ボタ山
この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
ボタ山(ボタやま)は、石炭の採掘に伴う坑道掘削や選炭によって生じた岩石廃棄物(ボタ)の集積してできた地形[1][2]。ぼた山と平仮名表記をすることもある。漢字では硬山と書く。地域によってはズリ山と称することもある[3]。
概要
編集炭鉱では石炭や亜炭の採掘に伴い捨石(ボタ)が発生する。この捨石をトロッコなどを用いて長年積み上げられるとやがて山ができる。こうしてできた山をボタ山またはズリ山という[3]。トロッコやベルトコンベアなどの機力で捨石を運搬したボタ山は、円錐型になる。山本作兵衛によると、筑豊炭田でボタ山が円錐型になったのは、昭和に入ってからの事だという[4]。
品質が低いとはいえ、捨石の中には石炭分が多く含まれることがあるために自然発火[5][6] や延焼などが原因で火災となることがある[7]。この自然発火によって生じる一酸化炭素中毒も問題となることがある[2]。
ボタ山の組成は炭坑により異なる。高田炭坑(福岡県粕屋郡篠栗町)のボタ山は大部分が黒っぽい頁岩で、それに比べ砂岩は少量しか存在しない[1]。これに対し常磐炭坑のボタ山は大半が砂岩といわれている[5]。ブラジルのサンタカタリーナ州の炭坑では、ボタの中に含まれる黄鉄鉱による河川の汚染が問題になった[2]。
ボタ山には堆積後5年から6年経過すると植生の侵入がみられるようになり、最初にマツヨイグサ、ハルタデ、ヨモギ、ススキなどがみられるようになる[1][5] [8]。
管理
編集日本
編集日本の地すべり等防止法では「ぼた山」と表記され、
「石炭又は亜炭に係る捨石が集積されてできた山であって、この法律の施行の際現に存するものをいい、鉱山保安法及び経済産業省設置法の一部を改正する法律(平成十六年法律第九十四号)第一条の規定による改正前の鉱山保安法(昭和二十四年法律第七十号)第四条又は第二十六条の規定により鉱業権者又は鉱業権者とみなされる者がこの法律の施行の際必要な措置を講ずべきであったものを除く」 — 地すべり等防止法2条2項
と定義されている。
ボタ山・ズリ山は鉱山保安法においては捨石集積場と呼ばれる。捨石集積場の比高は数10mから100mを超えるものもあり、安定性に欠け容易に崩壊しやすいのが特徴である。このため、鉱業権者は鉱山保安法、地すべり等防止法、森林法等の法令により維持管理が義務づけられるほか、捨石の採取、土地の改変等が厳しく規制される。
イギリス
編集イギリスでは2020年2月の暴風雨「デニス」によりウェールズ南部にあるタイロスタウンでボタ山の一部が崩れ落ち、6万トンにも及ぶ廃棄物が川に流れ込んで下水管などを破壊する事故が発生した[9]。デニスの襲来をきっかけにウェールズ政府は地方内の2456のボタ山の安全管理のため「安全性タスクフォース」を立ち上げるとともに、ボタ山のリスク度を公表することになったが、2021年10月末までに327が「高リスク」と発表された[9]。
ボタ山崩壊事故
編集日本
編集- 1955年、佐世保炭鉱(佐世保市)にて、大雨によりボタ山が崩壊。炭鉱住宅や事務所が埋没して73人が死亡する被害(安倍鉱業ボタ山崩落事故)[10]。
- 1957年、長崎県北部地方を襲った集中豪雨により、北松浦郡江迎町の江迎炭砿のボタ山が崩壊し、流出土砂が国鉄松浦線(現在の松浦鉄道西九州線)潜竜駅(現在の潜竜ヶ滝駅)及び周辺の商店街、国道を埋没させる騒ぎとなった。他の箇所でも負傷者2名が出ている。
- 1960年1月7日、福岡県田川郡大任町の古河鉱業大峰炭鉱にあるボタ山が崩壊し7名が死亡。このボタ山は普段から自然発火が見られ、犠牲者の死因も全身火傷によるものが多かった。
中国
編集- 2008年9月8日、山西省臨汾市襄汾県の鉄鉱山でボタ山が崩壊。大量の土砂が土石流化して下流に流出し多数の死者、行方不明者を出す被害となった。鉱山は、安全基準を満たしていないため閉鎖されていたが、違法操業が続けられていたという[11]。
イギリス
編集ボタ及びボタ山の利活用
編集樋に水を流してボタから石炭を回収することをボタ水選といい小規模な選炭業者である[2]。
一方、生活困窮者や子供が危険を承知でボタ山に立ち入り、捨石の中から石炭を見つけては拾い集め、持ち帰った。これを「硬拾い(ボタ拾い)」と称した。拾った石炭は、家庭用の燃料として使ったり、業者に売って生計の足しにしたりした。
ボタの活用法としては、セメント副材料、海岸埋め立て、路盤材料、軽量骨材やレンガなどの建材類、耐火材原料などがある[2]。
日本
編集歴史
編集選炭技術が未熟な時代のボタ山には比較的良質な石炭が含有されていることに着目して再利用される例がある[13]。 一方、1960年(昭和35年)1月7日には、福岡県大任村のボタ山が崩れ、選炭作業中の作業員7人が死亡、9人が重軽傷を負う事故も発生している[14]。
日本では1960年度以降、産炭地域振興調査として「ボタ山利用調査」が実施され、1960年代以降には鉱害防止と炭鉱離職者の雇用対策を兼ねてボタ山の取り崩しが進められた[2]。筑豊地方などから運び出されたボタは、道路や鉄道の新設や整備、海岸の埋め立てなどに利用された[2]。
依然として再利用の目処が立たず、放置されている例も少なくないが、 福岡県水巻町には、町がボタ山を取得して平地を造成、太陽光発電施設や大型商業施設との間で賃貸契約を結んでいる例もある[15]。
一方、日本の近代化を支えた石炭産業の象徴としてボタ山を恒久的に残し、維持管理していこうとする動きも出始めており、ボタ山が保存される例も見られるようになった。
ボタ山・ズリ山を保存している自治体
編集カッコ内は炭鉱名。
- 北海道
- 岩見沢市(万字炭鉱) 「万字炭山森林公園」 - ズリ山周辺の21ヘクタールの敷地を整備し(平成10)年にオープンした森林公園。ズリ山には直線階段775段を含む2,468段の階段がある。周辺にはツツジやシャクナゲ等様々な樹木が1万5000本植栽されている[16][17]。
