グラナダCF
グラナダ・クルブ・デ・フトボル(スペイン語: Granada Club de Fútbol, S.A.D., スペイン語発音: [gɾaˈnaða ˈkluβ ðe ˈfuðβol])は、スペイン・アンダルシア州グラナダ県グラナダを本拠地とするサッカークラブである。2024-25シーズンからはセグンダ・ディビシオン(2部)に在籍している。
グラナダCF | ||||
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原語表記 | Granada Club de Fútbol, S.A.D. | |||
愛称 | Nazaríes (ナスル朝) | |||
クラブカラー | 赤 | |||
創設年 | 1931年 | |||
所属リーグ | セグンダ・ディビシオン | |||
所属ディビジョン | 2部(2024-25) | |||
昨季リーグ順位 | 20位(2023-24) | |||
ホームタウン | グラナダ | |||
ホームスタジアム |
ヌエボ・ロス・カルメネス | |||
収容人数 | 19,336人[1] | |||
代表者 | Sophia Yang | |||
監督 | フラン・エスクリバ | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
歴史
編集創設
編集グラナダCF (Granada Club de Fútbol )は、1931年4月14日、レクレティーボ・グラナダ (Recreativo de Granada)が元となって設立された[2]。初代会長はフリオ・ロペス・フェルナンデス[3]。クラブ初の試合は1931年12月13日に行われたデポルティーボ・ハエンとの試合であり、2-1で勝利を収めている[4]。その試合の先制点、つまりクラブ初のスコアラーとなったのはアマチュアサッカー選手のアントニオ・ボンビジャール (Antonio Bombillar)だった。また、この試合は中立地にて開催されており、クラブ初のホームゲームはADアンドゥハルとの試合である[4]。1931-32シーズン、アンダルシア州リーグ (3部相当)に参加し、6試合で4勝を挙げ、見事2部リーグ昇格を決めた。その1932-33シーズンからガブリエル・モルシージョ・ラジャが新しくクラブの会長に就任し、クラブ初の2部リーグはリーグ6位でのフィニッシュとなった[5]。
ラ・リーガ昇格
編集この後上位リーグへの昇格を重ね、1941-42シーズンにはプリメーラ・ディビシオン(1部)に到達した。1940年代以後はプリメーラ・ディビシオンとセグンダ・ディビシオン(2部)を往復し、1980年代までセグンダ・ディビシオン以上のリーグにとどまり続けた。1958-59シーズンにはコパ・デル・レイで決勝まで勝ち進んだが、FCバルセロナに1-4で敗れて準優勝に終わった[6]。1970年代には8シーズンの間プリメーラ・ディビシオンの座を維持し続けてクラブの黄金期を迎え、1971-72シーズンと1973-74シーズンには過去最高位であるプリメーラ・ディビシオン6位となった。1971-72シーズンにはエンリケ・ポルタがピチーチ賞(リーグ得点王)を獲得している。
1980年代にはセグンダ・ディビシオンB(3部)に低迷し、2002-03シーズン終了後には給料未払いのペナルティでついにテルセーラ・ディビシオン(4部)降格処分を受けた[7]。2007年には元レアル・マドリード会長のロレンソ・サンスとロレンソの弟のフランシスコ・サンスがクラブにやってきて、セグンダ・ディビシオンB昇格の手助けをした。2009年7月には財政難からクラブ存続の瀬戸際に立たされたが[8][9]、イタリア・セリエAのウディネーゼ・カルチョと業務提供を結び、ウディネーゼのオーナーであるジャンパオロ・ポッツォがオーナーに就任した[9][10]。エンリケ・ピナ新会長はファブリ監督を招聘し、ウディネーゼから多数の若手選手をレンタル移籍で受け入れて戦力拡大を図った[8]。また、ウディネーゼでは登録できない外国人選手をいったんグラナダCFに登録した上で、イタリアのクラブにレンタル移籍させることなども行っている[9]。2009-10シーズンはセグンダ・ディビシオンB(3部)で1位となり、プレーオフを勝ち抜いて22シーズンぶりのセグンダ・ディビシオン(2部)昇格を決めた。
2010-11シーズンもウディネーゼからレンタル移籍で獲得した多数の選手を擁し、セグンダ・ディビシオンで5位となってプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格プレーオフ出場権を得た[8] 。プレーオフ準決勝ではセルタ・デ・ビーゴに2試合合計1-1 (PK 5-4) で勝ち上がり、決勝ではエルチェCFにアウェーゴール差の末に勝利して35年ぶりのプリメーラ・ディビシオン昇格を果たした[11][12]。
