女満別町
日本の北海道網走郡にあった町
女満別町(めまんべつちょう)は、北海道網走支庁管内の網走郡に属した町。女満別空港の所在地として知られる。
めまんべつちょう 女満別町 | |||
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女満別空港(2011年) | |||
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廃止日 | 2006年3月31日 | ||
廃止理由 |
新設合併 女満別町・東藻琴村 → 大空町 | ||
現在の自治体 | 大空町 | ||
廃止時点のデータ | |||
国 | 日本 | ||
地方 | 北海道地方 | ||
都道府県 | 北海道 網走支庁 | ||
郡 | 網走郡 | ||
市町村コード | 01542-3 | ||
面積 | 159.24 km2 | ||
総人口 |
5,909人 (住民基本台帳、2005年12月末日) | ||
隣接自治体 | 網走市、北見市、美幌町、東藻琴村 | ||
町の木 | ななかまど | ||
町の花 | 水芭蕉 | ||
町技 | バレーボール | ||
女満別町役場 | |||
所在地 |
〒099-2392 北海道網走郡女満別町西3条4丁目1番1号 | ||
外部リンク | 女満別町公式ホームページ (Internet Archive) | ||
座標 | 北緯43度54分43秒 東経144度10分21秒 / 北緯43.91186度 東経144.17247度座標: 北緯43度54分43秒 東経144度10分21秒 / 北緯43.91186度 東経144.17247度 | ||
ウィキプロジェクト |
町名の由来はアイヌ語の「メマンペッ」(泉池がある川)。
地理
編集- 網走支庁東部に位置する。
- 159.02 km2の総面積のおよそ1/3は網走湖が占める。
- 北緯43度54分 東経144度10分、北海道のオホーツク地方に位置する。台地と、網走川流域の低湿地で構成され、高台(東部に広がる台地)では畑作、低台(網走川流域の低湿地)では水稲を中心とした農業が発達している。
- 旭川と網走を結ぶ国道39号、JR石北本線が町の中心部を通る。また、町内に所在する女満別空港は年間100万人を超える利用客がある。
- 女満別湖畔は北海道景観100選に選ばれている。
隣接していた自治体
編集歴史
編集- 石器時代より栄えた。石錘・石鏃などが発掘されている。
- 1808年(文化4年) - 幕府の天領となる。
- 1821年(文政4年) - 一旦松前藩領に復す。
- 1855年(安政2年) - 再び天領となる。
- 1890年(明治23年) マッチ軸木材伐採のため造材小屋が作られ、人が居住しはじめる。
- 1898年(明治31年) 農業に従事する者が定住し本格的な開拓が始まる。
- 1912年(大正元年) 北見・網走間の鉄道が開通し女満別駅が開業する。以後急速に入植者が増え、基礎的な集落が編成される。
- 1921年(大正10年) 4月1日、網走町(現・網走市)の大字網走村、大字最寄村の各一部が分村し女満別村が誕生
- 1936年(昭和11年) 2大字を以下の各行政字に再編[1]。
- 網走村 → 西1〜3条、東1〜2条、公園通、本町、湖南、朝日、昭和、巴沢、日進、開陽、大成、大東、中央、本郷、住吉
- 最寄村 → 本郷、住吉、豊里、高野
- 1946年(昭和21年)9月30日 高野を美幌町に編入。
- 1951年(昭和26年) 4月、町制を施行し、女満別町となる。
気象
編集経済
編集産業
編集姉妹都市・提携都市
編集教育
編集全ての教育機関が2学期制を実施している。
- 高等学校
- 中学校
- 女満別町立女満別中学校
- 小学校
- 女満別町立女満別小学校
- 女満別町立豊住小学校
- 幼稚園
- 女満別町立女満別幼稚園
交通
編集空港
編集- 空港 -年間利用者数100万人を超える 女満別空港を擁する。
鉄道
編集バス
編集道路
編集名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
編集レジャー
編集観光
編集- 網走国定公園
- 女満別町湿生植物群落 - 国の天然記念物『水芭蕉大群落』(ミズバショウだいぐんらく)
- ひまわり畑 - 秋に咲く畑一面に広がる黄色い太陽
- 温泉 - 泉質の違う温泉が4か所
- メルヘンの丘
- 朝日ヶ丘展望台 - 黒澤明 監督の「夢」撮影現場の一つ
- ドラゴンボ−ト競技会-賞金総額110万円のボートレース
行事
編集- 女満別国際音楽セミナー(1983-2002)小林研一郎指揮法講座他
出身有名人
編集脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 女満別町 公式ホームページ - 閉鎖。(2006年2月9日時点のアーカイブ)
- 女満別町・東藻琴村合併協議会 - 閉鎖。(2006年2月3日時点のアーカイブ)