- 赤平市(北炭赤間炭鉱)「777段ズリ山階段」 - 住友赤平炭鉱に隣接して存在した北海道炭鉱汽船の赤間炭鉱のズリ山に直線階段を777段設置し整備したもの。標高197.65m、平均斜度18度。ズリ山階段として日本一。頂上の展望広場からは、赤平市街、芦別岳、十勝岳を一望できる。夏に開催される「あかびら火まつり」ではズリ山の斜面で火文字焼きが行われる[18][19]。
- 夕張市(北炭清水沢炭鉱)「清水沢ズリ山」 - 高低差約60m。頂上からは清水沢市街地が一望できる。地元住民や有志により草刈りや階段・ベンチのメンテナンスが行われている[20][21]。
- 福岡県
- 長崎県
- 佐世保市(旧世知原町) 「かじか健康公園硬山階段555!(けんこうこうえんボタやまかいだんGO!GO!ゴー!)」「硬山ステージ(ぼたやまステージ )」旧世知原町が飯野鉱業松浦炭鉱の硬山を利用し、健康公園と野外イベント会場のステージを建設したものである。付近の世知原町石炭記念館(佐世保市世知原石炭記念館)の隣には、実物の坑口が保存されている。
ブラジル
編集ブラジルのサンタカタリーナ州の炭坑では、1970年代に選炭作業で微粉炭を回収するようになる以前の微粉ボタ(CLPボタ)に相当量の石炭が含まれることがわかっている[2]。また、タール質の多い黒ボタが産炭地周辺の道路に使用され、風化するとタール分が分離浸出して路面材に適していたが、同地域のボタには黄鉄鉱が含まれ、雨が降ると酸性水が流出するため使用禁止が指導されるようになった[2]。一方、非常に堅固な砂岩を含む白ボタには、黄鉄鉱を含まず、道路の路体や路盤の整備に適しておりサンタカタリーナ州北部の道路建設に使用されている[2]。
脚注
編集- ^ a b c 坂上務「ボタ山の微気象」 農業気象 第15巻 第2号、2022年12月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k II.ボタの有効利用 国際協力機構、2022年12月22日閲覧。
- ^ a b “赤平観光協会 - あかびら炭鉱遺産>ズリ山”. 2021年11月25日閲覧。
- ^ “図録番号418 タイトル:ボタ山(ピラミッド形は昭和になって)/ 山本作兵衛コレクション/ 田川市”. 田川市 (2017年3月13日). 2023年2月4日閲覧。
- ^ a b c 炭鉱ボタ山緑化試験について 福島県、2022年12月22日閲覧。
- ^ “森へおいでよ 筑豊の自然再発見<27>石炭採掘の不要物 景色の中にボタ山が”. 西日本新聞 (2017年3月23日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ “「ボタ山」、2年間燃え続ける 消す方法は見つからず”. 朝日新聞デジタル (2019年3月5日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ 大石道義,ぼた山覚書。産業考古学92号所収。
- ^ a b 小林恭子「ウェールズで300以上のボタ山が「高リスク」と査定 - 55年前の崩落事故がいまだ脳裏に」 英国ニュースダイジェスト、2022年12月22日閲覧。
- ^ 日外アソシエーツ編集部編 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年、106頁。ISBN 9784816922749。
- ^ “<土石流事故><続報>500人以上が生き埋めか、原因は鉱山の違法操業―山西省臨汾市”. レコードチャイナ (2008年9月9日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ “イギリス史上最悪の産業事故、ボタ山崩落から50年 子供たちを失った母親たちの半世紀”. Huffpost News (2016年10月23日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ “地域資源「ズリ」の活用による夕張再生エネルギー創出事業”. 総務省 地域の元気総合プラットフォーム (2015年1月15日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ 日外アソシエーツ編集部編 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年、141頁。ISBN 9784816922749。
- ^ “ぼた山跡に大型商業施設 福岡・水巻町 炭鉱閉山半世紀、活用本格化へ”. 西日本新聞 (2019年1月18日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ “万字炭山森林公園”. 岩見沢市. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “そらち炭鉱(やま)の記憶をめぐる_万字炭山森林公園(選炭場跡、ズリ山)”. 北海道空知総合振興局. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “777段日本一のズリ山階段”. 赤平市. 2021年11月25日閲覧。
- ^ “そらち炭鉱(やま)の記憶をめぐる_赤間炭鉱ズリ山”. 北海道空知総合振興局. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “清水沢ズリ山”. 夕張市. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “清水沢炭鉱ズリ山”. 一般社団法人清水沢プロジェクト. 2024年10月14日閲覧。
参考文献
編集- 『産業考古学会論文集』「志免炭鉱の硬山の研究」大石道義,長渡隆一.
- 『随筆国鉄さんしっかりせい』田原喜代太