2016年5月、クラブを保有していたジャンパオロ・ポッツォは、中国のスポーツマーケティング会社「デスポーツ社」にクラブを売却した。売却価格は約3700万ユーロと報じられており、クラブのオーナーにはデスポーツ社の社長で実業家の蒋立章が就任した[13][14]。2016年7月には中国サッカー・スーパーリーグの重慶力帆との業務提携も発表している[15]。
2018-19シーズン、ディエゴ・マルティネスを新監督に据えると、セグンダ・ディビシオンでCAオサスナに次ぐリーグ準優勝を果たして、3シーズンぶりのラ・リーガ復帰を決めた[16]。翌シーズンはプリメーラの舞台で7位という好成績で終えたため、2020-21シーズンのUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。グラナダがヨーロッパの国際大会に出場するのはクラブ史上初の快挙であり、同シーズンには50年ぶりにコパ・デル・レイでベスト4へと進出した[17]。前者のヨーロッパリーグではマンチェスター・ユナイテッドFCとのベスト8まで進んだものの、2試合合計0-4でクラブ初の国際大会は終わりを迎えた[18]。
2023年12月10日、アスレティック・ビルバオとの試合中にグラナダのシーズンチケットを持ったサポーターが心停止に陥った。倒れたサポーターへの蘇生行為を優先するため、試合は前半17分で中止。翌日、前半17分から再開された[19]。
2022-23シーズンはパコ・ロペス監督が率いて1年で1部復帰を果たすも、2023-24シーズンは開幕後から降格圏を彷徨いシーズン中に2度の監督を交代するも結果は実らずわずか1年で2部降格となった[20]。
タイトル
編集- セグンダ・ディビシオン : 4回
- 1940-41, 1956-57, 1967-68, 2022-23
- セグンダ・ディビシオンB : 3回
- 1982-83, 1999-2000, 2009-10
- テルセーラ・ディビシオン : 3回
- 1933-34, 2003-04, 2005-06
- コパ・デ・アンダルシア : 1回
- 1932-33
過去の成績
編集
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シーズン | リーグ戦 | 国王杯 | 欧州カップ / その他 | 最多得点者 | ||||||||||
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ディビジョン | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | 選手 | 得点 | ||||
1974-75 | プリメーラ | 34 | 10 | 11 | 13 | 35 | 47 | 31 | 15位 | ベスト8 | – | トニ・グランデ | 9 | |
1975-76 | 34 | 8 | 10 | 16 | 29 | 50 | 26 | 17位 | ベスト16 | Ramón Lis March Alfredo Megido Sánchez |
6 | |||
1976-77 | セグンダ | 38 | 14 | 8 | 16 | 42 | 39 | 36 | 10位 | 4回戦敗退 | Félix Lorenzo García | 12 | ||
1977-78 | 38 | 15 | 8 | 15 | 46 | 44 | 38 | 9位 | 4回戦敗退 | José Luis Hernández Ortega | 17 | |||
1978-79 | 38 | 16 | 12 | 10 | 46 | 34 | 44 | 6位 | 2回戦敗退 | 19 | ||||
1979-80 | 38 | 13 | 11 | 14 | 42 | 42 | 37 | 13位 | 1回戦敗退 | Francisco Cara Jorgoso | 9 | |||
1980-81 | 38 | 10 | 13 | 15 | 33 | 45 | 33 | 17位 | ベスト16 | 10 | ||||
1981-82 | セグンダB | 38 | 13 | 13 | 12 | 34 | 32 | 39 | 10位 | 2回戦敗退 | アルベルト・ビトリア | 13 | ||
1982-83 | 38 | 22 | 9 | 7 | 51 | 29 | 53 | 1位 | 2回戦敗退 | 12 | ||||
1983-84 | セグンダ | 38 | 15 | 10 | 13 | 42 | 36 | 40 | 8位 | 3回戦敗退 | Miloš Kostić | 9 | ||
