リッチー・フューレイ、クリス・ヒルマンら多くのミュージシャンや作曲家が揃い、西海岸の音楽シーンをリードした。1974年にはリンダ・ロンシュタットの『悪いあなた』が全米1位となった。
ロサンゼルスのやや北、バーバンクに本拠を置くレーベル、ワーナー/リプリーズのサウンドは日本では「バーバンク・サウンド」[3]と称され、レニー・ワロンカー、テッド・テンプルマン、ヴァン・ダイク・パークスといったプロデューサー達が制作し、ドゥービー・ブラザーズ、ライ・クーダー、ハーパーズ・ビザール、アーロ・ガスリー、ボー・ブランメルズ、ゴードン・ライトフット[注 4](カナダ)、リトル・フィートなどの作品を世に送り出した。
また、1976年にはイーグルスが『ホテル・カリフォルニア』 (Hotel California) で、1979年にはドゥービー・ブラザーズが「ある愚か者の場合」 (What a Fool Believes) でグラミー賞を受賞した。
1970年代後半には、アメリカ西海岸は産業ロックの供給地になってしまった。サンフランシスコ出身のジャーニー(創設メンバーのうち2人がサンタナ出身)、ロサンゼルス出身のTOTO、パサデナ出身のヴァン・ヘイレンが、商業主義的な成功を収めた。
1980年代/90年代以降
編集1980年代に入ると、ウェストコーストのロックシーンは、LAパンクやスケーター・ロックなどを発信した。LAパンクの代表的なバンドはデッド・ケネディーズやブラック・フラッグであり、スケーター・ロックにはスーサイダル・テンデンシーズがいた。オルタナティヴ・ロックではレッド・ホット・チリ・ペッパーズ[注 5]が活動したが、彼らは80年代にはなかなか芽が出ず、90年代になってからヒットを出すことになった。また、西海岸シアトル出身で、1970年代に「マジック・マン」「バラクーダ」のヒットを出していたハートも、1985年にアルバム『ハート』で全米1位を獲得した。
ヘヴイ・メタルでは、ロサンゼルス出身のモトリー・クルー、メタリカ、ドッケン、グレイト・ホワイトなどによる「LAメタル」の動きがあった。90年代にはレッド・ホット・チリ・ペッパーズが「アンダー・ザ・ブリッジ」の大ヒットを放った。90年代初頭は、西海岸シアトルを中心としたグランジ・ムーブメントが話題になった。ニルヴァーナ、サウンド・ガーデン、パール・ジャム、ダイナソー・ジュニアらが、グランジの代表格である。
アーティストの出身地
編集西海岸の音楽業界に関わっているミュージシャンが、すべて西海岸出身のアーティストであるわけではない。全米各地から西海岸地域に移動して当地でデビューしたり、この地域に活動拠点を据えた後に、成功を手にするなど背景は様々である。
ママス&パパスはそもそもニューヨークで結成されたグループであるし(メンバーのジョン・フィリップス、ミシェル・フィリップスはカリフォルニア出身)、リンダ・ロンシュタットはアリゾナ州ツーソン[注 6]、J.D.サウザーはデトロイト出身である。70年代のウエストコースト・ロックの象徴ともいえるイーグルスに至っては、1978年から途中加入したティモシー・B・シュミット(サクラメント出身)以外、西海岸出身者はいない。
代表的なミュージシャン
編集- ジェファーソン・エアプレイン[注 7]
- グレイトフル・デッド[4]
- ママス&パパス[注 8]
- ドアーズ[注 9]
- バッファロー・スプリングフィールド
- クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング[注 10]
- スティーヴ・ミラー・バンド[注 11]
- クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス
- モビー・グレープ
- ラヴ
- イッツ・ア・ビューティフル・デイ
- サンタナ
- スライ&ザ・ファミリー・ストーン
- ブルー・チアー
- ボウ・ブラメルズ
- タワー・オブ・パワー
- ジェファーソン・スターシップ
- ジャクソン・ブラウン
- イーグルス
- ドゥービー・ブラザーズ
- リンダ・ロンシュタット
- デッド・ケネディーズ
- ブラック・フラッグ
- レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
- ニルヴァーナ
- サウンド・ガーデン
- パール・ジャム
- ダイナソー・ジュニア
関連項目
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 「魔女のささやき」「呪われた夜」「ホテル・カリフォルニア」などヒット曲がとても多い
- ^ ニール・ヤングはカナダ出身
- ^ 「ブラック・マジック・ウーマン」「オイェ・コモバ」などの曲が有名
- ^ 「サン・ダウン」が大ヒットしたフォーク・シンガー
- ^ ファンク・ロックのオルタナティブなバンドだった
- ^ ツーソンはアリゾナ州中南部に位置する都市だが、アリゾナ州自体は西側州境の南約半分がカリフォルニア州と接しており、経済的、文化的にも交流は盛んで文化圏としては非常に近い。
- ^ 「あなただけを」「ホワイト・ラビット」などが代表曲
- ^ 「夢のカリフォルニア」「マンデー、マンデー」はエバーグリーンとなっている。東海岸ニューヨークのグループ
- ^ 「ハートに火をつけて」「タッチ・ミー」などヒット曲多数
- ^ 「オハイオ」「ヘルプレス」などニール・ヤング作曲の曲が有名
- ^ もともとは「リビング・イン・ザ・USA」が小ヒットしたバンドだったが、70年代には「ジョーカー」以後、多くのヒット曲を生んだ
出典
編集- ^ http://www.univie.ac.at/Anglistik/easyrider/data/redefin2.html
- ^ https://www.imdb.com/title/tt0064689/
- ^ http://www009.upp.so-net.ne.jp/wcr/burbank.html
- ^ Meriwether, Nicholas G. (2012). Reading the Grateful Dead: A Critical Survey. Scarecrow Press. p. 280. ISBN 978-0-8108-8371-0.