上野三郎
上野 三郎(うえの さぶろう、1894年(明治27年)9月[1][2] - ?)は、日本の実業家。下野製紙取締役東京支店長[1]、三和製紙[3]、旭土地取締役[1]。五代上野松次郎の三男[4]。六代上野松次郎の弟。
人物
編集栃木県宇都宮市生まれ[2]。肥料商、栃木県多額納税者・上野松次郎の三男[1][2][3][4]。1921年、慶應義塾大学部理財科卒業[2][5][6]。藤本ビルブローカー本店東京支店各勤務[2]。
1928年、分家した[1][3]。趣味は洋画、登山[1]、書道[2]。宗教は曹洞宗[1][2]。東京府在籍で、住所は東京市本郷区駒込上富士前町[1][3]。
家族・親族
編集- 上野家
- 親戚
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第12版 上』ウ29頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年3月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『大衆人事録 第12版 東京篇』東京107頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年3月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第11版 上』ウ35頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年3月5日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第8版』ウ26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年3月5日閲覧。
- ^ 『慶応義塾総覧 大正11年』第二十二章 卒業生280頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年3月5日閲覧。
- ^ 『慶応義塾塾員名簿 昭和4年版』493頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年3月6日閲覧。
参考文献
編集- 慶応義塾編『慶応義塾総覧 大正11年』慶応義塾、1917-1922年。
- 慶応義塾編『慶応義塾塾員名簿 昭和4年版』慶応義塾、1924-1942年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 東京篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937-1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。