1984-85 | 38 | 12 | 9 | 17 | 32 | 46 | 33 | 18位 | 2回戦敗退 | Julio Merayo Díaz | 8 | |||
1985-86 | セグンダB | 38 | 15 | 11 | 12 | 62 | 47 | 41 | 7位 | 3回戦敗退 | José Francisco Sánchez González | 25 | ||
1986-87 | 42 | 22 | 12 | 8 | 55 | 39 | 56 | 3位 | 2回戦敗退 | Manuel Muñoz Navas | 31 | |||
1987-88 | セグンダ | 38 | 8 | 11 | 19 | 36 | 46 | 27 | 19位 | 1回戦敗退 | 11 | |||
1988-89 | セグンダB | 38 | 10 | 12 | 16 | 40 | 47 | 32 | 16位 | 1回戦敗退 | Julio Merayo Díaz | 8 | ||
1989-90 | 38 | 17 | 12 | 19 | 58 | 36 | 46 | 4位 | – | Gilberto Navarro Ortiz Miguel Ángel Fernández Barbancho Julio Merayo Díaz |
8 | |||
1990-91 | 38 | 15 | 17 | 6 | 49 | 29 | 47 | 5位 | 1回戦敗退 | Antonio Cuevas Escribano | 12 | |||
1991-92 | 38 | 14 | 12 | 12 | 47 | 43 | 40 | 9位 | 1回戦敗退 | Carlos Alberto Barrio Rodio | 9 | |||
1992-93 | 36 | 20 | 8 | 8 | 49 | 33 | 48 | 3位 | 3回戦敗退 | Andrés González | 14 | |||
1993-94 | 38 | 17 | 12 | 9 | 52 | 37 | 46 | 6位 | 2回戦敗退 | ペペ・メル | 21 | |||
1994-95 | 38 | 11 | 13 | 14 | 50 | 56 | 35 | 13位 | 2回戦敗退 | 12 | ||||
1995-96 | 38 | 21 | 8 | 9 | 55 | 32 | 71 | 2位 | – | オティ | 15 | |||
1996-97 | 38 | 15 | 13 | 10 | 51 | 34 | 58 | 6位 | 3回戦敗退 | マヌエル・ルセナ | 11 | |||
1997-98 | 38 | 16 | 13 | 9 | 42 | 27 | 61 | 4位 | – | 16 | ||||
1998-99 | 38 | 17 | 13 | 8 | 51 | 35 | 64 | 6位 | 1回戦敗退 | Rubén Blaya Sergio Alberto Cruz López アントニオ・プチェ |
8 | |||
1999-2000 | 38 | 21 | 10 | 7 | 54 | 28 | 73 | 1位 | – | Ismael López | 14 | |||
2000-01 | 36 | 13 | 12 | 11 | 44 | 40 | 51 | 5位 | ベスト8 | Aitor Huegún | 13 | |||
2001-02 | 38 | 14 | 8 | 16 | 40 | 45 | 50 | 10位 | 予選敗退 | Adrián Dezotti | 14 | |||
2002-03 | テルセーラ | 38 | 20 | 10 | 8 | 51 | 35 | 70 | 4位 | – | Francisco José Hernández Salvador | 14 | ||
2003-04 | 40 | 22 | 12 | 6 | 63 | 27 | 78 | 1位l | – | Rubén Cortés José Luis Garrido Vázquez |
14 | |||
2004-05 | 38 | 22 | 7 | 9 | 69 | 35 | 73 | 5位 | 1回戦敗退 | Jordi Vinuesa | 17 | |||
2005-06 | 38 | 23 | 9 | 6 | 80 | 26 | 78 | 1位 | – | José Miguel Pérez Ruiz | 16 | |||
2006-07 | セグンダB | 38 | 14 | 9 | 15 | 39 | 36 | 51 | 13位 | 1回戦敗退 | José Miguel Pérez Ruiz ガブリエル・ボルディ |
