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ローソサイエティ

アメリカ生産でアイルランドで調教された競走馬、種牡馬

ローソサイエティまたはローソサイアティ(Law Society) は、アメリカ生産でアイルランドで調教された競走馬種牡馬。主な勝ち鞍は1985年のアイリッシュダービー。凱旋門賞勝ち馬アレッジドの代表産駒の一頭で、日本においてはマンハッタンカフェ母父として知られている。

ローソサイエティ
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1982年
死没 2011年
Alleged
Bold Bikini
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 William Stamps Farish III
馬主 Stavros Niarchos
調教師 Vincent O'Brien
競走成績
生涯成績 8戦5勝
勝ち鞍
G1 愛ダービー 1985年
G2 愛ナショナルS 1984年
G3 アングルシーS 1984年
G3 チェスターヴェース 1985年
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生い立ち

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アメリカ・ケンタッキー州のレーンズエンドファームウィリアム・ファリシュによって生産された[1]。父アレッジドは1977年と1978年に凱旋門賞連覇を達成し、種牡馬としてもミスアレッジド英語版シャントゥ英語版リーガルケース英語版ミッドウェーレディ英語版などの重賞勝ち馬を輩出している[2]。母ボールドビキニは現役時代に6勝を挙げた。1978年には半兄のストライクユアカラーズがブリーダーズフューチュリティステークスを制している。

1983年7月、ローソサイエティはキーンランドのセリ市に出され、スタブロス・ニアルコスによって270万ドルで落札された[3]。その後ヨーロッパに送られ、バリードイルヴィンセント・オブライエン調教を受けた。

戦績

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1984年(2歳シーズン)

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8月18日、カラ競馬場で行われた6ハロン新馬戦でデビュー。ラスト1.5ハロンで先頭に立つと、2着My Regretsに2 1/2馬身差をつけて勝利した。デビュー戦の2週間後、ローソサイエティはクラスを上げ、同じコースと距離でG3アングルシーステークス英語版に挑んだ。序盤からリードを奪うと、2着Kamakuraに大差で勝利した。9月下旬、さらにクラスと距離を上げ、7ハロンのG2ナショナルステークスに出走。8頭立ての一番人気でレースを迎え、2着Concert Hallに半馬身差をつけて勝利した[4]

10月、ローソサイエティはイギリスに遠征し、ニューマーケット競馬場で開催されるヨーロッパで最も権威のある2歳戦であるデューハーストステークスに出走。ノーブルクエストでサラマンドル賞を制したパット・エデリーが騎乗した。ローソサイエティは残り4分の1で集団から抜け出し、Local Suitorとカラダンサー英語版との3頭での争いとなった。ローソサイエティは終盤の直線で伸びきれず、アタマ差でカラダンサーの2着に敗れた[5]

1985年(3歳シーズン)

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3歳シーズンはダービーステークスの前哨戦である5月7日のチェスターヴェースで始動。調教師のオブライエンにとっては1972年のバウチャー英語版以来の出走となった。レース中盤でリードを奪うと、そのまま押し切り2着ペトスキ英語版に2 1/2馬身差をつけて勝利した[6]

チェスターでの勝利から4週間後、ローソサイエティは予定通りダービーステークスに出走。レースは14頭立てで行われ、単勝オッズは5/1でスリップアンカーシャディード英語版に次ぐ3番人気だった。5番手で最後のコーナーを曲がり、直線で2番手まで上がったが、逃げるスリップアンカーを捕まえることができず、7馬身差の2着に敗れた。

次走は6月29日にカラ競馬場で行われた1マイル半のアイリッシュダービーに出走。レースには先のダービーステークスで3着に入ったダミスターのほか、シアトリカルトリプティクムクタール英語版(ジョッケクルブ賞勝ち馬)、バイアモン(ジャンプラ賞勝ち馬)など国際舞台で活躍する強豪も出走していたが、ローソサイエティは単勝オッズ15/8の1番人気に押された。レース中、エデリーはコース中央を走らせようとしたがブロックされたため、やむなく直線で外側でのレースに切り替えた。終盤は右に斜行しながらも最後の100ヤードでシアトリカルをとらえ、半馬身差で勝利した[7]

