レオポール・セダール・サンゴール
セネガルの政治家
レオポール・セダール・サンゴール(Léopold Sédar Senghor、1906年10月9日 - 2001年12月20日)は、セネガルの政治家。初代大統領(1960年9月6日 - 1980年12月31日)を務め、一方で詩人としても活躍した。
レオポール・セダール・サンゴール Léopold Sédar Senghor | |
任期 | 1960年9月6日 – 1980年12月31日 |
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出生 | 1906年10月9日 フランス領西アフリカ、ジョアル |
死去 | 2001年12月20日(95歳没) フランス、カルヴァドス県・ヴェルソン |
政党 | セネガル社会党 |
生涯
編集サンゴールは、セネガル(当時はフランス領西アフリカの一部)のティエス州ンブール県ジョアル村で生まれた(セレール族、カトリック教徒)。フランス留学中に起こった第二次世界大戦では、フランス軍に志願して入隊した。捕虜を経験した後、釈放後もレジスタンスと協力して後の仏大統領ジョルジュ・ポンピドゥと親交を深めている。
またフランス語詩人としても著名であり、サンゴールの詩は広く賞賛されるとともにサンゴールはアフリカ出身で初めてアカデミー・フランセーズ会員にもなった(1983年)。1968年にドイツ書籍協会平和賞、1975年にストルガ詩の夕べ金冠賞、1978年にチーノ・デル・ドゥーカ世界賞を受賞し、さらにセネガル国歌の歌詞も書いている。サンゴールも1930年代から1940年代にはマルティニークのエメ・セゼールと共にネグリチュード運動を牽引した。
独立後も、サンゴールは対内的にアフリカ社会主義政策を、対外的にはモンロビア・グループの指導者として親欧米政策、親仏政策を採り、チュニジアの初代大統領のハビーブ・ブルギーバや、ニジェールの初代大統領のアマニ・ディオリなどと共にフランコフォニー国際機関(組織)の設立に尽力した。
レオポール・セダール・サンゴール国際空港、レオポール・セダール・サンゴール競技場、レオポール・セダール・サンゴール橋はサンゴールの名にちなんで命名されたものである。
主な作品
編集- Chants d'ombre (1945)
- Hosties noires (1948)
- Anthologie de la nouvelle poésie nègre et malgache (1948)
- Ethiopiques (1956)
- Nocturnes (1961)
- Lettres de d'hivernage (1973)
- Elégies majeures (1979)
- La poésie de l'action : conversation avec Mohamed Aziza (1980)
- Ce que je crois (1988)
関連
編集外部リンク
編集- Léopold Sédar Senghor, universel (No. 182, Paroles, Alliance Française Hong Kong) (in French)
- Académie française -- Discourse of Valéry Giscard d'Estaing on his predecessor in Fauteuil 16 at the Académie.
- Biography, Bibliography (in French)
公職 | ||
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先代 (独立、フランス植民地帝国) |
セネガル共和国大統領 初代:1960 - 1980 |
次代 アブドゥ・ディウフ |
外交職 | ||
先代 オルシェグン・オバサンジョ |
西アフリカ諸国経済共同体議長 第3代:1979 - 1980 |
次代 ニャシンベ・エヤデマ |
先代 ウィリアム・R・トルバート |
アフリカ統一機構議長 (代行)1980 |
次代 シアカ・スティーブンス |
前任 アントワーヌ・ド・レヴィ・ミルポワー |
アカデミー・フランセーズ 席次16 第18代:1983年 - 2001年 |
後任 ヴァレリー・ジスカール・デスタン |