10 | ||
2007-08 | 38 | 16 | 15 | 7 | 52 | 36 | 63 | 5位 | – | ゴルカ・ピンタード | 18 | |||
2008-09 | 38 | 13 | 12 | 13 | 53 | 52 | 51 | 10位 | 1回戦敗退 | Jon Altuna | 12 | |||
2009-10 | 38 | 23 | 7 | 8 | 74 | 37 | 76 | 1位 | – | タリク・スペシエ | 19 | |||
2010-11 | セグンダ | 42 | 18 | 14 | 10 | 71 | 47 | 68 | 5位 | 3回戦敗退 | アレクサンドル・ゲイジョ | 24 | ||
2011-12 | プリメーラ | 38 | 12 | 6 | 20 | 35 | 56 | 42 | 17位 | ベスト32 | オディオン・イガロ ギリェルメ・シケイラ |
6 | ||
2012-13 | 38 | 11 | 9 | 18 | 37 | 54 | 42 | 15位 | ベスト32 | ユセフ・エル=アラビ | 7 | |||
2013-14 | 38 | 12 | 5 | 21 | 32 | 57 | 41 | 15位 | ベスト32 | 12 | ||||
2014-15 | 38 | 7 | 14 | 17 | 29 | 64 | 35 | 17位 | ベスト16 | 7 | ||||
2015-16 | 38 | 10 | 9 | 19 | 46 | 69 | 39 | 16位 | ベスト16 | 17 | ||||
2016-17 | 38 | 4 | 8 | 26 | 30 | 82 | 20 | 20位 | ベスト32 | メフディ・カルセラ アルテム・クラヴェツ アンドレアス・ペレイラ |
5 | |||
2017-18 | セグンダ | 42 | 17 | 10 | 15 | 55 | 50 | 61 | 10位 | 2回戦敗退 | ダルウィン・マチス | 14 | ||
2018-19 | 42 | 22 | 13 | 7 | 52 | 28 | 79 | 2位 | 2回戦敗退 | アントニオ・プエルタス | 11 | |||
2019-20 | プリメーラ | 38 | 16 | 8 | 14 | 52 | 45 | 56 | 7位 | 準決勝敗退 | カルロス・フェルナンデス | 11 | ||
2020-21 | 38 | 13 | 7 | 18 | 47 | 65 | 46 | 9位 | 準々決勝敗退 | ヨーロッパリーグ | 準々決勝敗退 | ロベルト・ソルダード | 9 | |
2021-22 | 38 | 8 | 14 | 16 | 44 | 61 | 38 | 18位 | 2回戦敗退 | – | ホルヘ・モリーナ | 10 | ||
2022-23 | セグンダ | 42 | 22 | 9 | 11 | 55 | 30 | 75 | 1位 | 2回戦敗退 | ミルト・ウズニ | 23 | ||
2023-24 | プリメーラ | 38 | 4 | 9 | 25 | 38 | 79 | 21 | 20位 | 1回戦敗退 | 11 | |||
2024-25 | セグンダ | 42 | 位 |
- 26シーズン - プリメーラ
- 33シーズン - セグンダ・ディビシオン
- 22シーズン - セグンダ・ディビシオンB
- 5シーズン - テルセーラ・ディビシオン
- 2シーズン - 地域リーグ
欧州の成績
編集シーズン | 大会 | ラウンド | 対戦相手 | ホーム | アウェー | 合計 | |
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2020-21 | UEFAヨーロッパリーグ | 予選2回戦 | テウタ・ドゥラス | — | 4-0 | — | |
予選3回戦 | ロコモティヴィ・トビリシ | 2-0 | — | — | |||
プレーオフ | マルメ | — | 3-1 | — | |||
グループE | PSV | 0-1 | 2-1 | 2位 | |||
PAOK | 0-0 | 0-0 | |||||
オモニア・ニコシア | 2-1 | 2-0 | |||||
ラウンド32 | ナポリ | 2-0 | 1-2 | 3-2 | |||
ラウンド16 | モルデ | 2-0 | 1-2 | 3-2 | |||
準々決勝 | マンチェスター・ユナイテッド | 0-2 | 0-2 | 0-4 |
現所属メンバー
編集- 2024年2月1日現在[21]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- 監督