アイリッシュダービー後、ローソサイエティはイギリスにもどりアスコット競馬場で行われるキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスに出走。初めての古馬との対戦であり、オーソーシャープに次ぐ2番人気に押された。レースでは最後の直線で伸びきれず、ペトスキ、オーソーシャープ、レインボウクエストに次ぐ4着に終わった。その後、ローソサイエティは9月のフェニックスチャンピオンステークスに出走する予定だったが、調教中に右前足を負傷し、そのまま登録抹消・引退となった[6]

評価

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1984年、タイムフォームはローソサイエティのレーティングに129ポンドの評価を与え、カラダンサーと並んで2歳馬のトップにランク付けした[4]。3歳時のレーティングは130ポンドで、スリップアンカーより6ポンド下だった。国際分類ではアイルランド調教の全競走馬の最高位、ヨーロッパ全体ではスリップアンカー、ペトスキ、レインボークエスト、サガスペブルス英語版、シャディードに次ぐ7番目に高い評価を受けた[6]

種牡馬時代

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競走引退後、アイルランドのクールモアスタッドで種牡馬入りした。後にドイツのIsarlandStudに売却された。

2008年に種牡馬を引退。2011年3月7日、繋養先のドイツで死亡した[8]

主な産駒

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母父としての主な産駒

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血統

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ローソサイエティ血統リボー系 / War Admiral 4×5(父内)) (血統表の出典)

Alleged
1974 鹿毛
父の父
Hoist the Flag
1968 鹿毛
Tom Rolfe Ribot
Pocahontas
Wavy Navy War Admiral
Triomphe
父の母
Princess Pout
1966 鹿毛
Prince John Princequillo
Not Afraid
Determined Lady Determine
Tumbling

Bold Bikini
1969 鹿毛
Boldnesian
1963 鹿毛
Bold Ruler Nasrullah
Miss Disco
Alanesian Polynesian
Alablue
母の母
Ran-Tan
1960 鹿毛
Summer Tan Heliopolis
Miss Zibby
Mehrabi Migoli
Majideh F-No.5-e


脚注

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  1. ^ Law Society image”. sporthorse-data.com. 2014年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月6日閲覧。
  2. ^ Alleged Stud Record”. Racing Post (2012年2月15日). 2012年10月1日閲覧。
  3. ^ Keeneland July sale 1983”. Equineline (2012年5月8日). 2013年9月6日閲覧。
  4. ^ a b Timeform staff (1985). Racehorses of 1984. Timeform. ISBN 0-900599-40-5 
  5. ^ "Martin Gale" (24 October 1984). “Kala Dancer- bookies' favourite”. Glasgow Herald. https://news.google.com/newspapers?nid=2507&dat=19841024&id=d8FAAAAAIBAJ&sjid=6qUMAAAAIBAJ&pg=3310,5637989 2013年9月6日閲覧。 
  6. ^ a b c Timeform staff (1986). Racehorses of 1985. Timeform. ISBN 0-900599-42-1 
  7. ^ “King George next for Irish Derby winner”. Glasgow Herald. (1 July 1985). https://news.google.com/newspapers?nid=2507&dat=19850701&id=Z6VAAAAAIBAJ&sjid=p6UMAAAAIBAJ&pg=5532,141008 2013年9月6日閲覧。 
  8. ^ Irish Derby Winner Law Society Dies”. BloodHorse (7 March 2011). 2013年9月6日閲覧。
  9. ^ Anzillero race record”. Racing Post (2011年6月2日). 2013年9月6日閲覧。
  10. ^ Fortune's Wheel race record”. Racing Post. 2013年9月6日閲覧。
  11. ^ Homme De Loi race record”. Racing Post (2011年6月2日). 2013年9月6日閲覧。
  12. ^ Right Win race record”. Racing Post. 2013年9月6日閲覧。
  13. ^ Court Of Honour race record”. Racing Post. 2013年9月6日閲覧。
  14. ^ Catch Me race record”. Racing Post. 2013年9月6日閲覧。
  15. ^ Influence will be felt for years to come”. Thoroughbredinternet.com (12 August 2008). 2013年9月6日閲覧。

外部リンク

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