外貨債処理法
日本の法律
外貨債処理法(がいかさいしょりほう、昭和18年3月15日法律第60号)は、太平洋戦争により償還できない外債の借り換え処理に関する法律である。
外貨債処理法 | |
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日本の法令 | |
法令番号 | 昭和18年法律第60号 |
提出区分 | 閣法 |
種類 | 金融法 |
効力 | 廃止 |
成立 | 1943年3月1日 |
公布 | 1943年3月15日 |
施行 | 1943年3月15日 |
所管 | 大蔵省 |
主な内容 | 未償還外債の借換 |
条文リンク | 官報1943年3月15日 |
1943年(昭和18年)3月15日に公布、即日施行された[1]。また、本法の施行規則として、外貨債処理法施行規則(昭和18年3月31日大蔵省、司法省令第1号)が制定された[2]。施行規則は第二次借換実施のため翌年12月7日大蔵司法省令第5号により一部改正されている[要検証 ]。外貨債処理法は、連合国人を差別待遇するという理由で、GHQ覚書に基づきポツダム命令である外貨債処理法等ノ廃止及外國爲替管理法等中改正ノ件(1945年11月25日大蔵省令第101号)により廃止された[3]。
処理の要点
編集未償還元本中の処理対象総額
編集ロスチャイルドの仏貨債は対象外。社債で米貨建が多いのは関東大震災の復興に充てられた電力会社債。
- 国債 1億5265万4700ドルおよび7713万7365ポンド
- 地方債 2493万3000ドルおよび809万4657ポンド
- 社債 1億575万1000ドルおよび320万8267ポンド
借換の実際
編集借換処理は、先の友好国人の他、日本人と同等に扱うべき日系アメリカ企業の保有する外債も対象となった。債券が日本国内になくても、所有者と記号番号が分かれば大蔵大臣が所有証明書を発行した。所有者はこれを証券の代わりとして借り換えることができた。また、借り換えの意思を確認できない者は処理を承諾したものとみなされ、債券を保管していた証券会社等が代理して借換手続をとった。この代理処理は2世邦人で二重国籍の者も対象となった。
借換価格は債券の所在で割高な甲種と割安な乙種に分けられた。
出典
編集脚注
編集- ^ 『官報』第4849号、「法律」 1943年3月15日。NDLJP:2961354
- ^ 官報1943年3月31日
- ^ 『官報』号外、「省令」 1945年11月25日。NDLJP:2962166
- ^ 承継がなされるまで友好国人所有の外債に対する利払い資金は横浜正金銀行の特殊財産管理勘定に払い込まれた。この利払い資金は終戦後GHQ の管理を経て、1946年7月31日日本銀行へ移管された。
- ^ 電力外債の物上担保権も消滅したが、工場財団が解散されたのは信越電力社債の担保分のみで、他は次順位の内国債担保抵当権が第1順位に繰り上げられ、財団は終戦後まで存続している。
- ^ a b 金輸出再禁止のために円相場が急落して、資本逃避が盛んに行われた。そこで1932年資本逃避防止法が制定され、外債券の輸入は厳しく制限された。しかし1940年8月以降は引揚げ者のために特別輸入を認めるようになった。この特別輸入分は横浜正金銀行などの為替銀行に保管させた。処分は政府の指示に従うこととされた。
- ^ 発行時の社債引受銀行は次の通り。JPモルガン、クーン・レーブ、ナショナル・シティー、ニューヨーク・ファースト・ナショナル(モルガン系)、横浜正金銀行
- ^ 立項時の記事全体が依拠する文献
関連項目
編集- 外貨債処理法ヲ朝鮮、台湾及樺太ニ施行スルノ件(昭和18年5月1日勅令第409号)
- 外貨債処理法ニ基ク借換国債発行規程(昭和18年6月30日大蔵省令第57号)
- 外貨債処理法ニ基ク第二次借換国債発行規程(昭和19年12月15日大蔵省令第115号)
- 昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク外貨債処理法等ノ廃止及外国為替管理法等中改正ノ件(昭和20年11月25日大蔵省令第101号)
- 旧外貨債処理法による借換済外貨債の証券の一部の有効化等に関する法律(昭和26年12月3日法律第289号)
- 旧外貨債処理法による借換済外貨債の証券の一部の有効化等に関する法律施行令(昭和27年3月31日政令第78号)
- 旧外貨債処理法による借換済外貨債の証券の一部の有効化等に関する法律施行令に規定する書類の様式及び記載事項を定める省令(昭和27年3月31日大蔵省令第36号)
- 旧外貨債処理法による借換済外貨債の証券の一部の有効化等に関する法律施行令の一部を改正する政令(昭和27年4月28日政令第126号)
- 旧外貨債処理法による借換済外貨債の証券の一部の有効化等に関する法律の一部を改正する法律(昭和28年3月19日法律第19号)