リザーブチーム
編集注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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ローン移籍
編集- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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歴代監督
編集- ルイス・パサリン 1957
- エリベルト・エレーラ 1961-1962
- イグナシオ・エイサギーレ 1963-1964
- フランシスコ・アントゥネス 1964-1965
- カルマール・イェネー 1965-1966
- マルセル・ドミンゴ 1968-1969
- ホセイート 1970-1972
- ホセイート 1973-1975
- ミゲル・ムニョス 1975-1976
- エクトル・ヌニェス 1976
- ヴァヴァ 1977-1978
- フランシスコ・ヘント 1980-1981
- ホセ・ミンゴランセ 1981
- アントニオ・ルイス 1981-1982
- マヌエル・ルイス・ソサ 1982-1983
- フェリペ・メソネス 1983-1984
- ナンド・ヨス 1984
- ホアキン・ペイロ 1985-1988
- マヌエル・ルイス・ソサ 1988
- パチン 1988-1989
- ホセ・エンリケ・ディアス 1989-1990
- ナンド・ヨス 1992-1994
- ルーカス・アルカラス 1995-1998
- パコ・チャパーロ 1998-1999
- フェリペ・メソネス 2000
- イスマエル・ディアス 2000
- アントニオ・ロペス 2001
- ラモン・ブランコ 2001-2002
- ヨシップ・ヴィシュニッチ 2006-2007
- オスカル・カノ 2007-2009
- ペドロ・ブラオホス 2008-2009
- ファブリ 2010-2012
- アベル・レシーノ 2012
- フアン・アントニオ・アンケラ 2012-2013
- ルーカス・アルカラス 2013-2014
- ホアキン・カパロス 2014-2015
- ホセバ・アグアド (暫定) 2015
- アベル・レシーノ 2015
- ホセ・ラモン・サンドバル 2015-2016
- ホセ・ゴンサレス 2016
- パコ・ヘメス 2016
- リュイス・プラナグマ (暫定) 2016
- ルーカス・アルカラス 2016-2017
- トニー・アダムス 2017
- ホセ・ルイス・オルトラ 2017-2018
- ペドロ・モリージャ・ピネダ 2018
- ミゲル・アンヘル・ポルトゥガル 2018
- ディエゴ・マルティネス 2018-2021
- ロベルト・モレノ 2021-2022
- ルベン・トレシージャ (暫定) 2022
- アイトール・カランカ 2022
- パコ・ロペス 2022-2023
- ファクンド・メディナ 2023-2024
- ホセ・ラモン・サンドバル 2024
- ギジェ・アバスカル 2024
- フラン・エスクリバ 2024-
歴代所属選手
編集- イグナシオ・エイサギーレ 1966-1967
- ラディスラオ・マズルケビッチ 1974-1978
- ギジェルモ・オチョア 2016-2017
- ピッリ 1963-1964
- アントニオ・デラ・クルス 1970-1972
- パプ・ディアカテ 2011-2015
- ミゲル・ロペス 2015-2016
- リカルド・コスタ 2016
- カピ 1999-2000
- ディエゴ・カマーチョ 2001-2002
- カルロス・マルティンス 2011-2012
- ハッサン・イェブダ 2011-2014
- ルベン・ロチーナ 2014-2016
- レネ・クルヒン 2015-2018
- イサック・クエンカ 2016-2017
- マキシム・ゴナロン 2019-2022
- セサル 1940-1942
- パイーニョ 1956-1957
- ガブリエル・トルジェ 2012-2013
- ヤシン・ブラヒミ 2012-2014
- ユセフ・エル=アラビ 2012-2016
- ノリート 2013
- ガイ・アスリン 2013-2014
- ロベルト・ソルダード 2019-2021
エンブレム
編集クラブ設立当時は水色と白のストライプのユニフォームだった。エンブレムも、現在のものと大枠は同じだが、縦に長い盾で、青と白を基調とし、クラブの頭文字であるRGを大胆に配したもの。世界でも類を見ないデザインになったのは、グラナダ王国の旗をヒントにしたと思われる。そして、上部にはサッカークラブを象徴するボール、下部はザクロの花と葉が置かれた。特に、ザクロはスペインの国章にも見られるモチーフであり、グラナダ州の紋章にもなっているように、グラナダ王国の象徴。アラビア語でザクロを意味する言葉とグラナダが似ていたためだという[22]。
