中村龍史
来歴
編集1971年、劇団四季俳優養成所を卒業し、劇団四季入団。1981年退団。その後主にショーの構成、振付、演出を手掛ける。数多くの歌手、ミュージックグループのコンサートでキャリアを重ねる。松任谷由実は1984年日本武道館公演『YUMING VISUALIVE DA・DI・DA』から1995年『THE DANCING SUN』まで担当した。
1990年、東京パフォーマンスドール(TPD)の立ち上げに参加し、構成、振付、演出を担当。解散まで全てのステージを手掛けた。1993年デビューの大阪パフォーマンスドール(OPD)と1996年デビューの上海パフォーマンスドール(SPD)も立て続けに担当した。劇団四季出身であることもあり、クオリティへの追求を最優先し、アイドルグループであっても容赦のない厳しい指導を行った。
1995年には『楽園伝説』(西田ひかるミュージカル初主演)で演出。1997年のなみはや国体では、開会式の構成、振付、演出を担当。宝塚歌劇団の初演出となった。
2001年からは『マッスルミュージカル』の構成、振付、演出を担当。2007年9月9日、マッスルミュージカルの構成、振付、演出を降板。
2008年、マッスルミュージカルを降板したメンバーらと共に「中村JAPANドラマティックカンパニー」を旗揚げする。
2020年1月22日死去[1]。68歳没。
作品
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出演
編集テレビドラマ
編集脚注
編集- ^ a b “俳優、演出家の中村龍史氏が死去 68歳「マッスルミュージカル」手がける 「やすらぎの郷」にも出演”. スポーツニッポン. (2020年1月29日) 2020年1月29日閲覧。