脚注
編集- ^ “Los Cármenes no lucirá esquinas provisionales esta campaña” (スペイン語). Ideal (10 June 2019). 3 February 2020閲覧。
- ^ Datos del club (Club data); Granada official website
- ^ “Historia del Granada CF en ideal.es” (スペイン語). Granada CF - Ideal. 2019年10月17日閲覧。
- ^ a b “Temporada 1931-32 - 14 Abril 1931. Historia del Granada C.F.”. www.14abril1931.tk. 2019年10月16日閲覧。
- ^ “Temporada 1932-33 - 14 Abril 1931. Historia del Granada C.F.”. www.14abril1931.tk. 2019年11月5日閲覧。
- ^ 悲劇のチーム、グラナダCF footballista公式ブログ、2007年4月26日
- ^ “22 años en el infierno” (Spanish). Granada Hoy (2011年6月20日). 2011年6月20日閲覧。
- ^ a b c “How Udinese beat the system and stands at the gates of La Liga”. A Football Report (14 June 2011). 18 June 2011閲覧。
- ^ a b c 「“子会社”ゆえに補強はままならず。レシーノの手腕に命運を託す」 footballista、ソルメディア、2012年2月8日号、17頁
- ^ グラナダがプレーオフを制して36年ぶりの1部昇格。新シーズンの全20チームが出揃う WOWOWリーガニュース、2011年6月20日
- ^ “Granada promoted to La Liga”. Sky Sports (2011年6月18日). 2011年6月19日閲覧。
- ^ “Granada, en Primera 35 años después” (Spanish). Marca (2011年6月18日). 2011年6月18日閲覧。
- ^ 中国資本、今度はクラブ“爆買い”相次ぐ! リーガのグラナダも買収へ フットボールチャンネル、2016年5月25日
- ^ グラナダ 中国資本の傘下に SPORT.es、2016年5月23日
- ^ グラナダ監督、クラブ主導の中国人選手加入に不満「何も聞いていない」 Goal.com、2016年7月28日
- ^ “Granada back in Spanish top flight after draw with Mallorca”. Reuters. (2019年6月4日) 2020年6月16日閲覧。
- ^ Lowe, Sid (2020年7月20日). “Silence, solitude and sadness for Leganés after desperate La Liga finale”. The Guardian 2020年7月21日閲覧。
- ^ Grounds, Ben (2021年4月15日). “Man Utd 2-0 Granada (agg: 4-0) Edinson Cavani on target as hosts book Europa League semi-final spot”. Sky Sports 2021年4月15日閲覧。
- ^ “サッカー=スペイン1部でファンがスタンドで死亡、試合中止”. ロイター (2023年12月11日). 2023年12月11日閲覧。
- ^ “グラナダが1年でのセグンダ降格に…レアル戦前に他会場の結果により決定「尊厳ある死という形で報われなかった」”. Soccer King (2024年5月12日). 2024年6月21日閲覧。
- ^ “Plantilla Granada Club de Fútbol”. 2023年7月17日閲覧。
- ^ エンブレムの世界 グラナダ『サッカーマガジン』2013年10月1日号、ベースボール・マガジン社、2013年、雑誌23881-10/01, 096頁。
外部リンク
編集- 公式ウェブサイト
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